びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/10/08(日)「中津川」

 三連休の2日目。道の駅大桑。一日中、車の通過音が聞こえた。特にトラックが酷く、あまりよい環境ではなかった。夜中に2回起きた。防寒対策で敷パッドを毛布タイプにしてたが、それでも朝方は寒くて毛布を被った。起床は620。朝食後、昨日のブログを修正。710、出発。
 木曽川沿いを中津川方面へ向かった。昨日、スルーした南木曽で見たいものがあった。
 720、桃介橋。木曽川に架かった大きな吊り橋。木曽川に吊り橋がおかしいのに、しかも、木製。昨日、見かけてとても気になっていた。これは電力王福沢桃介が架けたようだった。さすがに再現だったが、橋脚の石積みや主塔は重厚そのもの。ド迫力だった。
 740、SL公園。この名前じゃなければ気がつかなかっただろう。山の上の寂れた公園に塗装された美しいD51351があった。すぐそばには中央線が走っていた。ここは旧中央線上だった。
 木曽川沿いを中津川方面へ向かい、昨日の妻籠宿から隣にある馬籠宿を目指した。ここは木曽川沿いが難所なのか支流の山越えとなった。
 815、馬籠宿。ここも妻籠宿と同じくずっと来たかった。妻籠宿よりもこちらが本命だった。結構、高い位置にあった。宿場町は麓まで続いてるようだった。高低差のある宿場町は珍しかった。麓の駐車場に移動すると、まだほとんど人はいなかった。
 上り始めに看板があった。「明治28年大正4年の2度の大火で江戸時代の遺構のほとんどを消失した」と書かれていた。えっ?じゃあ、今あるのは一体?石畳の坂道を上っていくと、道の両側には木造の建物が並んでいた。一見風情があるように見えたが、ほとんどが新しく作られた感じだった。奈良井と違って建物の特徴とかもなさそうだった。新しく作ったからか、それとも岐阜県に入ったからか?どこもかしこもなにかしらの商店だった。これでは嵐山と同じではないか?
 狙ったわけではないが、早朝はあまり人がいないので、写真に写りこまなかったし、なにより風情があった。まるで江戸時代テーマパークの趣だった。展望台まで上って折り返した。
 850、馬籠宿脇本陣史料館。開館を待ってると、ツアーガイドとともにたくさんのハイキング姿の老人たちがやってきた。まさかこんな早朝に妻籠から歩いてきたとは思えなかったので、観光バスで来たと思われた。老人たちは施設に入ることもなく坂を降りていった。その後には別の一群がいた。ここは大人気だな。因みに9時になっても開館しなかった。どういうこと?
 9時、藤村記念館島崎藤村は本陣の家に生まれた。島崎藤村は「夜明け前」「破戒」などで知られるが、私は読んだことはなかった。「夜明け前」は馬籠の話のようなのでそのうち読んでみたい。因みに、中2の時に詩を写すという課題があり、教科書か教材に載っていた「初恋」を選んだことがある。あんまり意味はわからなかったけど、とても雰囲気があった。改めて読んでみてもやっぱりよくわからなかった。
 955、出発。駐車場は満車になっていた。早く来てよかった。隣の落合宿に向かう途中に江戸時代を感じさせる石畳があるようなので見にいった。
 10時、石畳。緑の森の中を石畳の道が通っていた。とても風情があったが、平成に入って整備されたものだった。散々寺に行ってるので森の中の石畳に特別感はないんだよなあ。歩いてる人が結構いた。いつか歩きに来ないといけないな。
 落合宿には風情のある建物はなかったが、街道沿いは昔の雰囲気を感じさせた。本陣があり、前まで行ったけど、スルーした。全部見てたら時間がなんぼあっても足りないし。中山道は歩けるみたいだから、引退したらじっくりと歩いてみたい。
 1025、北恵那鉄道木曽川橋梁。北恵那鉄道は中津町駅から下呂の方に向かった下付知駅を結んでいた。ここは国鉄下呂線も計画されていた。中津町は今の中津川のことで、中津川からすぐのところで木曽川を渡っていた。国道で木曽川を渡ると、左手の下の方に巨大な廃鉄橋があるのが見えた。半分がトラスで半分がガーター。なんだこれは!一気にテンションが上がった。地方私鉄がこんなに大規模な橋を架けたのが信じがたかった。そこまでして付知という町まで開通させなければいけなかったのだろうか?トラス側の築堤では、トラックがいて川砂利を採取してるように見えた。今にも鉄橋が落ちるのではないかと思えた。大丈夫か?
 木曽川の下の段に降りると、車が2台停まっていた。川岸に近づくと釣り人がいた。すぐそこに廃鉄橋があった。凄かった。ただ、アングルが悪かった。国道の橋の近くに路駐して、橋の上から撮り直した。我ながらいい写真が撮れた。
 「歩鉄の達人」を見るとこの先にも鉄橋があるようだった。別に北恵那鉄道すべてを探索するつもりはなかったのだが、せっかくなので頑張ってみることにした。
 1050、上地橋梁。山の中にひっそりとあった。橋脚は石積みで高かった。なんでここまでして通したのか?北恵那鉄道が作られた理由は、木曽川のダムにより水運が使えなくなった付知の人たちを救済するためだった。電力王福沢桃介が作ったものであり、だから険しいところでも無理に通していたんだな?
