びーの独り言

どこいくの?どっか。

2012/09/01(土)「旅行2」

 会津若松には観光スポットを巡る循環バスが走っている。0750に駅前でバスのフリー乗車券を買った。8時ちょうどのバスに乗った。
 まずは鶴ヶ城に行った。地方の城にすぎないだろうと予想してたが、あまりに大規模で驚いた。立派な堀に石垣、白くそびえる天守閣。付近はきれいに整備されており、緑豊かな居心地のよい空間になっていた。
 天守閣は昭和40年に再建されたもので、中には資料が展示されていた。展示はとても充実しており、大いに想像力をかきたてられた。会津若松鎌倉時代後半あたりには葦名家の支配を受けていた。戦国時代には伊達政宗蒲生氏郷上杉景勝加藤嘉明と目まぐるしく領主が変わったが、徳川秀忠の隠し子である保科正之の統治で落ち着いた。そして松平容保のときにクライマックス。松平容保と言っても有名ではないが、白虎隊を知らない人はいないだろう。会津藩戊辰戦争の時の旧幕府側の中心だった。松平容保が戦局を見誤ったから悲劇が起きたと言えばそれまでだけど、そういう書き方はされていなかった。松平容保は今でも地元のお殿様であり、批判的には書かれてなかった。松平容保鳥羽伏見の戦いの後で自ら謹慎したが、新政府軍はそれを許さず会津に攻めてきた。だから会津は被害者的立場だったという見方もある。あのときどっちを選べばよかったのかなんて、そんなこと誰にもわかるもんか。ただいつも割りを食うのは一番下の位のものである。
 展示が一通り終わり地階に戻ってくると、渡り廊下をつたって別の建家に誘導された。そこからは来年のNHK大河ドラマで取り上げられる山本八重子を特集していた。山本八重子は同志社を創立した新島襄の奥さんである。ここでは内容は書かないけど、こんなに波乱万丈な人生があるのかと。震災から頑張って立ち直ろうというところにもってこいの題材だ。脚本も「ゲゲゲの女房」の人だし、大ヒットするんじゃないだろうか。
 城の後は会津若松B級グルメソースカツ丼を食べに行った。そんなB級グルメがあるとは全然知らなかった。ソースカツ丼は「吉野家」で食べたことがあるけど、ソースの酸味がご飯とよく合っておいしいというイメージがあった。店を調べるといくつか店があり、どこも店ごとにかなり特徴があるみたいだった。ちょうどバスの先にあった「白孔雀食堂」に着いたのは1130、どこにでもありそうな小さな地元の食堂。どんぶりからはみでるくらい大きなカツが特徴だった。カツには特製ソースがかかっており、しっとりとしていた。食べると甘くて、酸味はなかった。最後まで飽きずに食べれたが、面白いものを食べたという気もしなかった。所詮有名ではないB級グルメなんてこんなもんかもしれない。
 飯盛山は白虎隊が自決した場所で有名である。白虎隊は16から17歳の少年兵から構成されていた。白虎隊が飯盛山から、新政府軍から攻撃を受けている鶴ヶ城を見たとき、煙に包まれていたことから城が落ちたと勘違いした。私には主君と運命を共にした部分より、武士として一番やってはいけない犬死だったように思えてしまう。勝手にゲームセットだと思いこんだのがダメ。生きていれば敵に一撃を与えることもできただろうに。なぜこのエピソードだけがお涙頂戴的に全国に有名なのか理解しづらい。若いのにかわいそうに、ということならば、神風特攻隊の方がグッとくる。飯盛山はお墓だらけだった。白虎隊以外に戦死した人のお墓はわかるが、一般人の墓もあった。白虎隊に憧れていたのだろうか。いずれにせよお墓を前にして神妙な気分になってしまった。飯盛山から鶴ヶ城を眺めると、遠くに小さく見えただけだった。ここからの眺めだけで城が落ちたかどうか判断できないと思うが。そのときの時代背景や集団心理が引き起こした事件ということか?
 飯盛山にある白虎隊記念館に行った。手書きの説明やガラスケースに無造作に置かれている展示物。もう少し見せ方をなんとかできないのかなあ。もう1箇所白虎隊伝承史学館に行ったが、まったく同じノリだった。一つにまとめられないのかなあ。
 飯盛山の近くにある白虎隊が集まったという滝沢本陣に行った。昔の農家を見せてるだけ。展示物はほこりまみれ。説明が達筆で読む気が湧かなかった。戊辰戦争のときの銃弾跡や柱の刀傷があったくらい。
 16時過ぎてから鶴ヶ城の近くにある会津酒造歴史館に行った。酒蔵見学できると聞いていたが、震災で壊れたらしく、歴史館だけ閲覧できた。酒蔵の社長が所蔵している展示物を見ることができる。展示物よりは、日本酒の作り方のパネルの方が興味深かった。
 歩いて17時開店の居酒屋「籠太」に行った。この店はこないだ富山で教えてもらった太田和彦のご推奨。太田和彦の目利きが確かかどうか確かめたかった。驚いたことにカウンターは予約で埋まっており、1830までの時間制限となった。きれいでおしゃれな店内で、ご主人と奥さんが切り盛りしていた。お二人とも気さくな感じで話しかけてくれた。こういう雰囲気は独り者には嬉しい。郷土料理であるにしんのわさび漬けと馬刺しを食べた。どちらもうまかった。生ビールの次は福島限定「泉川」を飲んだ。そして太田和彦ご推奨の焼き鳥セットで締め。何を食べてもおいしかった。「今度は予約しますから」と言って店を後にした。
 「籠太」では食事を押さえ目にした。それは太田和彦ご推奨の店がもう一軒あるから。「麦とろ」、びっくりした。まったく客がいなかった。なんかやばいとこに来たんではないかと思った。ここはおじいさんとおばあさんがやっていた。看板メニューである麦とろ定食と末廣の生酒を選んだ。おじいさんは見た目とは違いトークが切れまくり。色々と会津のことを教えてもらった。
 なぜ昔郡山より会津が栄えていたのか?会津では猪苗代湖の水が使えたから。郡山には阿武隈川が流れているが、かなり低いところを流れているので、水が利用できなかった。だから郡山では安積疎水を猪苗代湖から引っ張ってきた。なぜ会津は福島で一番大きな町だったのに県庁所在地でないのか?戊辰戦争で負けたから。長岡と米沢も同じ。なぜ会津というのか?2人の神様が会ったところだから。それから西会津村では熊がたくさんいる。朝いつも木にぶら下がっているくらいw。
 サービスでなすの漬物やにしんのわざび漬けをいただいた。途中で入ってきた2人組の人には自家製のどぶろくをいただいた。本当に楽しい時間だった。今度会津若松に来るのが楽しみになった。地元の人との触れあいは旅で一番の醍醐味だ!