びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/05/06(土)「山形」

 起床は5時。道の駅村田。泥のように眠った。まだ疲れていたけど、今日も忙しくて、なんとか今日一日だけ乗り切ればという感じだった。朝食後、昨日のブログを修正して、605、出発。
 せっかくなので、610、村田。小京都に所属してて、蔵の町をうたっていた。漆喰の海鼠壁の重厚感溢れる蔵がいくつかあった。やはりというか重要伝統的建造物群保存地区だった。625、出発。
 6時半、道の駅村田に戻った。トイレ。635、再出発。
 山形の山寺を目指した。東北道の村田ICから山形道の関沢ICまで。
 720、山寺根本中堂駐車場。500円。用紙に車のナンバーを書いてお金を包んでポストに入れるスタイル。初めて見たけど、合理的かも?山寺は仙山線山寺駅からすぐなのだが、降りたことはなかった。松尾芭蕉の「閑かさや岩にしみいる蝉の声」で知られている。このGWにおける東北四寺回廊の最後に当たった(残りは、中尊寺毛越寺瑞巌寺)。
 すぐに雨が降ってきた。最初に根本中堂があった。根本中堂という呼び名は延暦寺しか知らないので、山寺は天台宗だろうか?7時半、山門に到着。開門まで30分待ち。山門の前で、外で傘をさして待った。
 8時、開門。雨の中、ゆっくりと階段を登った。なんせ1000段以上あった。「一歩一歩が煩悩を断ち切る」と書かれていたが、そんなはずあるまいw。階段の途中にはたくさんの石仏があって、上っていて飽きなかった。
 最初のカーブで道を外れるとロープが張られていたいて、その先は獣道になっていた。その先には伝説の滑り台があるはずだった。昔、山寺の上の方からは滑り台を使って降りることができた。しかし、怪我人が続出したらしく(死亡事故も?(byやまいが))、すぐに使われなくなったとのこと。目を凝らして滑り台を探すと、木々の隙間から急角度でまっすぐ下降する側溝のような構造物が見えた。これこれ。ズームで写真を撮った。
 木立の中でしとしとと雨が降っていた。お寺には雨が似合う。雨は雰囲気がいい。ただ、松尾芭蕉が上った頃のような静かな感じではなかった。ここは観光寺院と化していて、風情のほとんどは失っているだろう。松尾芭蕉はあのように詠んだけども、本当に独りになった時はどうしようもなく寂しいだろう。どっかで誰かと繋がっていての独りというのがポイントだと思う。
 あとは登山。階段は切り立った崖のようなところに張り付いていて、お堂が点在していた。なぜだか富士登山の感覚に似ていると思った。
 途中で二股に分かれた。片方は崖の上に張り出した木のお堂に至った。五大堂だった。ここは一番高さがある場所だった。五大堂からは下界の集落が見渡せた。天気は悪くても、絶景だった。もう一方の道を行くと奥の院だった。私の奥の院のイメージは、一番奥にあって行くのが大変なだけで、お墓だったりするので面白くない。そしてそんな感じだった。
 下山してから、売店の店頭で力こんにゃくというのを売ってた。私はこんにゃくに吸い寄せられてしまう。カロリーがないからね。100円。串に玉こんにゃくが3個。醤油味でいかめしを薄くした感じ。おいしかった。910、出発。
 945、山形県立博物館。山形城の敷地内にあった。ここには国宝の土偶縄文の女神があった。これで国宝の土偶を5個コンプリートした(今回の3個+以前の茅野2個)。
 ここの博物館は建物が古かった。入り口からこれでもかというくらあ縄文の女神を推していた。展示の最初は旧石器時代ではなく化石の時代からだった。おいおい。このパターンは今までなかったぞ。どうやら山形は山の中から海の化石が採れるかららしい。それは大昔山形は海だったから。へー。
 それからやたら野鳥や魚、虫、植物の話。日本海側と奥羽山脈側で違うとか。岐阜や琵琶湖でもこのパターンにはまったけど、こういう生物の話は頭に入ってこないんだよなあ。私の若手な分野だ。
