びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/09/03(土)「伊豆1」

 今週末は伊豆に行くことにした。伊豆にはいくつか気になる仏像スポットがあった。車で伊豆に行くのは初めてだった。そして涼しくなってきたから北海道で味をしめた車中泊を試すつもりだった。7時に起床。9時出発。
 国道357号線は混んでいた。湾岸習志野ICから東関東道。首都高湾岸線に入り、道なりに進むと、東京港トンネル。普通のトンネルと異なり断面は矩形で、最近珍しいナトリウムランプが世界を黄色に染めていた。とても美しく近未来感溢れる景色だった。
 首都高中央環状線に入ると信号があり「トンネル」と書かれていた。何?以前、美女木JCで信号のある交差点が出てきて、大いにビビったことを思い出した。中央環状線はすぐにヤバい感じの地下トンネルとなった。トンネルはまったく地上に上がりそうな気配がなかった。これはもしかして前に何かで知ったものすごい長いトンネルではないか?後で調べたところ、これは山手トンネルと言い、道路トンネルとして日本最長の18kmだった。
 地下のまま大橋JCを迎えて東名高速へ。大橋JCではとにかくぐるぐる回って高度を稼いだ。何回回ったかわからないくらいだったが、後で調べるとたった2周だった。
 湾岸線の段階で東名高速の入口で渋滞していることはわかっていた。1時間弱面白くない展開が続いた。普通の週末でこんなんだとは東京はえぐいと思った。次回からはもっと早く出るしかないか。
 新東名に入ると120km/h区間が現れた。ハスラーで初めて130km/h出した。そこでスピードメーターが140km/hまでしかないことに気づいた。前のカローラで記録した150km/hはわからないようだ。もし振り切るとどうなるのだろう?
 11時半、鮎沢PA。道の確認。新東名の長泉沼津ICを下車。そのまま伊豆縦貫自動車道函南塚本IC下車。目的地を変更したため、三島玉沢ICに戻った。
 12時半、かんなみ仏の里美術館。ここは、地域で管理していた仏像を市に寄贈して、市が美術館として整備した。ボランティアガイドのおじさんが一組のお客さんに説明をしていた。これはチャンスと思って聞いてみたら、仏像の基本的な説明で知ってることばっかりだった。壁に掲示されている説明は詳しいようでいまいち抜けてるようにも見え、中途半端に思えた。おそらくあまりわかってないんだろう。
 仏像は平安の薬師如来坐像と、鎌倉の阿弥陀三尊、鎌倉から江戸にかけての十二神将像。平安の薬師如来はこの中では一番古いものの、見た目は完全に木造で檜の年輪がむき出しになっていた。鎌倉の阿弥陀三尊は均整がとれており黒光りして美しかった。十二神将も躍動感があった。
 1345、伊豆長岡のガスト。ガストはかなり久しぶり。いつものマグロ丼。そしておいしくなかった。
 1420、願成就院。今回の旅ではここが一番の目的だった。ここには国宝の仏像があった。国宝指定は平成25年。仏像の胎内から鎌倉時代の仏師運慶が作った証拠となる銘札が発見された。運慶と言えば、東大寺南大門の金剛力士像が有名である。また私は運慶のデビュー作である圓成寺の不動明王像(国宝)を見たこともあった。
 運慶の特徴は写実的であり、躍動感がある。でも、ここの阿弥陀如来坐像は、いたって普通だった。圓成寺の不動明王も意外に普通だったことを思い出した。ここの不動明王童子2人はきれいだったけど、そんなに躍動感は感じなかった。また毘沙門天立像についても同じだったが、踏んでいる邪鬼に特徴がありそうだった。邪鬼は毘沙門天の持っている三叉戟(さんさほこ)の下端を握っているように見えた。こんなのは見たことがなかった。みうらじゅんの言葉を思い出した。「上物は様式が決まっていていじりしろがないが、邪鬼は基準がないので好きに表現できる」。しかしながら、邪鬼の前に衝立があり、邪鬼の下側のほとんどは見えなかった。
 1510、韮山反射炉。前々から気になっていたが、今回の旅ではすっかり存在を忘れていた。反射炉は幕末に作られた鉄を溶解し大砲を作るための施設。入院前に萩の反射炉に行ったことがある。韮山には当時の反射炉がそのまま残っており、明治の産業革命遺産として萩とともに世界遺産となっていた。
 反射炉とはレンガでドームと煙突を作り、ドーム部分で熱を何度も壁に反射させることで1200度の高温を得る。高温に耐え得るレンガがなかったため河津でレンガを開発した。操業期間は短く、わずか7年だった。その理由はよくわからなかった。調べると、滝野川に新設されたらしいのだが?
