びーの独り言

どこいくの?どっか。

2014/04/13(日)休出「尖閣1」

 0520起床。いつもの身支度に加えて、スーツケースへの荷造り。0625寮の入り口でMクンと待ち合わせ。2人ででかいスーツケースを転がしながら、羽田空港に向かった。
 羽田空港ではまず発券。端末にバーコードとパスポートをかざすとちゃんと発券された。とりあえず今回は大丈夫そうでホッとした。次にMクンが送った仕事用の段ボールを受け取った。Mクンがどこからかでかい台車を持ってきた。次にスーツケースを預けた。ここでSさんと合流。次に両替。円を渡すと現地通貨とおつりをくれた。どこで両替すれば得かみたいな話があるが、両替してくれるならどこでもいいと思った。次に手荷物検査。ポケットの中のものをかごに詰め込んだ。みんななぜか上着を脱いでいた。脱がないでいると脱げと言われた。ポケットのものとは別の箱にカバンと上着を入れたら、X線にひっかかった。もう一度通すとOKだった。3回目は通さないのか?次は出国検査、厳かな雰囲気のブースに女性が座っていた。パスポートとチケットを見せたら、すぐにOKだった。次はようやく待合室。SさんとMクンと一旦別れて、いつものトイレにこもった。朝から腹が痛かったが、何も出なかった。便秘なんだろうと決めつけた。
 搭乗開始。客室は満員だった。席は真ん中のブロックの通路寄りで、外の様子はわからなかった。夢中になりそうな小説を一冊用意して、気を紛らわそうとした。するとすぐに眠気に襲われた。これはチャンスとそのまま寝た。気がつけば1時間以上寝ていた。しばらくすると機内食が振る舞われた。2時間ちょっとのフライトでそんなのがあるとはまったく考えてなかった。CAの負担も大きいし、このサービスいるんだろか?初めての機内食は、かにかまめし、つけめん、サラダ、饅頭、おかき。頑張ってる感はあるけど、味はイマイチ。食べ終わったトレイもなかなか片付けにこず、正直邪魔だった。
 空港到着。Sさんと一緒にタラップを渡ると現地語の看板が。遂に海外に上陸したと思ったが、意外にも感激は少なかった。すぐに入国審査があった。長い列ができていた。途中でArrival cardを書いてないことに気付き、Sさんと離れて横の方にあった記入台に向かった。後からMクンが来てくれた。よくできる後輩だ。再び列に戻ると、制服を着たムスッとした顔をした職員がいて、並んでると人たちを次々とブースに振り分けていた。とてもお国柄が現れていると思った。低い声で「One」と言われたので、「1」に並んだ。「1」にはアクリル板越しに制服を着たかわいい女の子が座っていた。顔は凛としていて厳しい感じだった。いきなり現地語で挨拶されて戸惑った。私は挨拶を返すのが恥ずかしくて、軽く会釈をしただけだった。女の子はパスポートをチェックしながら、「Look」と指差した。そこには液晶画面があり、私の顔が写っていた。女の子はパスポートに判子を押して返してくれた。そして「Goodbye」と言った。今度は私も「Goodbye」と言った。次に荷物を受け取った。Mクンは仕事用の段ボールも受け取った。最後にX線検査があった。ここにも制服を着たムスッとした顔の職員がいた。Mクンと並んでると、私だけ「Go」と言われて、X線検査はなかった。Mクンは仕事用の段ボールをX線にかけていた。この工程はイミフなんだが?
 ドアの外に出ると、柵があって、紙に名前を書いて掲げている人たちがいた。私たちの名前を探したがなかった。おそらく先にSさんが見つけたのだろう。先に進むとSさんが運転手のおっさんと待っていた。トイレに行くヒマさえ与えられず、おっさんはどんどん先へ歩いていった。周りの景色を見る余裕もなく、必死でおっさんについていった。駐車場にはクラクションが響いていて、平気で車が突っ込んできた。これは本当に危なかった。この国の洗礼を浴びたような気分だった。ワゴン車に乗り込んで、町の風景を見ていると、日本とどことなく違う建物に現地語の看板。なんとなく全体がほこりっぽかった。不思議と驚きはなかった。テレビで見る景色と同じだなと。一番驚いたのは運転だった。強引な割り込みにクラクション。道路もガタガタ、歩道もガタガタ。先進国のイメージは消え失せて、これは発展途上だと思った。それともこれが世界標準なのか?
 ワゴン車は高速道路に入った。高速道路は片側3車線くらいあり広々としていた。景色では巨大な高層マンション群が目についた。マンションの形は、窓が大きく、出っ張りが多く、装飾的な感じだった。とにかくあちこちに建っていた。建設中のものも数多く見られた。この国の規模の大きさとポテンシャルを感じずにはいられなかった。でも、同時に違和感もあった。どうしてこんなに高層マンションを建てる必要があるだろうか?
