びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/09/17(日)「糸魚川」

 道の駅今井恵みの里。2時に1回トイレに行った。泳いでいたからぐっすり眠れることを期待したが、暑くてほとんど眠れなかった。泳ぐと筋肉が熱を持つのか体感温度が上がるんだよなあ。または単純に車中泊初日だからか?とにかく仮眠でもいいから横になる作戦。朝方は寒くなってて自然に寝ていた。
 起床は5時半頃。今日も空は曇っていて天気は悪そうだった。朝食後、昨日のブログを修正。めちゃくちゃ文字が小さくなっていて使いづらくなっていた。しかも、コピペできなくなってるし。最近、変にマイナーチェンジしてるのは知ってたが、これははっきり言って改悪だった。そもそもスマホ版で改悪する意味がわからなかった。露骨に有料モードへ誘導しようとしてるのか?それとも開発陣がアホなのか?いろいろいじってみるとどうやらPC版サイトになってた模様。ややこしすぎるなあ。705、出発。
 どこに行こうか決めてなかった。当初の案はいまいち燃えなかった。この案は前回もボツにしたような?ここは思いきって糸魚川まで足を伸ばすことにした。糸魚川にはヒスイがあった。
 国道147号線、148号線を北上した。この辺りは山に囲まれていて緑が美しいのだが、今さらながら左手に北アルプスが壁のように連なっていることに気づいた。確かにこれはアルプスと言われるだけあるはと思った。本物のアルプスは見たことないけど。
 こないだ行ったばかりの安曇野ちひろ美術館を過ぎた。印象深い場所だったが、今日の目的ではなかった。また安曇野を探索することもあるだろう。
 走っていると、木崎湖が出てきた。聞いたことあるような?細長かった。ダム湖だろうか?そのままスルー。
 続いて青木湖。子供の頃、スキーバスが転落して多数の使者を出した。目の見えない人が助かったというエピソードを覚えている。国道からとても美しい景色が見えたけど、ここもスルーした。
 だんだん山深くなってきたと思ったら、急に開けて白馬になった。山にはいくつものスキー場があった。夏場は何してるんだろうか?
 さらに進むと完全に山の中になった。険しい山の間を姫川が流れていた。並行して走っていた大糸線には南小谷駅が現れた。ここまでが電化されていて、特急あずさの終着駅でもあった。前々からどんなところだろうと思っていたが、何もなさそうだった。ここまで電化せず、白馬まででよかったのでは?
 分水嶺のようなトンネルを潜ると、855、道の駅小谷。右も左も高い山の中、たくさんの人が立ち寄っていた。他に立ち寄るところがないからかな?九頭竜湖駅を思い出した。
 国道148号線は姫川の谷の崖に取りつき、見たことないくらい覆道だらけだった。グネグネでアップダウンが激しくてまるでジェットコースターみたいだった。覆道は萌えるけど、豊浜トンネルのように、上から岩が落ちてくるんじゃないかと怖い側面もある。
 910、平岩パーキング。険しい山間を流れる姫川が遠くまで見渡せた。
 小滝川ヒスイ峡に行くことにした。縄文時代に流通していたヒスイはすべて糸魚川産である。そしてヒスイは世界的に見てもとても珍しいものだった。ヒスイは天然記念物なので採取はできないけど、どんなところなのか見る価値はあるの思った。一車線の山道を対向車を気にしながら走った。
 935、高浪の池展望台。高浪の池はせき止め湖だった。眼下には高池の池があり、湖のバックには三角形の大きな山があった。明星山と言うらしい。ヒスイ峡はその山の足下にあるようだった。
 940、高浪の池。周りは芝生になっていて、キャンプ場になっていた。とても美しい場所だった。思いがけずいい場所を見つけた。
 10時、小滝川ヒスイ峡。河原には巨石がゴロゴロしてた。川の横には明星山の垂直に切り立った崖。大迫力だった。展望台に行くとおじいさんがいた。パトロールの人でヒスイ峡の解説してくれた。眼下の河原に大きな岩がゴロゴロしてたが、どうやらほとんどがヒスイのようだった。ヒスイは基本的に白く光っているらしかった。ただ普通の岩にしか見えないものもあった。見た目ではどれがヒスイかわからなかった。それからヒスイは比重が重いとか。
 河原に降りてヒスイを探してみた。他にも探してる人がいた。見た目にはまったくわからなかった。おじいさんによれば、この辺にはわかるようなのはないと言っていたのもあって、早々に諦めた。
 帰り際におじいさんが、小さなヒスイの欠片をくれた。加工の際に出た切り屑で、本来は子供に配ってるとのこと。白いけど、仄かに緑がかっていた。めっさ嬉しかった。
 1040、ヒスイ峡展望台。明星山の崖が一望できた。小滝川からの高さは440mあるらしい。ロッククライミングできるようだが、こんなとこを登ろうとするのはクレイジーだと思った。
 来た道を引き返した。11時、国道148号線と合流するところに、大糸線の橋梁が2つあったので写真撮影した。1つはぐるっとカーブしていて、トンネルに入っていた。豪雨が来たら肥薩線のように廃線になるかもしれない。11時半、出発。
 1145、フォッサマグナパーク。フォッサマグナとは糸魚川ー静岡構造線のこと。糸魚川がヒスイの産地であるのも、また北アルプス南アルプスがあるのもフォッサマグナと関係があった。フォッサマグナなんて見れるのかよと思ったら、素人目にはただの崖で何にもわからなかった。どうやって調べたのかな?
