びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/09/18(月)祝「上越」

 道の駅あらい。2時頃に一度トイレに行った。別に暑くはなかった。起床は6時半。朝食後、昨日打てなかったブログを書いた。すっかり出発が遅くなってしまった。
 840、出発。まずは近くの気になる駅に行った。
 855、えちごトキめき鉄道二本木駅。ここは元信越線でスイッチバックの駅だった。駅舎も古くて合わせ技一本というところ。スイッチバックは近年解消される方向だが、この駅は後述する日本曹達への引き込み線があったのでそのまま残された。
 駅舎は青色の屋根で思ったより古さは感じなかった。入場料200円を箱に入れて、ホームに出ようとすると、線路に沿った雪覆いの細い通路から地下道となった。地下通路は絶滅する方向であり、とても懐かしい感じがした。
 地下道には二本木駅の歴史や見所が紹介されていた。鳥塚社長のおかげかトキ鉄は案内がしっかりしているなあ。二本木駅日本曹達ができてから、貨物取扱いを順調に伸ばして発展してきた。しかし、ここもモータリーゼーションの時代の流れに飲み込まれて、現在では貨物は取り扱っていない。
 ホームに上がると、古レールで組まれた重厚な上屋が現れた。幾重にも等間隔に並ぶ柱は、まるで芸術品のようであり、感動ものだった。
 駅舎の隣の隣のくらいにレンガ造りのランプ小屋があった。これはランプに使う油を保管するところだった。従って、爆発しても大丈夫なようにレンガで頑丈に作られていた。こないだの富良野辺りでも見かけた。
 電車が入線してくるので、ホームの端から眺めていると、電車はウグイス色をした昔の湘南系のようだった。電車は一旦雪覆いのある引き込み線に入った。ここはX字のスイッチバックか!電車は進行方向を逆に変えて、駅に近づいてきた。
 最初は疑問にも思わなかったが、だんだん何かおかしいと思った。ウグイス色?電車が近づいてきたら、翼を広げたようなヘッドマークがついていた。ヘッドマークには「妙高」と書かれていた。これはトキ鉄が走らせている観光急行クハ455系だった。クハ455系は子供の頃はよく見かけた形だが、今や骨董品となっていた。いすみ鉄道キハ52を復活させた鳥塚社長ならではのアイディアだった。なんという僥倖!テンションは爆上がりした。
 ホームに停車した隙に写真をたくさん撮った。前面の円くて大きいライトが光った。運転士さんのサービスに違いなかった。頭上の方向幕は「急行」となっていた。側面を撮ろうとしたら、乗ること自体を楽しむ電車だからかすぐに発車した。
 駅を後にして、引き込み線の雪覆いを見に行った。雪覆いは木製で側面しか見られなかったので、いい写真は撮れなかった。
 935、出発。上杉謙信の居城のあった春日山城を目指した。こないだの上田城とともにずっと行きたいところだった。
 途中、新井駅の付近で新しそうな白いJRの車両が走っていた。あれっ?ここをJRの特急が走るなんてあり得ないのだけど?とても珍しいものを見たような気がした。
 1010、上越市埋蔵文化財センター。謙信公と春日山城展をやっていた。入館は無料。埋蔵文化財センターにはゴリゴリの縄文のイメージがあり、あまり大したことないだろうと思ってたら、上杉謙信メインだった。
 入り口のホールには、精悍で背筋の伸びた髭のおじさんが青色の新撰組のような衣装で刀を持っていた。なんかこういうのは苦手なんだよな(汗)。春日山城ジオラマがあり、春日山城が大規模な山城であることを知った。登るのが大変そうだな。
 展示は要点をよく押さえており充実していた。何より上杉謙信が魅力に溢れているからだろう。上杉謙信は子供の頃に曹洞宗のお寺に預けられており、その影響で後年出家した。発言や行動がやたらかっこいいのは、禅の影響のように思えた。上杉謙信の生涯は戦いの連続だった。関東から加賀、そして長野の川中島。攻めとっても撤退すると奪われるの繰り返し。戦いが多過ぎて覚えられなかった。上洛するために、手取川の戦いで織田信長軍に大勝したものの、惜しくも病没した。
 1115、出発。春日山城に行きたかったが、お腹が減ってたまらなかったので、先に腹ごしらえで直江津へ向かった。
 直江津駅にはクハ455系が停まっていた。大活躍だなあ。また先ほどのJRの車両もいた。乗り入れかな?