 1610、江川邸。反射炉の建造を起案した江川英龍の家。16時半に閉館のため入らなかったorz。
 伊豆縦貫自動車道を南へ向かった。終点の月ヶ瀬ICで下車して、1645、道の駅伊豆月ヶ瀬。道を確認。
 国道414号線を南下。17時、給油。他にガソリンスタンドがないとは言え、176円/lは暴利を貪りすぎ!
 1715、浄蓮の滝。聞いたことあるような?強烈な下り階段。2週間前の北山崎を思い出した。滝は水量がすこぶる多く、しぶきが霧となり周囲の温度を下げていた。見事な滝だった。
 1750、赤城トンネルへの旧道への分岐がある国道脇の駐車スペース。相当な山奥だった。もしかすると赤城トンネルまで車で行けるかもしれないと思っていたが、通行止めだった。仕方ないので、歩こうと思ったら、看板には1.8km。暗くなってきたし止めようかと思ったが、せっかく来たのだしすぐに行けばなんとかなると強行した。
 旧道は砂利道だが、幅は広かった。誰もいないと思ったら、10人以上の集団とすれ違った。ゴミ袋を持っていたことからボランティアだろうか?砂利道はひたすらぐねぐねしながら緩やかに上って行った。馬車を想定してたのではないか?静かな山の中を独りで上った。北海道でもここまで孤独なシチュエーションはなかった。
 1815、赤城トンネルに到着。赤城トンネルは川端康成の小説で有名だった。なぜこんな山奥のトンネルが有名なのか不思議だったが、説明板には南伊豆への道路はこれしかなかったと書かれていた。てっきり伊豆急の通っている海沿いのルートがあるものだと思っていたので意外だった。
 トンネルは、薄明かりの中で誰もいないのに強い光を放っていた。トンネルの中には等間隔でランプが設置されていて、奥の方まで続いていた。石積はしっかりしていて、あまり古さは感じられなかった。長さは500m弱であり、頑張れば行けるのではないかと思ったが、帰り道が本当に暗くなりそうだったので撤退することにした。
 帰り道はだんだんと足元が見えなくなってきた。変な獣が出てこないように大声で歌を歌いながら下った。最後の方は足元がほぼ見えなかった。国道の車の光が見えた時は嬉しかった。
 1845、駐車スペース。歌を歌って車に乗ろうとしたら、暗闇の中に車座に座ってる人たちがいてびっくりした。さっきすれ違った人たちだろうか?何をしてるのかよくわからなかった。するとワゴン車が迎えに来てた。
 国道は現在の赤城トンネルを抜けると、これでもかというくらいぐねぐねの下り坂となった。こんなにも上がってきてたのか?五條にある天辻峠のようだった。
 河津を越えると、海が現れた。しかし、夜なので漆黒の闇に包まれていた。時折、対岸の街の光が見えた。
 1935、道の駅開国下田みなと。併設されてた回転寿司「魚どんや」。下田はキンメダイ推しだったので、キンメダイの握りから煮付けまで頼んだ。期待してなかったが、うまくてビックリした。退院後で初めてうまい寿司を食べた。これだけで来てよかったと思った。贅沢な時間だった。
 車の中でブログを打った。最近、涼しくなったとは言え、北海道に比べれば暑かった。よく眠れればいいのだが?