びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/05/02(月)年休「出雲」

 GW4日目。起床は4時半。今日はこの旅最大の目的である古代出雲歴史博物館に行く予定だった。先に出雲大社に行くので、朝食の権利を捨てて5時に出発。
 山陰道で松江中央ICから終点出雲ICまで。ほとんど車は走ってなかった。コンビニで時間調整後、大社駅跡を横切った。全体がネットで覆われていたのでスルーした。
 6時、出雲大社第二駐車場。さすがにガラガラだった。歩いて鳥居の前へ。昔はここで引き返した。今日は参道へ。松が2列に並んでいて、真ん中は通ることができなかった。松の根を保護となっていたが、神様が通るからと思われ?
 6時半、拝殿。大きな注連縄が目だった。でも、よく見ると、拝殿はガラス貼り。あり得ない!奥に行くと、八足門という風格のある門があった。その奥に本殿の上の方がチラッと見えた。
 隣に行くと神楽殿という建物があった。 何の建物かわからなかったが、こっちの注連縄の方が大きかった。
 650、90分の待ち時間なので、車を出した。目指したのは日御碕。出雲大社からは20分。海沿いの道は、まるで海に飛び込みそうだった。
 日御碕には入院時のエピソードがあった。若い女性のNさんはとても元気で明るかった。Nさんの出身を聞いて、Tさんが「もしかして日御碕の釣り船宿の」と言った。日御碕がどこか知らなかったし、なぜTさんが日御碕を知ってたのかは不明。どんな宿なのか気になっていた。
 710、日御碕駐車場。車中泊の人がちらほらいた。白い灯台があったので歩いて向かった。若干お店があったが、閉まっていた。灯台の説明書きでは日本で一番高い灯台とのこと。言われなければわからなかった。灯台から海岸沿いの遊歩道を歩いた。日本海が見渡せた。どんよりした日本海が早朝でなおさら厳しさを増したようだった。遠くの岩礁に釣り人がいた。波にさらわれたら死ぬようなとこに行く神経が理解できなかった。
 Nさんの宿はすぐ見つかると思っていたが、全然わからなかった。ネットで調べると、近くのおわし浜というところだった。宿の名前からはNさんの名前は想像できなかった。車一台がギリギリ通れる道を行くと、小さな入江に出た。そこに何軒か宿があった。そのうちの一軒がNさんの宿だった。Nさんは本当にこんな所に住んでたのだろうか?
 750、日御碕神社。出雲国風土記にも書かれている由緒ある神社だが、普通の神社にしか見えなかった。
 810、再び出雲大社第二駐車場。まだ全然空いていた。
 8時半、出雲大社宝物殿。平成の発掘調査で見つかった心柱があった。昔の本殿に用いられたとのこと。心柱は巨大な木が3本1組となっていた。出雲大社に伝わる資料の記述と一致したらしい。本殿の高さには96mと48mの2説がある。いずれにしても、東大寺大仏殿を上回る高さである。そして、本殿は何度も倒壊していた。私もいろんなとこでいろんなものを見てきたが、何度も倒壊するというのは初めて見た。余程高かったのだろう。
 宝物殿には、本殿に付随する国宝などもあり、なかなか楽しかった。神社あるあるだが、もう少し説明が丁寧にされてたらよかったのに。
 945、古代出雲歴史博物館に入場。ここで思い出して、心療内科の予約を試みた。今日は5月最初の平日だから行けるはず。博物館から心療内科へシュールな電話。一気に現実に引き戻されたが、生命線の部分だから省略することはできなかった。1軒目は休みだった。やっぱり無理か。ダメ元で2軒目。思いがけず予約が取れた。しかも、GW明け。今まで予約が取れないと悩んでいたのはなんだったのか?病院によって違う?
 腹が減りすぎて、博物館のマルカフェでぜんざい。出雲大社はぜんざいを推していた。
 1010、ようやくスタート。企画展「出雲と都を結ぶ道」。道路好きな私にはもってこいだった。山陰道は幅9mで、16kmごとに駅があった。そんなに立派な道が廃れたのはどうしてだろう?
 常設展。これが物凄いマニアックだった。旧石器時代からひたすら石器の説明。土器もたくさん。途中で我に返った。一体何を見に来たんだ?
 神話のコーナーもあったが、軽い説明に留まった。史実と違うことは展示しにくいよな。戦前の教科書が日本書紀から載ってるのが印象的だった。
 この博物館の目玉は荒神谷遺跡から発掘された銅剣357本と加茂岩倉遺跡から発掘された銅鐸39個。一つずつ並べてあり、これは圧巻だった。いずれも国宝。いいものを見せてもらった。
 1415、終了。なんと4時間。足の裏が痛くて、脳ミソもいっぱいっぱい。すっかりくたくただった。他の資料館も行こうかと思ってたが、銅剣と銅鐸を見て満足した。
 当初予定を変更して、せっかくだから、宍道湖の北を回って松江まで帰ることにした。
 1540、一畑電車一畑口駅。この駅はスイッチバックしていた。そして、昔は一畑駅まで伸びていた。部分的に廃止になった部分がずっと気になっていた。なんのことはない。全部県道だった。駅跡もはっきりしなかった。歩鉄さんもわからないならどうしようもない。写真も撮らなかった。
 一畑電車の由来は一畑薬師からである。どんなところなのか気になっていたので行ってみた。もの凄い山だった。そりゃ電車も廃止になるわと思った。もしかしたら、連絡バスがあったのかもしれない。
 1550、一畑薬師。突如山の中に現れた大きな駐車場。まるで墓地のよう。実際、ペットの墓地があるようだった。驚いたことに、数軒店があった。昔は賑わっていたのかな?
 ここは眼病に御利益があった。緑内障疑いの私にはちょうどよいと思われた。ただ、ご本尊は小さくて、薬壺を持ってるのかどうかもわからなかった。言い伝えによれば、漁師さんが海から引き上げたらしかった。小さくても仕方ないのかもしれない。
 ひたすら宍道湖の北に沿って進んだ。隣には一畑電車の線路が並行していた。宍道湖日本海と違って、薄い水色だった。琵琶湖と同じ色だった。
 17時半、松江駅の南の方にある「tabistやくも」。名前からしてゲストハウスのような気がしたが、普通のホテルだった。おばさんが気さくで、しばらく話し込んだ。
 夕食を食べるためにおばさんに教えてもらった店に行ったが、ことごとく休みだった。仕方ないのでスーパーでパック寿司を買った。
 今日は、古代出雲歴史博物館が凄くて、すっかり満足してしまった。出雲に巨大な国家があったという話はどこにもなかったが、弥生時代から古墳時代の辺りで言われてることが、頭の中で整理することができた。出雲は2日ではとても回りきれなくて、もう少し時間を取るべきだった。それはまた次回の楽しみとしたい。