 1135、ホテルハイマート。ここでは駅弁を売っていた。ネット記事でべた褒めしていた。ドライブスルーをうたっていたが、歩道に停めるスタイル。目の前に交番があるんだが(汗)。店頭にはぽっちゃりしたお兄さん。聞けばすべて売り切れで、作るのに15分待ちだそう。おとなしく待つことにした。にしんめし、さけめし、鱈めしとあったが、にしんめしはやってないとのこと。鱈めしにした。
 1145、直江津駅前コインパーク。24時間最大800円だが、30分無料。車の中で鱈めしを食べた。あれっ?このパッケージ見覚えがあるような?東京駅の駅弁屋「祭」にあった?弁当の中には、甘露煮、鱈の親子漬け、焼きたらこ、梅干し、奈良漬けが入っていた。どれもうまくてびっくりした。出来立てというのもあるかもしれないが、この駅弁は本当にうまかった。今度、東京駅で探してみよう。
 線路を渡って南口へ移動した。駅の南側は閑散としていた。コインパーキングは24時間最大500円だった。
 1225、直江津D51レールパーク。ここには機関庫があり一般にも開放されていた。1000円。機関庫の中には、メインのD51などが展示されていた。このD51は空気で動くように改良されていた。正直どうなんだろうとは思ったが、実物はど迫力であり、動力の違いなどまったく関係なかった。周囲には油が撒き散らされて臭いが立ち込めていた。どうやらSLを走らせてるようだった。
 D51の隣には、こないだ鳥塚社長が購入したばかりのおいらん車があった。この車両からは棒が何本も放射状に延びていて、線路上に車両運行の障害物がないか調べることができた。日本に2台しかなく、公開しているのはここだけだった。この車両を買うまで存在自体を知らなかった。どこまでも奥が深いなあ。
 後はテレコンディーゼル機関車やここにもクハがあった。個性派揃いの少数精鋭だった。鳥塚社長は大きなお友だちを狙ってるとしか思えなかった。
 機関庫の外に出ると、機関庫から転車台の中心に向けて、線路が何本も延びていた。機関庫は扇形機関庫であり、とても珍しかった。扇形機関庫の見学は梅小路以来だった。
 写真を一通り撮りまくって、1245、出発。わずか20分の滞在だったが、情報量は多くすっかり満足したあた。
 1310、春日山城駐車場。春日山城上杉謙信の居城だった。目の前の山には心折れそうな長くて急な石段があった。最近、階段が若手なんだよな。登ろうと思ったら雨がポツポツ振りだした。酷くならないと信じて階段を登った。登りきったところには春日山神社があった。
 三の丸、二の丸、天守、本丸。山に無理矢理平場を作っていた。どこからも頸城平野が見渡せた。雨で霞んでいた。
 1440、林泉寺。ここは上杉謙信が幼少の頃に預けられた寺であり、後年出家したのはここの寺だった。ここには上杉謙信のお墓もあった。
 1525、春日山城跡ものがたり館。簡単な展示で、ビデオがメインだった。
 16時、春日山城史跡広場。春日山城は山城にも関わらず、麓には堀があり、相当大規模な城だったらしい。ここにはお堀と土塁と緑で広い原っぱが再現されていた。
 1615、五智国分寺。上杉謙信が再興した寺。越後国分寺の場所なのかはいまいちわからなかった。建物は何回も火災に遭っていて新しかった。本堂には五智如来があった。三重塔が印象的だった。
 1735、帰ることにした。ナビはまさかの関越道方面を示していた。そう言えば、鳥塚社長も直江津から千葉に戻る時に、長岡から新幹線を使う。関越道に至るまでの国道は最初はほくほく線に沿っていた。しかし、ほくほく線はほとんどトンネルなのですぐに見えなくなった。辺りにはあまり家はなかった。ほくほく線はあくまでも越後湯沢から金沢方面へのバイパスルートだった。
 途中から松之山が出てきた。ここはほくほく線とルートを争った北越南線が通る予定だった場所で、温泉が有名らしかった。山深くて秘境ぽかった。
 やがてこないだ行った十日町に出た。そっからは行きそびれた清津峡を通った。険しい山を越えて、ようやく塩沢石打ICから関越道。
 例のごとく東松山で25km渋滞だったので、1905、赤城高原SA。へぎそばを食べようとしたら、小嶋屋だった。小嶋屋のへぎそばは3回目。へぎそばイコール小嶋屋かもしれない。SAのフードコートで食べると、ありがたみが少なくあんまりおいしくないような気がした。
 20時、出発。部屋に到着したのは23時ちょうどだった。急いで後始末をした。
 今回はイヤイヤしながら出掛けた割には、思いの外楽しかった。ちょっと探索範囲を遠くにしたのがよかったと思う。フロンティアを開拓しよう!