びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/08/21(月)年休「炭鉱」

 道の駅うたしないチロルの湯。3時頃トイレで起きた。この夏初めて暑くて寝苦しかった。無理矢理横になっていた。起床は6時。何かいろいろやることが溜まっているので落ち着こうと思った。まずは歯磨きと髭剃りから。昨日書けなかったブログを執筆。
 755、出発。815、セイコーマート砂川吉野店。昨日おいしかった納豆巻きを買った。そのまま朝食。
 8時半、出発。今日は北海道最後の日だった。苫小牧24時のフェリーに乗る予定だった。それまでは炭鉱関連の廃線跡を探索するつもりだった。北海道の空知管内には筑豊と同じようにたくさんの細かい路線があった。そして炭鉱の閉山とともにすべて廃止になっていた。
 まずは函館本線上砂川支線。函館本線の砂川から上砂川までを結んでいた。
 845、鶉駅跡。駅舎は喫茶店になっていたが、明らかに潰れていた。
 9時、上砂川駅跡。駅舎が残っていて、車両が2両がお互いに直角になるように置かれていた。なんか変だな?それから駅舎が路盤に対して、垂直になってるように思えた。調べると、駅舎は移設して向きを変えたとのこと。なんだかな。
 駅の入り口の看板には「悲別」と書いてあった。これは倉本聰のテレビドラマ「明日、悲別で」のロケで使われたためだった。悲別という名前にされるのは、地元としてはどうなんだろうか?
 920、出発。次は三菱興業美唄鉄道を探索することにした。三菱興業美唄鉄道は函館本線美唄から常盤台を結んでいた。
 10時、東明駅跡。駅舎とホームが残っていて、SLが保存されていた。路盤はサイクリングロードになっていたが、両サイドは草に覆われていた。
 1010、出発。山に入った。何にもなかった。人気がまったくなくて、寂しさ満点だった。草ぼーぼーのサイクリングロードが並走した。行き止まりのサイクリングロードなんて誰も来ないわな。
 1025、美唄炭山駅跡。北菱美唄炭鉱という会社の敷地だったので、立ち入らなかった。
 1040、常磐台駅跡。国道から離れて、山の中の砂利道を行くと、炭鉱メモリアル森林公園になっていた。誰がこんなとこ来るんだ?駅に関するものはなくて、真新しいオレンジに塗られた大きな竪坑櫓が2基あった。誰も来なさそうな公園は、草に覆われており「熊出没注意」と書かれていた。奥まで見ることなくさっさと帰った。
 1050、三菱美唄記念館。美唄炭山駅の手前にあった。廃墟感があったが、たまたま休館だったようだ。誰がこんな何もない山奥まで来るのだろう?
 途中で鉄橋が2つあった。重量物に耐えれるようにかかなり頑丈そうな作りに見えた。
 次は幌内線の探索をした。幌内線函館本線岩見沢から幌内を結んでいた。途中の三笠で分岐して幾春別にも延びていた。
 1145、萱野駅跡。駅舎もレールもきれいに整備されていた。ライダーハウスになってるようだった。駅舎の入り口には「無断駐停車禁止」と書かれた看板が掲げられていた。入りづらかった。
 12時、三笠駅跡。三笠鉄道村のクロフォード公園になっていた。駅舎は三角形屋根の山小屋風だった。後でわかったのだが、これは再現だった。駅舎は定休日で閉まっていた。駅舎の他には跨線橋があった。これは本物だった。凄かった。またたくさんの車両が留置されていた。ディーゼル特急の6両編成は圧巻だった。
 1220、出発。すぐ近くの高島屋食堂に行った。お客さんが多かった。クーラーが入ってなくて失敗したと思った。ジャンボザンギセットのご飯大盛。ザンギには骨が入っていた。失敗した。指は油まみれ、全身汗をかきながら食べた。
 1305、出発。三笠駅からは幌内の方に向かった。ずっとレールが残っていた。
 1310、幌内住吉駅跡。小さなホームがあるだけだった。ここで踏み切り跡のところに「車に注意」との看板があった。現役時代の看板かと思いきや、どうやらレールの上をトロッコが走るようだった。
 1315、幌内駅跡。三笠鉄道村の鉄道記念館になっていた。広い敷地にふんだんに車両が並べられていた。これは凄かった。横川を思い出した。もっと話題になってもいいのに。今日は記念館は定休日で他には人はいなかった。好き放題に写真を撮った。この旅行の最後にふさわしい場所だと思った。
 1345、出発。幌内線のもう一つ、幾春別の方に行った。
 1355、唐松駅跡。駅舎とホームが残されていた。この駅は荒廃していたのを地元の人がきれいに整備したとのこと。駅舎の中にはびっしりと写真が貼ってあった。
 1420、幾春別駅跡。バスの転回場になっていた。石碑があるだけだった。
 次は万字線の探索をした。万字線室蘭本線の志文から万字炭山を結んでいた。
 15時、朝日駅跡。駅舎、ホーム、SLがあった。ここも地元の人がきれいに整備したようだった。駅舎の鍵は閉まっていた。
 1520、美流渡駅跡。交通会館になっていた。ここの2階は資料室になっていたが、今は非公開とのこと。交通会館の横の草むらの中にはなぜか車止めがあった。少し離れたところに石碑があった。見逃しそうだった。