 1210、出発。フォッサマグナミュージアムに行きたかったが、お腹が減ってたまらなかった。先に糸魚川市街を目指した。
 糸魚川市街は数年前に大火事で焼けた。狭い窮屈な町であり、飲食店に車を停められそうではなかった。
 12時半、糸魚川駅隣のヒスイ王国駐車場。そのまま駅へ行った。糸魚川駅にはJR西日本北陸新幹線および大糸線と旧北陸線えちごトキめき鉄道が通っていた。北陸新幹線の駅だから、飲食店があるだろうと期待したが、セブンイレブンしかなかった。本当に新幹線駅か?
 駅舎には鉄道博物館のような施設があった。糸魚川ジオステーションジオパル。入り口にはSLがあった。これはくろひめ号と言って、近くの活性白土の所有だった。糸魚川から工場まで引き込み線があり、構内で貨物の牽引で使用された。
 中にはジオラマがたくさんあり、鉄道グッズが展示されていた。子供がたくさんいて、駅よりもたいへん気合いが入っていて、活気もあった。子供は鉄道が好きだからなあ。
 ここには大糸線で使用されたキハ52があった。いすみ鉄道で走っていたキハ52は元は大糸線を走っていた。因みにえちごトキめき鉄道の鳥塚社長は元はいすみ鉄道の社長だった。不思議な縁だと思った。
 またトワイライトエクスプレスの再現もあった。なんだ再現かよと思ったが、中身はゴージャスで西洋の宮殿のようだった。乗る機会がないだけにこれは貴重な経験だった。
 13時、出発。いよいよお腹が減ってどうしようもなくなった。親不知の道の駅に行くことにした。途中から北陸道は海の上を走り出した。こないだの能登半島の時に通っていた。また国道の横の崖にはロックシェードに覆われた北陸本線の旧線らしきものが見えた。ここでは旧線を探索予定だった。
 1325、道の駅親不知ピアパーク。お食事処漁火。大行列orz。そうだよなあ。1405、ようやく食事。海鮮丼ご飯大盛。お腹がペコペコで本当においしかった。どういうわけか味噌汁がやけにうまかった。
 14時半、道の駅の中にあった翡翠ふるさと館。102tのヒスイが目玉だった。展示のヒスイはやはり肉眼ではよくわからなかった。
 15時、親不知コミュニティロード。展望台があり親不知が見渡せた。海上北陸道があるのがよくわかった。
 北陸線旧線親不知トンネルに行った。元々は海岸に近いところを走っていた。崖下に向かって階段を降りていくと、隣にあるトンネルの坑口が見えた。気持ちが高ぶった。階段を降りきるとレンガ積みの坑口が現れた。
 全長 667.82m。1912年運用開始、1965年複線化により廃線。中からは冷たい風が吹いていた。入り口には懐中電灯が置いてあった。こういうトンネルは暗くて足下が見えなくなる。でも、トンネルの中には所々灯りがついており、大丈夫だと思った。
 今まで山ほどレンガ積みのトンネルは歩いてきたので、特段なんとも思わなかったが、ただ最後まで歩いたという記憶が欲しかった。足下は見えなかったけど、片側が遊歩道のように整備されてたから見えなくても問題はなかった。説明板が出てきたけど、他のレンガトンネルと同じだった。他と違うのはよくこんな崖に掘ったなということだった。
 反対側の坑口に出た。木々の間から海が見渡せた。トンネルの先の路盤は橋台になって藪に覆われていた。凄いとこに通したなあ。
 折り返した。最後まで歩く人はいなかったが、最後に一人だけ同業者ぽい人とすれ違った。同業者じゃないと無理か。
 16時、出発。Uターンして直江津の方へ向かった。