 そっからようやく旧石器時代からになった。大した話はなかった。縄文の女神は、私はあんまりそそられなかった。これには顔がなかった。他の土偶と比べるとフォルムが幾何学的過ぎた。ここから人の祈りを感じることができなかった。縄文時代の新進気鋭の芸術家が作ったみたいだった。12時、退出。
 山形城には天守は現存しなかった。お堀と石垣だけだった。あちこちで工事してた。私は山形をちゃんと観光したことはなかった。駅から城や繁華街は離れていたからだ。歴史的にも山形という町はほとんど出てこなかったので、どういうところか知らなかった。山形と言えば、圧倒的に米沢であり、酒田や新庄だった。山形に城があることすら知らなかったし、しかも、こんなに大きいとは思わなかった。後で知ることになったが、敷地は江戸城に次ぐ広さらしかった。雨が降ってきたので中途半端になった。一刻も早く楽しみにしてた昼食に行きたいというのもあった。1210、出発。
 山形駅に隣接するエスパルという商業施設の駐車場に駐車。
 12時半、「山形牛ステーキ&焼肉かかし」。私はここの牛タンが大好きである。この店が目的と言っても過言ではなかった。記録によれば、2013年7月以来10年ぶり5回目だった。退院してからはずっと食べたいと熱望していた。
 お店にはお客さんはいなかった。いつもスッと入れる。外観も内装も古くさくてパッとしない。一見あまり入りたくない感じ。何人も値段を見ては去っていった。私はそうは思わないけど、周りと比べて高いのかもしれない。
 ねぎ塩牛タン定食。昨日の「ぐら」の一件で一抹の不安があったのだが、「ぐら」を越えるうまさだった。レモンにねぎ塩のコンビネーションが最高で、最高にさっぱりしていてうまみだけを引き立てていた。
 私はこの店と出会う前は牛タンはおいしくないと思っていた。牛タンを頼んでも、ビーフジャーキーみたいな硬い牛タンしか見たことがなかった。しかし、この店の牛タンは本来のイメージ通りの舌のような弾力性があった。本当の牛タンを知ると、カルビなんて油っこくてしつこいだけだった。この店は何回食べてもうまい。これは本当にうまいということだ。1310、出発。
 行くとこに悩んだ。ちゃんと山形城を見ておくことにした。1325、山形城。東大手門の櫓を公開してた。再現された櫓だった。お城ではよくあるが、こういうのは大抵パッとしない。中には再現の方法などが説明されていた。やたらと最上義光推しだった。すると「最上義光は有名ではありませんが、有力な武将でした」と書かれていた。
 山形には箱ものがあるのだが、連日の疲れで身体が箱もの系を拒否していた。山形にまったくひかれないというのもあっただろう。仕方がないので廃線跡に行くことにした。
 1515、山形交通高畠駅。道中眠かったが、着いた瞬間、「うわっ」と声が出た。田舎には不釣り合いな石造りの立派な駅舎があった。あまりにも見事だった。日本にこんな駅舎があったのか。駅舎のみならず、付近の建造物はすべて石造りで統一されていた。ここには機関車と車両も保存されていた。これは凄かった。1540、出発。
 板谷峠の峠名物「峠の力餅」を狙った。国道13号線を南下した。
 1610、道端のパーキングの奥に万世大路記念碑公園があるとの看板が出てきた。万世大路とは福島ー米沢間の栗子峠を越える道であった。明治時代に県令三島通庸が作らせた道で、過酷を極めたことが伝えられていた。今は廃道になっていて、廃道マニアしか知らないような道だった。石碑があったけど、誰がここに立ち寄るんだ?1635、出発。
 すると、すぐに万世大路の入り口を示す看板が出てきた。マジか?廃道なのに案内があるのか?行けるとこまで行って見ることにした。意外にも舗装されていた。すると、前方からダンプカーが?何かあるのか?するとさらに立て続けに2台すれ違った。どん詰まりは採石場となり門があった。「万世大路に行く方は受付をして下さい」となっていた。ここで引き返した。
