びーの独り言

どこいくの?どっか。

2012/10/06(土)「原発1」

 今年から鉄道の日の切符が秋の乗り放題パスになった。3日連続じゃないといけなくなったので、使い勝手が悪くなった。JR東日本はお得な切符をどんどん改悪している。
 3連休は福島第一原発の周りを攻めることにした。三陸津波の跡を見てショックだったので、原発の周りを見ることで考えが変わるかもしれない。将来のエネルギー確保のためなら原発は必要だという考えが。
 千葉みなと―東京―上野―勝田―いわき―久ノ浜―広野―いわき―泉。
 朝はゆっくりだった。旅よりも寝ていたかった。昨晩の酒は完全に余計だった。予定もまったく組んでなかった。おそらく宿はとれないだろう。こんな状態でスタートしてもろくなことがなさそう。行き先変更も考えた。しかし、行ってみたらなんとかなるだろうと強行した。
 電車の中で予定を組んだ。先に南側から原発の近くまで行き、明日に北側から原発の近くに行く戦略にした。今日はいわきに泊まりたかったが、いわきの宿は工事関係者でいっぱいぽく。水戸まで戻るプランを立てたが、あまりに無駄が多かった。それならいわきのネカフェがあるじゃないかと落ち着いた。ネカフェ最強!いわきに着いてからきちんと宿を探したら、いわきの南にある泉という駅前にルートインがあり、運よくGETすることができた。駅をずらすと見つかりやすいんだな。
 いわきまでは原発事故の影響はまったく感じさせなかった。普通に田んぼでお米を作ってるように見えた。常磐線はいわきより北の広野から不通になっていた。いわきからの電車には、そこそこ乗っていて、普段通りの様子に見えた。放射能と言っても、目に見えないから実感が湧かない。
 広野行きが来るまで待ち時間があったので、いわきと広野の間にある久ノ浜に行ってみた。wikiによれば、津波により壊滅しているらしかった。駅はなんともないように見えたが、海の方に歩くと、すぐに建物が消え去り、海まで見渡せた。建物の基礎だけが残り、雑草が生い茂っていた。いくつかの建物の跡地ではおばあちゃんらが何かをしていた。誰か家族が亡くなったのかもしれない。先の三陸では、建物の基礎はきれいに取り除かれていたが、ここではまだ生々しく残っていた。注目地域以外は撤去が進んでないのかもしれない。土を見ると陶器の破片やプラスチックが混ざっていた。きっと津波直後はがれきがすごかったんだろう。海側から陸側を見ると、あるところまで壊滅し、それより先の建物は残っていた。まるで生と死の境目のようだった。運命というものを感じずにはいられなかった。
 警戒地域に一番近い広野に到着した。小さな駅だった。ここでは2時間の余裕があった。検問があるというJビレッジまで3.5kmだから、歩いてもなんとかなる。しかし、運悪く雨が降りそうだった。駅前にはタクシーがいた。往復7kmだったら3000円で済む。ここまで来たら乗るしかない。一度タクシーに乗ってはみたものの運ちゃんと話してたら、検問は先月4km延長されたらしかった。往復の見積もりは5000円。即座に明日レンタカーを借りようと思った。
 広野の待ち時間を利用して駅前の飲み屋に入った。すると客はいなくてゴルフクラブを握ったじいさん、漁師風の日焼けした厳しい顔だった。一瞬失敗したのではと思った反面、貸し切りで地元トークができるかもしれないと思った。その前に明日のレンタカーを探した。泉の駅レンをGETすることができた。
 じいさんから何しに来たのか聞かれた。正直に今回の旅行の主旨を答えたら、じいさんは静かに熱く理路整然と語り出した。「地震のときは津波が来て、海の方は古い家が多くて流された。古い家は基礎より上が浮いてしまうんだ。津波の次は原発が爆発して、みんな車で逃げた。でも、どこも大渋滞で、普段10分でいわきに着くのに、3時間もかかってしまった。パニックだったよ。とにかく逃げないと危ないんだから。この辺も誰もいなくなった。俺も逃げた。しばらくは白河に避難した。数日は原発の影響で戻ってこれなかった。最近はこの辺も土の除染をしたから警戒地域が少し縮まったが、誰も測定値など信じていない。ここらでも排水溝とかは危ないだろう。俺は30年も生きられないからいいけど、子供らは常に気をつけてる。行政は何もしてくれない。いっぺんこっちに家族を連れてきて住めばいいんだ。誰も初めてのことだから、誰もわからない。俺たちはモルモットだ。金持ちは遠くに逃げれるけど、金がなければ死ねということだ。」、シンプルで強烈なメッセージだった。これほど厳しい言葉があるだろうか?誰もわからないのだ。わからないのに安全だと言われる。安全だったと言われてきた原発で事故は起きた。それでもまた安全と言われて信じられるか?我々が普段当たり前だと思ってる安心感がここにはない。直接被災地の人に触れることで感じることがあるんじゃないかと思って今回の旅を企画したが、紙面や映像からは決して伝わらないリアルすぎる現実があった。あれから1年半が経って世間は忘れかけているけど、ずっと苦しんでる人たちがいる。政治家たちが政局ばかり見て、被災地復興が一向に進まないのは、日本国憲法にうたわれている基本的人権を踏みにじる重大な犯罪とすら思えてきた。民主党が無能だということはわかったので、さっさと政権交代して、実行のある対策をするべきだ。わけのわからない反日国家に援助する余力があるなら、まずは自国の国民を助けるべきだ。助け合いの精神がなければ、国としてまとまってる意味はない。
 泉の「ルートイン」には20時には着いていた。今日はもう十分満足していた。泉という地名は知らなかったが、小名浜のことである。改名すればいいのではと思った。