びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/10/22(日)「鳳来寺」

 道の駅鳳来三河三石。夜中は昨日たくさん寝たので眠れなかった。おまけにバイクが来たりして結構うるさかった。さらに朝方は足元が寒くて。山の中だから普段よりも寒いのか?もう完全防寒スタイルにしないとダメだな。起床は610。朝食後、昨日のブログを修正した。
 7時半に出発。昨日途中で切り上げた豊橋鉄道田口線の探索をすることにした。鳳来寺山の方へ向かった。
 740、石積の橋脚。国道275号線を走ってたらすぐに出てきた。あまりに高くて巨大。よくこんなの作ったなあ。路盤は山から山へ繋がってるようだった。田口線は一体どこを通ってたんだ?
 三河大草駅跡を目指した。ここにはホーム跡があるとのことだった。ナビの案内で、国道から外れ、山際の細い道を上った。人気がない畦道みたいな道だった。ナビが目的地に到着したことを告げたが、どこに駅があるのか全然わからなかった。しばらく上り続けると、十字路になった。そこは山と山の間に豪快な築堤があり、両側にはトンネルがあった。なんだこれは!スゲー!
 でも、築堤の上には駅跡はなかった。なくなったのか?元々こんな築堤上に駅がありそうな気がしないのだが?調べると左側のトンネルを越えたところに駅はあるようだった。トンネルは薄暗くてかろうじて足元が見えた。途中からは素堀りとなった。凄い!トンネルを出てすぐのところには、林の中にポツンと佇むホームがあった。視界にはすべて緑のフィルターがかかっていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。ホームの端は階段になっていて、一両分の長さしかなかった。ホームの先には白い幟が立っていて「田口線廃線50年」と書かれていた。こんな誰も来なさそうなところに幟を立ててるのか?振り返りホームを見ると、ホームの先端部に小さな木の立札が立っていた。立札には「三河大草」と書かれていた。駅へアプローチする道は小さな獣道があるだけでどこかに繋がってるかはわからなかった。トンネルを通るしかなさそうに見えた。現役時代はどうしてたんだろうか?
 825、出発。三河大石駅の先にいかにも廃線跡という道路があったので行ってみることにした。鳳来寺の参道前を横切り、三河大石駅の先から国道を脇道にそれると、すぐに川を渡る小さな橋となった。その先は一車線の舗装された道路だった。勾配の緩さや滑らかなカーブは、いかにも廃線跡だった。道路は川沿いの崖を切通しやトンネルで抜けていた。わざわざ人の住んでない方の岸を選び、しかも山の中を切り開いていた。印象的な景色が次々と現れたので小刻みに何度も車を降りて写真を撮った。道路は三河海老駅手前まで続いた。
 道の駅したらの先には昨日渡った鉄橋があった。ここも廃線跡であり、さっきのように大いに期待できた。905、鉄橋を渡った。昨日はその先のトンネルで昨日Uターンしたのだが、看板をよく読むと「この先3km先通行止」。つまり3km先までは進めるわけだ。側に地図があり、ここは元々車で走れる廃線跡を標榜しているようだった。前にYoutubeで走破動画を見たことがあったが、こういうことだったのか?終点の三河田口駅までは4kmだった。ということは不通区間は1km。
 トンネルは真っ暗で怖かった。でも、そんなには長くなかった。さっきは写真を撮りまくったので、今度は動画を撮りながら走った。ずっと手でスマホを持ちながら運転した。これは敦賀北陸線旧線や柳ヶ瀬線以来だった。一車線の拙い道は川沿いの崖に取り付き、何度もトンネルや切通しを抜けた。頭上は緑に囲まれ、路面には落ち葉が落ちていた。轍はなかった。きっと誰も通らないのだろう。何度も通行止の看板が現れた。Uターンできなくなるかもしれないが、なんとかなるだろうと突っ込んだ。
