びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/08/12(金)年休「旅行2」

 フェリーは5時前に電灯がついた。消灯が22時半だったから、約6時間半寝たことになる。身体が痛くてほとんど寝たような気がしなかった。エンジンの振動がなければなあ(無理)。フロントで財布を回収した。朝食であんパンを食べた。
 545、車で待機。道路の状況を調べたりした。するとこんな時に限ってお通じが。係の人に聞いたら「もうすぐ出ますよ」。そういう答えが一番困る。625、下船。
 苫小牧は小雨で、空はこれ以上ないくらい曇っていた。近くのセブンイレブンでトイレして、お茶を買った。635、出発。
 今日のミッションは太平洋側の日高本線を探索しながら襟裳岬回りで宿泊地である帯広まで行くことだった。このルートは2008年夏の逆だった。2008年は、帯広から様似まではバス、様似から苫小牧までは電車であり、いずれも行動の自由度はあまりなかった。そしてこの時、せっかく行ったのにも関わらず、襟裳岬周辺で寝てしまい、まったく記憶にないという失敗を犯してしまった。あの時、起きてれば、今回わざわざ行く必要はなかったかもしれない?一方、当時の日高本線は苫小牧と様似を結んでいたが、2015年1月の高波の影響で、鵡川より南が運休となり、昨年の4月1日に運休部分は廃止された。
 道道259号線を東へ。真っ直ぐな4車線。さすが北海道。すぐに国道235号線へ。前にトラクターを運ぶ巨大なトラックが2台ノロノロ走っていた。しばらくトラックの後ろをおとなしくついていった。
 鵡川を渡ると、いよいよ廃線区間となった。旅程を急ぐため、廃線跡巡りは軽くと思っていたが、早速地図を確認して脇道に逸れた。いきなり寂しい何にもない草むらの中の道となった。こういう訳のわからないのがいい。
 720、踏切発見。踏切の両側にはレールが残っており、柵で入れないようにしてあった。柵には看板が掲げられていて「立ち入り禁止JR北海道」となっていた。バラストはまだ見えていたが、草むらに覆われるのは時間の問題と思われた。レールは錆びていた。レールの鉄は純度が高く、高級品であるから、近いうちに撤去されるだろう。
 そのまま線路に沿った道を行こうとしたら、小さな集落に出た。こんな国道から離れた袋小路みたいなところに集落があるのか?行きとは違う道で国道に戻ろうとすると、突然駅跡が現れた。調べると汐見駅と言うらしい。知らんかった。小さな集落のための駅は、ホームしかなかった。横に小さな小屋。待合室か?当然、線路には入れなかった。
 国道235号線に戻ってしばらくすると、牧場が出て来て、馬が数頭いた。日高地方はサラブレッドの産地として有名だった。
 国道235号線は縦に横にうねっていた。丘のサミットからは海岸線が眺望できた。海岸段丘を形成しているのがよく見えた。今まで見たことのないスケールの大きな景色だった。まるでいつか見たスコットランドの写真のようだった。どこかに展望台があることを期待したが、遂に展望台はなかった。
 755、富川駅。道路の案内標識で富川駅とあったので、その方向に行くと、踏切があった。でも、踏切のどっちに駅があるかわからなかった。パチンコ屋の方に行くと、駅舎の裏のホーム側に出てしまった。改めて表側に回った。道路から少し奥に入ったところが駅だった。三角屋根の駅舎で、ガラス戸には鍵がかかっていた。2枚の貼り紙には、廃止されたことと、代行バスの停留所が案内されていた。別棟にはトイレがついていた。こちらは開いていた。誰がわざわざ訪れるのだろう?
