びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/08/13(土)「旅行3」

 550、起床。いつもトイレに起きるのだが、今日はぐっすり寝た。疲れてたのだろう。朝食の6時半にロビーに降りると、長蛇の列。時間がかかりそうなので断念。乗鉄時代はよくスルーしていたもんだ。650、チェックアウト。
 今日はふるさと銀河線廃線跡を探索する予定だった。あるルートと本当に最後の最後まで悩んで、北見から帯広に無理矢理帰ってくることを条件に、実行することにした。
 ふるさと銀河線は、池田と北見を結んでいた。元は国鉄池北線で、第三セクターのちほく高原鉄道ふるさと銀河線となり、2006年に廃止された。
 国道38号線に出てすぐに給油した。結構、朝早くからやってることがわかった。その後、東に向かって、国道242号線に入って、池田を目指した。
 745、池田のセイコーマート東横インで朝食しなかったことで、セイコーマートのおにぎりを食べることができた。おにぎりの釧路風ザンタレにした。少し生姜醤油ぽいだけで、具も感じられず。そもそもザンタレの味を知らないから似てるかどうかもわからなかった。
 フクピかでフロントガラスを拭いた。フロントガラスにはたくさんの潰れた虫がへばりついていた。フクピかの価値が物凄い高かった。隣の白い車のおじさんに声をかけられた。「滋賀から来たんですか」。北海道では他県ナンバーはほとんど見ないので珍しかったのかもしれない。「千葉です」「千葉でも凄いですね」。805、出発。
 道道237号線に沿って北上した。この道はふるさと銀河線と並行していると考えられた。右側の草むらに怪しげな平場が続いているように見えた。平場にクロスする脇道を見てると、不自然にアスファルトが盛り上がっている箇所があった。これだ!おそらく踏切の跡だった。踏切はレールがついたままアスファルトで埋めることが多く、アスファルト上に凹凸が出やすかった。
 景色はじゃがいも畑に、とうもろこしの畑が出てくるようになった。
 825、高島駅。駅跡は広場になっていて駅名標が置いてあった。国鉄駅名標の後ろの方にふるさと銀河線駅名標があり、目が覚めたようだった。
 845、勇足駅。駅舎はコミュニティセンターになっていた。隣はパークゴルフ場になっていて、駅の裏まで敷地になっていた。
 9時、岡女堂駅。変な名前だなと思ったら、ふるさと銀河線になってからの請願駅だった。岡女堂とは神戸の会社らしかった。まず国道を1本逸れると、駐車場があった。隅の方に駅への通路があったので行ってみると、国道に面した場所に思いっきりホームがあった。国道から丸見えのホームは初めて見た。駅名標はもちろん時刻表まであった。1日5往復だった。
 本別の街はそこそこ大きかった。ガーター橋があった。昨日あんだけ橋があったのに、今日は少なさそうだった。
 925、本別駅は道の駅ステラ★ほんべつとなっていた。立派な駅舎だった。おそらく町が力を入れてたのだろう。ここには驚くべきことに跨線橋がそのまま残っていた。そして上がることができた。木製の跨線橋は木の匂いがした。階段の踏むところだけはコンクリートだった。他はすべて木製。よく残っていたなあ。
 おなかが減ったので、道の駅で「元気くんバーガー」を買った。地のものを使っているようだった。食べてみると、なんと海老カツ。どういうこと?これは失敗した。955、出発。
 1005、仙美里駅。駅舎は仙美里鉄道資料室となっていた。誰もおらず勝手に入るスタイル。仙美里では第二次世界大戦中に軍馬を育てていた。そのためロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越で金メダルを取ったバロン西が勤務していたことがあった。1025に出発。
 1040、足寄駅。道の駅あしょろ銀河ホール。ここも町の中心であり、とても立派な建物だった。隣に木造の古い駅舎があった。すげえと思ったら、後の再現だった。道の駅の中には、ホームの一部を模して、レールが敷かれていた。まさか現役時代からじゃないよな?足寄出身の松山千春のコーナーがあった。どうも足寄は松山千春推しが過ぎるような気がする。11時出発。
 1110、愛冠駅。コンパクトな駅舎と思ったら、レストランになっていた。奥にホームが見えたが、レストランを通る必要があった。「コビトの台所」。中に入ってみると、若いご夫婦が切り盛りしていた。話しているととても気さくで暖かかった。本州出身とのこと。自家製ジンジャエールを頼んだ。レモンのスライスが浮いていた。めっさうまかった。風味が豊かで、薬臭さはまったくなく、爽やかだった。パンを勧められたので明日の朝食用に買った。1135、出発。
 1145、上利別駅。国道を1本入ったところにそれっぽい空き地があった。何にもなくてどこが駅だか確信は持てなかった。
