びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/11/29(日)「舞鶴」

 起床は7時半。カーテンを開けると、昨日からの雨は止んでいた。すぐにチェックアウト。近くのローソンでてりやきバーガーと牛乳を買った。歩きながら食べた。
 中舞鶴線は、1919年開業、1972年廃止。3.4km。大半が遊歩道になっていた。
 スタートは舞鶴線を綾部方面に少し進んだところ。中舞鶴線東舞鶴駅からスイッチバックしていた。そのまま緩く左カーブを描いた道路を歩いて行くと、遊歩道になった。しばらく行くと北吸随道が現れた。明治の終わりに作られたレンガ積みの随道。なかなかきれいに整備されていた。しかも、出口は切通。昔の雰囲気をよく残していた。
 すぐ右手に赤レンガの建物が複数。赤れんがパークだった。とりあえずまだ開館前なのでスルー。先に進むと、自衛隊の艦の上の方が見えた。それから赤レンガの建物が3棟。その先は、自衛隊の桟橋になっており、何隻も自衛隊の艦が縦列駐車していた。
 9時、中舞鶴駅跡。SLがあったから駅跡だとわかったが、他には何の痕跡もなかった。説明の看板は錆びまくっていて全然読めなかった。
 道を戻り、赤れんがパーク。赤レンガ倉庫は元海軍の施設で8棟が現存している。その中の5棟が公開されている。まず2号館で遊覧船の手続きをした。遊覧船の時間まで、3号館まいづる知恵蔵の中の近代鉄道歴史展。昔の中舞鶴線の写真が展示されていた。中舞鶴駅がかなり大きかったことに驚いた。回る順番間違えたか?
 10時、遊覧船。船員さんがマイクを使ってガイドした。舞鶴には全13隻所属しているとのこと。どれも圧巻だった。艦の見た目はどれも灰色で巨大だったが、形は微妙に異なり、役割も違っていた。イージス艦フリゲート艦など。遊覧船は東舞鶴湾をぐるっと回った。先ほど見た縦列駐車の艦が見えてきた。説明の中で「妙高の艦長は自衛隊初の女性です」と言った。マジで!急いでウィキペディアで調べた。やっぱり。高3で同じクラスの同級生だった。数年前、東京の同窓会で会った時に自衛隊に入っていることを知った。こんな大きな船の艦長なのか?舞鶴でこんな出会いが待っているとは!頭を殴られたような衝撃だった。
 3号館2階の旧海軍の港町・舞鶴展。舞鶴鎮守府に選ばれた経緯などが説明されていた。
 2号館2階の舞鶴市のあゆみ。ベルリンオリンピック棒高跳びの友情のメダルが展示されていた。銅メダルと銀メダルを繋ぎ合わせたもの。
 11時、舞鶴市立赤レンガ博物館。世界のレンガを展示していた。1階には世界のレンガがあり、世界史の知識を思い出す必要があった。2階には日本のレンガ建築物についての説明があった。かなり骨のある展示だった。
 13時、2号館の喫茶スペースで海軍カレーを食べた。呉の時にわかっていたけど、いたってシンプル。それにしても具はほとんど入ってないし、お粗末過ぎた。つまらないものを食べた。
 東舞鶴駅に戻り、乗車券と福知山からの特急の自由席券を買った。1403、西舞鶴に移動。
 昨日行かなかった田辺城資料館。田辺城は細川幽斎の城だった。昨日は誰?と思って無視したが、細川藤孝のことだった。細川藤孝明智光秀の時に出てきた。文武両道のスーパーマンだということがわかった。いつか大河ドラマになるかもしれないなあ。
 舞鶴市郷土資料館。市役所の支所の中にあった。舞鶴の観光名所がまとめられていた。というか、旅の終わりにこれを見ても。赤れんがパークに移設した方がいいのでは?
 西舞鶴駅に戻った。時刻表を調べてると、福知山から丹波路快速の方が早く尼崎に着くことが判明orz。特急券を払い戻そうにも、クレカで買ったし、途中下車だし。仕方なく1609西舞鶴発に乗ろうとすると、特急券がない!探したけどどこにもなかった。駅員さんに聞いてもわからず。丹波路快速で帰ることが確定した。
 そもそもの原因は時刻を調べずに特急券を買ったこと。まさか快速の方が早いなんて。さらに特急なら京都回りの方が便利だったり。乗鉄としては恥ずかしいミスを連発。これは大いに反省せねば。
 1706、福知山から丹波路快速。夜の帳が降りて、ずっとブログを打っていた。
 舞鶴は思った通り観光資源が多かった。本当は、自衛隊関連施設もあったが、コロナのせいですべて閉まっていた。車があればもっと回れたのになあと思う。それから、細川幽斎の居城であった宮津にも興味が湧いてきた。この辺りは長い休みにまとめて回った方が良さそうだ。
 帰って鞄の中を片付けていたら特急券が出てきたorz。