 810、国道で沙流川を渡ると日高本線のガーター橋がそのまま残っていた。廃線跡で一番美しいのは鉄橋である。感動だった。近くに車を停めて写真撮影。川の水は昨晩からの雨の影響か泥水の濁流だった。これが路盤を押し流す原因となった。
 国道から駅が見えたので寄った。825、豊郷駅。待合室がポツンとあるだけで、他には何にもなかった。
 今回の探索では高潮の被害に遭った区間を見たかった。国道の橋に差し掛かった時に、壊れたガーター橋を発見した。とてもショッキングな光景だった。835、慶能舞川橋梁(けのまいがわ)。ガーター橋の一部が流されて、陸に重なって放置されていた。こんな重いものが動いたなんて。自然の力は恐ろしい。
 855、厚別川橋梁。ガーター橋。
 静内は大きな街だった。国道沿いには、大型店が並んでいて、そこだけ切り取れば、本州の田舎にも普通にありそうな風景だった。
 920、静内駅。駅前は大きなロータリーになっていた。駅舎は観光案内所兼バス乗場になっていた。昔の写真や資料が展示されていた。驚くべきことに駅そばがあった。時間が中途半端だったが、記念に食べることにした。そばは普通の味だった。おばちゃんと話していると、次から次へと常連さんが。なんでこんなところに?他に店がないんだろうか?945、出発。
 10時、静内川橋梁。街には川がセットであるということは、ガーター橋もついてくることに気づいた。さすがにガーター橋ばかりで飽きてきた。
 1015、東静内駅。寂しい駅舎。がっつり各駅停車みたいになっていた。
 ここから日高本線は内陸に入った。国道は海沿いのままだった。内陸に探索に行くといよいよ時間がなくなりそうなので、国道を進むことにした。鳧舞(けりまい)という聞いたことがない集落が出てきた。日高本線沿い以外の集落はわからなかった。鉄道の有無は知名度にも影響することを知った。
 三石も思いがけずそこそこ大きな集落だった。1035、日高三石駅。なんと駅前旅館があった。珍しい。
 1040、三石川橋梁。ガーター橋。
 再び線路は内陸へ。案内板があったので、国道から外れてみた。11時、荻伏駅。貨車の駅舎。キター!
 浦河はそこそこ大きかった。2008年に、タクシーを拾ってJRAの牧場に行こうとしたら、タクシーがなかった。どんだけ田舎なんだと思っていたが、この辺りに住むには完全に車があることが前提なんだな。
 1115、浦河駅。驚くべきことに跨線橋が残っていた。駅舎の中には展示が放置されていた。高千穂や陸別のような施設を立ち上げたいらしいが、こういう書き入れ時に活動しないのはどうなんだろ?
 長い日高本線の終点である様似は、寂しい孤高の終点のイメージがあったが、意外にも街だった。最近まで現役線だったから、それなりの規模と考えた方がいいのだろう。少なくとも、江差や瀬棚よりは大きかった。
 1150、様似駅。2008年私はJRバスから降りたら既に駅には電車が来ていて、ダッシュして電車に飛び乗った。そのため様似駅を観察する時間がなかった。今日は様似駅をじっくり堪能したかった。
 様似駅の執務室は土産物売り場になっていた。待合室には資料が展示されていた。土産物は充実していて、様似町が廃線を観光資源として捉えてることがよくわかった。私は普段記念品は買わないようにしてるのだが、様似だけは珍しかったので駅名標のマグネットと、この先使うであろう熊避けの鈴を買った。
 線路の端っこはレールを三角に組んだ車止めになっていた。増毛駅の車止めと同じ形式だが、大きさは小さかった。ここが本当に行き止まりだったことを示していた。
 1215、出発。様似を過ぎると、山が険しさを増したように見えた。えりもの町は意外に大きく、市街地があるのに驚いた。
 襟裳岬に行くには国道から外れる必要があった。起伏が激しい道を進むと、やがて風力発電の風車がたくさん現れた。襟裳は風が強いことで有名だった。そして、緑のおいしそうな饅頭みたいな丘が幾重にも現れた。これは感動した。今まで見た中でも一番美しかった。襟裳は風が強く木が育ち難かった。プロジェクトXでは植林の話をやっていた。