 16時半、ヒスイ海岸。その名の通りヒスイが落ちていて、持って帰っていいとのことだった。たくさんの人が潮干狩りのような感じで石を探していた。ヒスイかどうかは見た目ではわからないので、重さで判別した。重さと言っても秤で計るわけではないから結局のところ勘であった。3つほど採取。本物かどうかは不明。ロマンがあるなあ。職場のお土産にしようw。
 1705、出発。ネットで温水プールを調べると新井にあった。田舎でもプールはたくさんあるようだ。念のため電話すると21時までやってるようだった。海岸沿いを直江津に向かって進んだ。えちごトキめき鉄道筒石駅に寄り道するつもりだった。ここはトンネルの中にある駅だった。国道の横にはサイクリングロードが並走していた。わざわざサイクリングロードを作るだろうか?暗渠にレンガ積みの橋台が見えた。これでこれが北陸線の旧線であることを確信した。そういえば、筒石駅も元は集落に普通の駅があり、北陸線付け替えによりトンネルの中に移されたのだった。
 筒石集落は小さな港町だった。筒石駅は強烈な坂を上り山の中に入ったところにあった。とても駅があるような場所ではなかった。誰がこんな不便なところまで歩くのだろうか?
 1740、えちごトキめき鉄道筒石駅。駅前には他に車はなかったが、先客には2人の男の子を連れた若い男性がいた。電車で来たのだろうか?待合室で集金箱に200円を入れた。鳥塚さんに怒られないように。待合室の奥には引戸があり、地下への階段があった。まるで土合駅であった。階段は土合駅ほどは長くはなかった。階段を降りると、通路は水平になった。やがて富山金沢方面と直江津方面に分岐した。
 まずは富山金沢方面から。通路の先は湿気で霧が立ち込めていた。再び階段を降りると壁際にベンチが現れて、通路は銀色の壁で塞がれた。壁には引戸がついていた。列車が来た際に風が凄いらしくて壁で塞がれていた。ホームに出るとホームの幅は狭かった。確かに電車が来たら怖そうだった。トンネルの中は暗くて湿気ていた。まるで吉岡海底駅のようだった。反対側のホームを見ると千鳥配置になっていた。
 若い男性に話しかけられた。松岡修造みたいな話し方だった。千葉からと言うと驚いていた。「電車乗らないんですか」と聞かれたので、「乗らない」と答えたら残念そうな感じだった。なぜ?
 帰りに反対側のホームへ行ったけど、基本的には同じだった。先を急いでいたので電車が到着するシーンは見届けることはしなかった。
 18時、出発。名立谷浜ICから北陸道上信越道上越高田IC下車。新井へ向かった。プールの側にあるコンビニで軽く惣菜パンを食べた。
 19時、水夢ランドあらい。400円、25m。1コースを占有。平泳ぎ4往復、クロール16往復。休憩後、クロール17往復。実は途中から数がわからなくなったり。きれいなプールだった。
 2115、道の駅あらい。ブログを打ってたら眠くなって、そろそろ寝ようかと思ってトイレに行こうとしたら、ネクタイ締めた男性と背の高い男性が話していた。道の駅の利用についてアンケートでも取ってるのかと思ったら、ネクタイの男性から話しかけられた。宗教の勧誘だった。しかも、大石寺の宗派。まさか怖いもの見たさで大石寺に行ったのが役に立つとは?勧誘のやり方は創価学会とかなり似ていた。創価学会との違いを説明されたけど、私にはどっちもどっちだった。断ってるのになかなか終わらなかった。途中から背の高い男性も加わって、また最初から話が始まった。しつこいのも創価学会と同じだよな。解放されたのは2350だった。旅行中にこういうイベントは止めて欲しいな。