 1110、出発。調べると、北恵那鉄道の遺構はほとんどなくなっているようだった。一応終点だけは見ておくことにした。中津川から最初は山越えだったが、その後は付知川に沿った河岸段丘となり、そこそこ開けていた。行ってみないとわからないものだなあ。
 1140、下付知駅跡。北恵那鉄道の終点。本当は付知の町の中に駅を作りたかったが、用地買収できなかったらしい。駅跡には下付知バス停があり、だだっ広い広場となっていた。傍らには北恵那バスの車庫があった。また敷地の奥には丸太が積まれており、貯木場になっていた。ここは付知森林鉄道の起点でもあった。
 12時、信州そば処そば茶屋付知店。冷し天おろしそば大盛。普通のお店と立ち食いの中間のようなお店だった。そばの味自体はよくわからなかったが、汁は甘くて大根おろしおろしはピリッと辛かった。かき揚げは箸で掴もうとしたら崩壊するくらい柔らかく、とてもおいしかった。こんなにおいしいかき揚げは初めてかも?とても満足した。
 12時半、出発。予定にはなかったが、一応近くにある付知峡を目指すことにした。
 1250、付知峡不動滝。あまり期待してなかったのだが、滝は高さがあり、滝壺はエメラルドグリーンだった。とても迫力があり、美しかった。これは素晴らしかった。他の滝にも行こうとしたけど、通行止になってるようなのでさっさと撤収した。すると帰り道に変な水路を発見した。きれいな水が流れていた。なんだろうと思ったら、不動滝に落ちていった。えっ?
 1310、出発。これまた予定にはなかったが、苗木城を目指した。その前にさらに寄り道。
 1355、夜明けの森。ネットによると、ここには北恵那鉄道の車両があるようだった。公園の中の道を車でひたすら上ったけど、ただただ山の頂上を目指してるようだった。ネットを読み直すとすでに車両は解体されてるようだったorz。
 1420、苗木城跡。ここに寄り道したのは、ネットの写真が衝撃的だったため。この頃になると雨が降っていた。傘をさして登山した。城跡を眺望できる場所には看板が立っており、日本一の山城と書かれていた。険しい山の上には西洋の城のような要塞のような城跡があった。雨でモヤってはいたが、確かにこれは日本一だと確信するものがあった。実際に上ってみると、普通の山城とは違いあちこちに石垣が残っていた。どうやら明治の廃城令まで苗木藩の城として使われていたようだった。
 天守には木組みで足場が築かれていた。上ると眺望が素晴らしかった。晴れていればどれほどきれいだったろうか?木曽川には先ほどの木曽川橋梁も架かっていた。黄緑の合羽を来たおじさんが上がってきて、話しかけられた。2人でここは凄いと言い合った。
 15時、苗木遠山史料館。苗木城の説明。苗木城は代々遠山氏が統治してきた。遠山氏は遠山の金さんとは遠縁にあたるようだ。江戸時代の末期にはどこの藩も財政改革に着手しているが、苗木藩の場合はうまくいかなかったようだ。明治になって青山氏が出てきたのは郡上の青山氏かな?全体的に説明は細かかったけど、わかりやすくて面白かった。
 1610、出発。ようやく飯田に行くことにした。昨日、温水プールを見つけていたので、電話してみた。営業してるみたいだった。職員の人はそんなに忙しくないから基本開いてたら出るよな。中津川ICから中央道へ。恵那山トンネルを抜けて飯田側へ。伊奈山本IC下車。
 中津川線の未成線を探索することにした。中津川線は中津川から飯田を結ぶ予定だったが、恵那山にトンネルを掘るのが難しかった。今の中央道のルートである。トンネル跡がある二ツ山トンネルを探した。ホテルアピネスを目的地とした。まさかラブホを目的地にする時が来るとは。ホテルアピネスに到着したが、山の中でありトンネルがありそうな気配はなかった。ネットを調べ直すと、もっと有力な情報が得られた。
 1710、お日さま公園。ここから未成線が延びてるらしかった。未成線は築堤の上にあった。築堤の上を山の方に向かって歩いていくと、少し幅が広くなってるところに出た。ここが伊奈中村駅予定地だった。その先には二ツ山トンネルがあった。入り口は鉄格子で封じられていた。普通のトンネルだったが、一度も使われたことはなかった。戻ろうとしたら、築堤の上を犬の散歩をしてる人がいた。気まずかった。
 17時半、出発。温水プールを目指した。飯田ICから中央道で松川ICまで。プールに行くのに高速かw。
 18時、まつかわの里室内温水プール。プールは中1日。500円。職員2人、お客は2人しかいなかった。貸し切り。当然25mプール。せっかくなので普段できないことをやってみることにした。休みなしでクロール20往復。休憩。私は誰よりも泳ぐのが遅いのだが、それは息継ぎに問題があるような気がしていた。左側で息継ぎしようとしたが、無理だった。根性が足りなかったか。クロール6往復。後は、右での息継ぎの後に左手が抜けてる感覚があった。なんとか左手を生かすことを考えた。前に進んでいる気がしたが、長年染み付いた癖を直すのは違和感バリバリだった。左腰も痛くなったような気がした。とりあえずクロール21往復。
 20時半、出発。近くの道の駅に行くことにした。真っ暗でどこを走ってるのかわからなかった。途中、コンビニで朝食を買った。
 2110、道の駅南信州とよおかマルシェ。静かだった。ブログを打った。後から隣に来た車がエンジンをかけていた。止めてくれ。止まったからよかった。