 1205、大誉地駅。集落の裏側に回ると、行き止まりで何にもなかった。どうやら行き止まりの先の薮の中にあったらしい。
 1220、陸別駅、道の駅オーロラ★タウン93。今日一番の目的だった。長年ここに来たかった。ここでは気動車の体験運転や乗車ができた。しかも、今日は特別にいつもより長く走るらしかった。
 まず駐車場に入れなかった。たくさんの駐車スペースがあったが、それ以上の車が来ていた。ようやく車を停めて、駅の中に入ると、気動車のエンジン音が聞こえてきた。ガラス越しにホームが見えて、気動車が現役さながらに停車していた。これは本当に凄いと思った。ホームに出ると、2両連結の気動車が停まっていた。2両というのがまたやる気満々に見えた。駅構内の施設もほとんど残っていた。跨線橋や向かいのホームには運転体験用の気動車が停まっていた。また留置線には別の気動車が停まっていた。跨線橋に上ると、本別駅と同じ作りだった。
 乗車体験は、13時ちょうどに出発した。廃線跡を現役当時の車両で走るなんて、死んでもいいくらい興奮した。車両は少し動いた後、すぐに停まった。何ごとかと思ったら、一般道とクロスするところだった。係の人が地上に降りて、回りの安全を確認していた。また動き出して停まった。今度は車庫の中を通った。窓から手や頭を出さないように注意があった。車庫を通りすぎると、いよいよ隣の駅まで走り始めた。速度は20kmくらい。緑の森の中を気動車は走った。何度も死んでもいいと思った。
 気動車の目的地は隣の分線駅だった。普段はこの手前で折り返しているが、年に6回くらいイベントで分線駅まで走るらしかった。分線駅までの間には、いくつかの駅が出来ていた。そこにはふるさと銀河線駅名標が立っていた。森の中にやがて小さな川が現れた。一回離れて行ったと思ったら、もう一度近づいてきた。
 25分かけて分線駅に到着。分線駅のホームは、運転席のためだけの長さしかなかった。係の人が言うには、本当はもっと長かったとのこと。分線駅の先は車庫になっていて、シャッターが閉まっていた。
 折り返しでは、係の人に話しかけてみた。私は感謝の意を伝えた。たった500円でこんな大規模な運転体験ができるなんて。現役のふるさと銀河線に乗ることは叶わなかったが、こうやって廃線後に乗る方が、プレミア感は高かった。まさに「銀河」にふさわしいファンタジーだった。陸別駅直前で転車台が見えた。そんなものまで、残ってるのか?1350に到着した。
 1355に出発して、14時の便を外から狙うことにした。完全にうざい人となった。1405、百恋駅。1420、分線駅。1430出発。
 1445、小利別駅。ソーラーパネルがたくさんあった。周りには潰れそうな木造の家があり、限界集落というか廃村みたいになっていた。
 小利別から先は池北峠越えとなった。元から駅間は長かったが、ここは本当に長かった。車も走らないような山越えであり、路盤はどこを通ってたんだろう?
 山を越えると置戸の市街に出た。1520、置戸駅。大きな建物だった。町の中心だけあった。裏のホームは埋められていたけど、ホームの延長線上のずっと先の方までレールが延びていた。人間ばんばのモニュメントがあった。ここが発祥なのか?1540、出発。
 腹減って疲れていた。陸別で大満足してしまっていた。この先にあまり期待ができないというのもあった。道道50号線に入り、北見を目指した。
 16時、訓子府駅。駅舎はバスの待合室となっていた。入るとたくさんの人がいて驚いた。1615、出発。
 1625、上常呂駅。駅舎は役所になっていた。土砂降りの雨が降ってきた。
 北見市街に入った。駅の手前で車を道端に停めて、これからどうするかを考えた。帯広に行くつもりだったが、3時間かかるようだった。もうくたくただった。帯広に行くのは断念することにした。道の駅を探すと、網走にしかなかった。
 国道39号線を網走方面へ。北見駅の前を通過。とてもお腹が減っていた。でも、北見ではあまり食べたいものがなかった。
 17時、回転寿司くるくる。北海道ならどこで食べてもおいしいだろうという読み。大正解。おいしかった。18時、出発。
 暗くなり始めた国道39号線を網走方面へ向かった。美幌を越えて、女満別に入ったところで、道の駅があった。19時、道の駅メルヘンの丘めまんべつ。たくさんの車が停まっていた。キャンピングカーも多かった。
 今日は車中泊をするつもりだった。練習通り寝床を作った。トイレに行ったら土砂降りの雨になった。車に避難した。車の中は激しい雨の音がした。また窓を閉めきると、とても蒸し暑くて汗だくになった。雨が止んだので、4つの窓を少し開けることにした。外に出てブログを打った。22時、電気が消えた。
 今日の陸別は最高だった。いろいろなことが重なって最高のプレゼントとなった。やっぱり百聞は一見に如かずである。行ってみるまではわからないなあ。明日には何が待ってるだろうか?