 1255、襟裳岬。たくさんの人が訪れていた。駐車場とお食事処と施設があった。初めての北海道で襟裳岬なんか選ばないので、この人たちはベテランだと思われた。遊歩道を歩いていくと、灯台があり、やがて海岸線を見渡せるところに来た。垂直に切り立った崖が鋸の刃のように海に突き出したり、引っ込んだりしていた。三陸の北山崎を思い出した。
 また太平洋を望む場所には、記念撮影用に襟裳岬の立て札があった。襟裳岬の先っぽの延長線上には岩礁が延びていた。よく見ると、下の方にもっと先っぽに行ける道があったので、行ってみることにした。上から見るのと同じだった。
 1320、出発。行きとは違い襟裳岬の東側を北にすすんだ。いかにも北海道の自然の中を走ってるような気持ちのいい道だった。
 国道に戻り、黄金道路に入った。この道路は海沿いの険しい場所にあり、たくさんのお金をつぎ込んだのでこの名前がついた。2009年に私が眠りこけてた場所だった。確かに断崖絶壁に無理に道路を作っていたが、それは旧道化しているところが多くて、半分くらいは新しいトンネルに付け替えられていた。黄金を放棄して、さらに黄金をつぎ込んだか?これは積丹半島の豊浜トンネル事故を受けての措置だと考えられた。そして、仕事の創出もあるだろう。昔に作った道は覆道が多かった。一ヶ所「オニカップ覆道」という名前がついていた。地名には「オニ」も「カップ」もあるなあ。
 突然、黄金道路は終わりを告げて、市街地が広がった。広尾の街だった。広尾は大きかった。広尾には広尾線の終点である広尾駅があった。地図で調べると、広尾駅のロータリーはすぐにわかった。
 1420,広尾駅広尾線の終点。広尾線は1987年に廃止されていた。駅舎はバスの待合室として使われていたが、2008年と建物が違っていた。明らかに立て替えられていた。駅の側に公園があり、SLの動輪などが置いてあった。
 広尾駅を出て、路盤を目で折追った。明らかに線形が怪しい部分があったが、すぐにロストした。国道236号線を北上した。路盤はまったく確認できなかった。
 日高とはまったく景色が違った。十勝平野では牛が登場して、時折凄い臭いがした。畑はじゃがいもぽいものが植えられていた。
 1505、大樹駅。まさか駅跡が残っているとは思ってなかった。三角屋根の駅舎。既視観があった。バスで通ってた?民間の会社が入っていたが、今はいなさそうだった。日高本線とは違って、ホームも入ることができた。交換可能で千鳥型だった。
 1525、忠類駅。鉄道資料館があるというので期待していた。駅名の看板は印象的だったが、駅舎の中には入れなくて、外から中を見ても何にもなさそうだし、ホーム側に黒い貨車が3両あっただけだった。
 1615、更別駅。交番の横に記念碑があった。路駐に気が引けた。
 1650、幸福駅。今さらだけど、念のため。予想通り人が多かった。2008年には駅舎にたくさんの名刺が貼られていたが、どういうわけか名刺ではなくて大きなピンク色の幸福駅の入場券になっていて、そこに絵馬みたいにメッセージを書くようになっていた。商売臭がしてとてもイヤだった。駅舎前に一つ売店があったと思ったら、2つとガチャガチャコーナー、少し離れたところにも喫茶店が。観光地化され過ぎ!売店の一つで店のお姉さんに「前は名刺貼ってましたよね」と聞くと「今でも貼っていいですよ」と言われた。個人情報?
 1715、大正駅。駅のあった場所にホームがあってビックリした。駅名標が汚い手書きだった。それにしてもなんでこれに気づかなかったのか調べたら、現役当時とは関係ないらしかった。紛らわしい。幸福駅の人気にあやかろうとしたのか?
 1725、愛国駅。ここも幸福駅と同様どうでもよかった。でも、駅前に来てみると、2008年を思い出してとても懐かしくなった。こっちにはほとんど人はいなかった。
 18時、東横イン帯広駅前に行くと、駐車場が満車で、近くの立体駐車場を紹介された。東横インにしたのは、フェリーの雑魚寝の疲れを解消したかったからであった。部屋に荷物を置いてから洗濯した。
 1835、インデアンカレー。2回目。インデアンチキンカレーの大盛。デミグラスソースが入ってるような味。普通においしかった。
 部屋に帰ってから、ずっとブログを打っていた。あまりにも情報量が多かった。今日も頑張った。