びーの独り言

どこいくの?どっか。

アイヌ神謡集

 この本はアイヌ知里幸恵大正11年に書いたものである。当時、アイヌは日本人による同化政策のせいで、住む場所を奪われ、生活の基盤であった狩りをすることも禁止された。また日本語を強要され、アイヌ語は存亡の危機を向かえた。
 知里幸恵は祖母とおばさんと共に暮らしアイヌ語の生活を送っていた。祖母は神話の語り部であり、幸恵は夜な夜なアイヌに伝わるさまざまな物語を聞かされた。一方で幸恵は学校では日本語を習った。しかし、幸恵の学校生活は、アイヌであることにより肩身の狭い思いをしていたようだった。
 そんなおり、アイヌ語を研究している東京から金田一京介がやってきた。幸恵は金田一から、アイヌ語を記録することは民族として非常に価値があることを教えられた。幸恵は、文字を持たないアイヌ語の物語を文字で記録することを決意した。
 幸恵は祖母から聞かされていた神謡集を記録することにした。おばさんから習ったローマ字で発音を記述し、同時に日本語に訳した。この際にそれまで考えられていた発音が実際に違っていたことが発見されたりした。
 幸恵は東京の金田一の家に行き、この本を執筆した。しかし、幸恵は身体が弱かった。北海道に帰る準備をしている中、原稿の手直しを終えた日に心臓発作で亡くなった。わずか19歳であった。
 私はこの本を北海道を旅行し始めた15年くらい前に買ったのだが、どうやって知里幸恵を知ったのか、どこで買ったのかもよく覚えていない。しかしながら、この本の序文にはたいへん感動したことを覚えている。何度読んでも涙が出てくるくらい心を打つものがあった。
 アイヌは自然とともに穏やかな生活をしていた。そこに和人がやってきて、土地は奪われ、狩りは禁止され、アイヌ語も話すことができなくなった。アイヌは和人にすがって生きるしかなく、やがては民族は消えてしまうものと考えられた。ただいつか将来にはアイヌの中からも強いものが出て日本人と肩を並べて欲しい。そのために少しでもアイヌ語を残しておくのだと。
 こないだのお盆の旅行で私は登別にある「知里幸恵銀のしずく記念館」を訪問した。そこで最初に渡されたのは、この序文だった。この序文は、あまりにも美しく儚く、そして未来に希望を抱かせる名文であった。そして、幸恵が命懸けで紡いだその願いは、今や現実のものになり、国にアイヌを先住民として認めさせ、アイヌの伝統を伝えていこうという取り組みとなっている。
 さて、前置きが長くなったが、この本にはアイヌに伝わる神謡が13篇収録されている。神謡とは神様が一人称で語る物語である。冒頭の「銀のしずくふるふるまわりに」が神謡やアイヌの宗教感を一番表していると思う。アイヌは、狩りをして獲物を家に持って帰って来た時に、家に神様が遊びに来たと考える。そして、盛大に神様を祀って、神様はそのお礼に肉や毛皮を提供する。そして、神様にイナウという幣帛を持たせて神の国に送り返す。神様は神の国に帰って、人間の姿になって生活をする。そしてまた気が向いたら動物などの姿をして人間界に降りてくる。「銀のしずくふるふるまわりに」は、内容がアイヌの宗教感を伝えると共に、とても子供に優しく語りかけるようで、詩的であり文学的だ。その独特の世界感には一気に引き込まれてしまった。それもこれも幸恵が訳したからこそ後世に語り継がれるものとなったような気がする。
 アイヌを知るには最初にこの本を読めばいい。ここにはアイヌの素朴な自然と共に生きる精神性などのたくさんの魅力がたくさん詰まっている。ここには政治的な陰謀や騒々しい人への敵意などはまったくない。ただただどこまでも平穏な暮らしを望む純粋な思いが込められている。読後には遠い昔に戻ったような優しい気持ちになれる。これは歴史的な名著である。