 1540、万字駅跡。駅舎は郵便局に転用されていた。ボロボロだったが、中に人がいそうで気が引けた。駅舎の裏を見ると、階段でホームに降りるようになっていた。
 次の終着万字炭山はネットの情報を頼りにして探索したのだが、山深いところに廃墟か人が住んでるのかわからない鉱山住宅が数軒あるだけで、まったくどこかわからなかった。
 1615、出発。次は夕張近辺を狙った。万字炭山からは強烈な山越えとなった。道が続いてるのかが不安だったが、対向車がいたのでホッとした。
 1635、夕張鉄道夕張本町駅跡。市民センターの中に駅はあったが、市民センターが廃止されて、入り口はベニヤ板で入れないようになっていた。ここは国鉄の2代目の夕張駅跡地でもあった。
 初代夕張駅を探すため石炭博物館の方に行ったが、わからなかった。
 1655、石勝線夕張支線夕張駅跡。3代目。現役時代に2、3回来たことがあった。駅舎は飲食店になっていた。ホームのレールはそのままだった。
 1705、石勝線夕張支線鹿ノ谷駅跡。現役さながらだったが、駅舎の駅の名前の板はなくなっていた。跨線橋から駅全体を俯瞰できた。
 17時半、石勝線夕張支線清水沢駅跡。駅舎は壊されて更地になっていた。ホームの駅名標も外されていた。
 1755、三菱石炭鉱業大夕張鉄道南大夕張駅跡。ずっと来たかった。子供の頃の私鉄駅名全百科に乗っていた。夕張は謎だったけど、大夕張はもっと謎だった。黒いラッセル車がかっこよかった。他にも客車や貨車があった。
 シューパロ湖の写真を撮った。湖から赤い鉄橋の一部が顔を出していた。湖にはいろいろ沈んでるようだった。特に有名なのは森林鉄道の三弦トラス橋だった。この橋は断面が三角形であり、他にはない稀有な構造だった。もしかしたら見えるかもと思って、沈んだ地点に行くことにした。道中、やたらと道路に鹿がいた。今回の旅行では昨年とは違いほとんど鹿を見かけなかった。鹿は道央にはあまりいないのかもしれない。シューパロダムはとても大きくて立派なコンクリート堤体だった。妙に迫力があった。下流には険しい山々が遠くまで続き、その谷間には小さな川が流れていた。日が傾いていて、山が谷に影を作っていて、一日の終わりを告げていた。三弦橋の水没地点には、ダムに沈む前の写真が掲げられていた。簡単にその場所は特定できたが、湖面には何も見えなかった。事務所の電気が点いていたので入ってみたら、おじさんがいて「もう鍵をかけるから」と言われた。その代わりダムカードをもらった。ダムカードをもらったのは初めてだった。
 もはや辺りは暗くなっていたが、もう少し頑張った。
 1855、石勝線夕張支線南清水沢駅跡。駅舎はそば屋になっていた。電気は消えていた。裏にはホームもあるようだった。
 1905、石勝線夕張支線沼ノ沢駅跡。駅舎は変なスナックみたいになっていた。おそらく営業はしてないだろう。裏は暗くてわからなかった。
 探索終了!!!フェリーに乗るため苫小牧に向かった。何も見えない暗い道をひたすら走った。たくさんの虫が突っ込んできて、フロントがたいへんなことになった。東港は厚真にあった。なんかおかしいなと思ったら、シルバーフェリーではなかった。調べたら、西港だった。やっちまった。一言で東と西と言っても、ここは30分も離れていた。また暗闇の中を走った。虫攻撃を受けた。
 8時頃に西港に到着した。車を停めるスペースがなかった。そう言えば昨年はそのまま並んだような?でも、まだ前の便の車が並んでいた。無理矢理関係者駐車場に停めた。受付しようとすると、まだだった。駐車場の場所を聞くと「有料になります」と言われた。有料?そんなことあるか?駐車場の場所は受付の裏だった。知らんかった。コインパーキングで30分無料だった。それを先に言えっての。真っ先にフロントの虫を掃除した。
 845、受付の列に並んだ。列の前の方でおっさんが係のおっちゃんに怒鳴っていた。「そこに自動発券機があるんやったら並ぶ必要なかったんか!」、確かに奥の方には自動発券機があった。初めて見た。おっさんの怒りは続いた。「ここの会社車どこに停めたらいいんかわからへん!なんで案内出さへんのや!こんなフェリー会社初めてやわ。二度と使わん!今回初めてやけど、二度と使わん!」、おっさんが使わんと「二度と」と2回言ったのは一番言いたかった重要なことなんだろう。それにしてもおっさんの指摘はもっともだった。私も2回目の利用だけど、まったく有料駐車場には気づかなかった。ほとんど人がトラップに引っ掛かってるのではないか?こんな基本的なところを放置してるのは、私もどうかしてると思った。係のおっちゃんが私のところにやってきた。「お客様のケースだったら自動券売機でも手続きできますよ」、そりゃおっさんの怒りももっともだわ。行列ができてから声をかけるのではなく、並ぼうとする人に声をかけなきゃ。それからもっと自動券売機の場所を目立つところにしたり、案内の看板を充実させるべきでは?
 乗船して、2等船室に寝転がった。ブログを打ってたら寝落ちした。もう0時近かった。