 国道13号線を南下して、峠駅方面に側道に入った。すぐに峠駅の隣の板谷駅があった。奥羽本線板谷峠が日本屈指の難所で、四連続スイッチバック駅があった(赤岩、板谷、峠、大沢)。
 板谷駅から峠駅はぐねぐねの山道となった。峠駅までは5kmあった。私は子供の頃から峠駅で売ってる力餅が気になっていて、峠駅の立ち売りで2回くらい力餅を買ったことがあった。しかし、駅から少し離れているという店には行ったことがなかった。その店は大きな道に面していて、鉄道客以外にも売り上げがあるのだろうと思っていた。しかし、私が通ってる道はどこに行くのかわからないような不安を駆り立てる山奥だった。人家すらなかった。こんなとこに誰が店に行くんだよ?悪い冗談にしか思えなかった。
 1705、峠駅。少し広場になっていて、力餅屋があった。他には新しい3階建の家と鉄道用の大きな細長い雪覆いがあり、中には2台車が停まっていた。スイッチバックの名残だろう。
 駅は雪覆いの奥にあった。「峠駅」と書かれた青い看板があり、その下は開口していた。中に入ると真新しい構内踏切とホームがあった。ここを新幹線が通るのか。信じられなかった。
 1715、「峠の茶屋力餅」。中に入ると電気が消えててやってないかと思ったが、おばさんが出てきた。立ち売りをしていたおじさんではないのか?するとおばさんはもう一人いた。なんでこんなGWでも閑散としたところに2人も?おばさんは取っつきにくかった。商売っ気はなかった。イヤなら帰ればってことなんだろうか?それとも現代がサービス過剰なだけか?
 いろんな味が食べられるミックス餅にした。900円。すぐに直径5cmくらいの餅が出てきた。クルミ、アンコ、ズンダ、ゴマ、納豆。色とりどりの餡がかかっていた。納豆以外はどれも甘くておいしかった。餅は柔らかくて突き立てみたいだった。一体どうやって作ってるのだろうか?最後の納豆は出汁が効いてて本当においしくて驚いた。こんなにも合うのか?納豆ご飯がおいしいみたいなものか?1735、出発。
 峠駅の先には滝があったり、温泉が2軒あった。最奥は姥湯だった。行こうと思ったが、営業時間は過ぎていた。
 1750、板谷駅跡。ここにも雪覆いがあり、峠駅と似たような感じだった。山奥にも関わらず、駅前に民宿の看板が出てたのが驚いた。
 ナビに従い、線路を渡った。あれっ?行きには渡らなかったような?そこからはひたすらに山道。こんなに遠かったっけ?霧が出て来て、車のセンサーが反応しなくなった。世界は真っ白でもやがかかった。ここは現実か?私はどこかで崖に落ちて死んでるのでは?やたら長いこと走った後で、閉じられた門が出てきた。「ここからは会社の私有地」。道を間違えたことに気づいた。スマホのアンテナが立ってなかった。どうやらナビはUターンの指示も出せずに事切れたようだった。私は霧の中から猛スピードで逃げ出した。
 国道13号線を南下した。栗子峠は長くてとても険しい峠だった。六十里越えや油坂峠を彷彿とさせた。
 福島に出て、飯坂温泉に行くことにした。飯坂温泉福島交通の終着駅で2009年9月、2011年1月の2回来たことがあり、2009年には温泉に入っていた。
 19時、花ももの湯。1380円。ホテル直結だから高かった。風呂なんて出せても1000円までだ。RFIDの腕輪、タオルと浴衣の入ったバッグ。このスタイルは何回か経験したけど、別にタオルと浴衣は要らんから安くして欲しい。私なんてカラスの行水で充分だから。風呂に時間かけたら、他のことができなくなる。
 上がってからリクライニングシートに座り、ブログを打った。そのうち本気で眠くなってきたので撤収。2045、出発。
 2105、道の駅ふくしま。新しそう。明るいけど、静かだ。静かであれば問題なし。ブログを書いたけど、眠くて力尽きて寝た。