 ワゴン車はもう一つの空港で他の部署の人たちを拾った。ワゴン車は高速道路を走り、長い海底トンネルを抜け、超巨大な橋を渡った。教科書でしか知らなかった世界を代表する大河。水は濁っていて、橋は永遠に続くかのごとくはるか向こうまで続いていた。橋の真ん中が一番高くなっており、おそらく船が通れるような仕組みになっているのだろう。道は一旦中洲に上陸した。中洲と言っても巨大な陸地であり、地図がないとわからなかった。中洲には湿原が広がり、北海道の原野みたいになっていた。地平線が見え、この国の巨大さを実感できた。ところどころに家があり、家を作ってる人たちがいた。人力で一つ一つレンガを積んでいるのには驚いた。広い道路にはうちらのワゴン車以外には見えなかった。日本だと無駄な公共投資と批判されそう。ワゴン車が料金所に着いたとき、料金所の人はお札を両手で持って、空にかざして入念にチェックしていた。偽札かどうか疑ってるんだな。
 ワゴン車が工場に到着した。ずっと前から噂だけ聞いていた工場は、噂通りとても広かった。こんな遠い異国の地によくこんな巨大な工場を作ったものだ。なぜここを選んだのだろう?誰が図面を引いたんだろう?日曜日にも関わらず先発隊の人たちが働いていた。こんなとこで職場の同僚たちに会うことが不思議だった。また妙に親しみを覚えてしまうのも不思議だった。
 今日は働かず、荷物だけを預けた。再びワゴン車でホテルに向かった。高速道路からは高層マンション群が見えた。日本では聞いたことのない町に高層マンションが並んでいる。この国のスケールの大きさを感じた。高速道路の左には高層マンション群があったが、右には原野の中にポツンポツンと平屋の廃墟が。対称的な風景に不自然さを感じざるえなかった。まさにこのときうちの会社が抱えてる問題の本質もわかったような気がした。同時に、私はこの国の人たちが幸せになれるように貢献するだけだと思った。
 ホテルに到着した。Mクンがフロントでチェックインするのに倣ってチェックインした。フロントの女の子は片言の日本語を話せた。部屋に行くと日本とは全然違っていた。キッチン、リビング、寝室と分かれていた。ポットや電子レンジ、洗濯機まであった。水のサーバーもあった。この国では飲み水は大切だ。サーバーには水のボトルはセットされてなかった。そのとき部屋の電話が鳴った。出ていいものか悩んだが、勇気を出して取ってみた。フロントの女の子だった。「水が欲しいか」と言われたので、「欲しい」と応えたら、「すぐ持っていく」と言われた。ドアをノックする音が聞こえたので開けてみると、警備のおじさんがボトルを持って立っていた。日本語はわからなさそうな感じだった。ボトルを渡すとおじさんは去っていった。セットしてくれないのかよ?ボトルを受け取ったもののセットの仕方がわからなかった。ボトルの口はゴムで覆われていた。これをはずしていいものか?
 Mクンが欧州系ショッピングセンターに買い出しに行くと言うので、ボトルは一旦おいといた。ショッピングセンターの雰囲気は日本とほとんど変わらなかった。ここにくればほとんどのものは手に入りそうだと確認できた。お菓子売り場で表記の違う菓子を見ていると不思議な気持ちになった。ここはなんとなく変だ。でも、私が勝手に来ただけだよな。じゃあ変なのは私か。どっちだ?
 帰りにホテルの下のコンビニにも行った。「午後の紅茶」のレモンティーを2本買った。なぜかリラックマが描かれていた。日本でも描かれていただろうか?でかいお札を出すのは憚られたのでMクンに出してもらった。
 部屋に戻り、夕食の約束した時間まで、水のボトルを解決しようとした。キッチンの引き出しにあったハサミでゴムキャップに穴を開けてみたら、穴に黒い物がついていて、しかも魚臭かった。ハサミを見るとひどく汚れていた。こういうところがお国柄なんだろうな。フロントまで行き、女の子に開け方を聞いてみた。質問の意図を理解したのか怪しい感じで「キャップを開けてください」と言われた。
 18時半にホテルの2階にある日本料理屋へ行き、SさんとMクンと飲んだ。この居酒屋はまるで日本にいるようだった。ただやはり味は微妙に現地っぽいというか。いろいろ現地の話で盛り上がった。すべての話が新鮮で楽しかった。
 部屋に帰ったらすぐに寝た。夜中にひどい腹痛で目が覚めた。何かに当たったのかわからないが、強烈な歓迎だった。これでお腹の中が空っぽになったので、明朝のバスには耐えられるだろうと前向きにとらえた。