 910、行く手にフェンスが現れて行き止まりとなった。行き止まりにはいろんな看板が立っていた。その中の一つには令和元年10月1日から通行止と書かれていた。5年前から通行止なのか?フェンスの間から写真を撮った。道は右に曲がって消えていた。見える範囲ではまだ普通の道が続いていた。帰りは写真を撮りながら帰った。廃線跡は緑に囲まれており、日本で一番美しい廃線跡は倉吉線ではなくこっちではないかと思えた。もし、ダムができてただの行き止まりの道になっても、この道は残して欲しいと思った。
 925、道の駅したら。昨日も寄ったところ。すっかりテンションが上がってしまったのでしばらく車の中で休憩した。
 945、奥三河郷土館。無料スペースには、三河田口駅で接続していた森林鉄道の説明と現役時代の田口線の写真があった。
 1010、五平餅。300円。高いなと思ったら、わらじみたいにデカイ五平餅が出てきた。おいしかった。
 10時半、出発。廃線跡探索は終了し、鳳来寺を目指した。鳳来寺がどういう寺かは知らなかったが、有名そうだった。鳳来寺は山の中腹にあった。昨晩、山の中腹からのアプローチを見つけていた。しかし、それでは面白くなかった。やはり自分の足で上らないと。表参道を車で走った。登山姿の人たちがちらほら歩いていた。どん詰まりには石段があった。近くの旅館の駐車場に車を置き、お手製のポストに500円を投函した。
 1055、鳳来寺山石段。1425段で50分かかるとなっていた。泳いでいるから体力には自信があったし、いい運動になる。どんどん上がっていった。上醍醐と同じような雰囲気で、上醍醐よりも短目だった。
 1135、本堂。40分で到着。1316段と書かれていた。残りはどこにいったのだろう?さらに上には奥の院や山頂があった。奥の院は大体見ても面白くないんだよな。しかも、50分かかるのかよ。登山姿の人が多いのも頷けた。本堂は新し目だった。本堂の前の広場からは山々が見下ろせた。多くの人が昼食を取っていた。
 近くの東照宮に行った。日本三大東照宮の一つだった。他は知らんけど。普通の神社だった。
 12時、小さな売店でみそおでんこんにゃくを買った。1本に2個ついていて3本あった。味噌とこんにゃくの組み合わせはおいしいよね。
 降りようかと思ったけど、ここで登らなければずっと後々気になるような気がした。1220、登坂開始。石段はなくなり、普通の登山となった。
 1250、鳳来寺山頂。大きな岩があり、そこに上ると遠くまで見渡せた。それにしても、ベンチがあるだけで山頂ぽくないのだが?先に進むと、立札が出て来て、山頂まで300mと書いてあった。さっきのは間違いか?進んでいくと、虎ロープが張ってあって通れなくなっていた。何?あれが山頂だったのか?降りようと思ったら、分岐を見つけた。そちらに行くと、さっきの虎ロープの裏側に出た。なんのこっちゃ?
 1305、鳳来寺山頂。狭い山頂には人がたくさん座っていて、昼食を食べたりしていた。山頂を示す立札の写真を撮ると、人が写りこんだ。ここからぐるっと回って戻るつもりだったが、道に迷いそうな気がしたので、来た道を引き返した。
 1310、下山開始。本堂まで降りるのが一苦労だった。下りは踏み外すと危ない。注意深く降りた。1340、本堂。本堂からは石段だった。降りるだけなのは正直苦痛だった。
 1405、石段の下に到着。そこに喫茶店があった。疲れた身体でこの立地は入らざる得ない。かふぇこのはずく。かき氷のもも。500円。店長と奥さんはとても気さくな方だった。氷は絹のように繊細でももは上品な甘さだった。
 1435、撤収。観光するかさわやかに行くか迷った。さわやかに並ぶよりステーキ宮の方がいいかもなあ。おあつらえ向きに豊川にあった。しかし、さわやか。
 15時半、さわやか細江本店。37分待ち。まずまず?いつものハンバーグとステーキBセットライス大盛。特筆すべきものもなく。
 17時、出発。ナビは4時間40分かかると主張していた。1715、給油後、再出発。浜北ICから新東名。足柄から45km渋滞ってなんだよ!1840、駿河湾沼津SAで最後のトイレ休憩。駐車場は満車なので路駐した。19時、出発。22時、帰宅。
 今回の旅行は、あまり期待してなかった割には、博石館、岩村、田口線と印象に残るものが続いた。滋賀時代に岐阜を攻めたかったが、やはり勘に間違いはなかったようだ。