びーの独り言

どこいくの?どっか。

2012/09/02(日)「旅行3」

 適当に起きたら5時半だった。今日は喜多方に行くつもりだった。レンタサイクルの時間を調べたが、よくわからなかった。とりあえず7時からのラーメンを狙うために、始発の次の0650で出発した。
 喜多方駅前のレンタサイクルはまだやってなかった。駅からラーメン屋までは少し距離があるため、荷物をコインロッカーに預け、とぼとぼとラーメン屋を目指した。有名な「坂内食堂」の横を通ると、既に何人か客がいた。こんな時間にどっから来るのだろうか?今回「坂内食堂」はスルーした。そんなにうまいとは思わないし、チェーン展開してるから東京でも食べられる。「坂内食堂」の先にはレンタサイクルがあった。まだ7時半なのに開店準備をしていた。ラッキー。1日1000円で自転車を借りた。その先に目当ての「あべ食堂」があった。パンフレットの写真を見てこの店を選んだ。朝なのにテーブルが全部埋まっていた。ラーメンの味はスープが塩辛くて残念。もしかして一昨日の「来夢」が一番おいしいかもなんて思った。
 自転車に乗って喜多方駅に戻り、最大の目的である日中線の廃線跡探索をスタートした。日中線は、喜多方から米沢を目指したが、途中の熱塩で終点になった。廃止前には1日に3往復しか走らず、「日中に走らない日中線」と言われていた。路線長は11.6kmなので、初めての廃線踏破にはちょうどよいと思われた。日中線が分岐した地点からはちょうど3kmのサイクリングロードになっていた。しばらく感動してたが、すぐに飽きてきた。普通にアスファルト舗装すればいいのに、ブロックを埋め込んだり、じゃり道だったりして、とても走りにくく。しかも、きちんと整備されておらず、ブロックがボコボコだったり、ブロックの間から草が伸び放題だったり、木の枝がはみ出してたり。途中SLが置いてあるだけで、ほとんど利用している人もなく、こんな状態ではせっかくのサイクリングロードが残念でならなかった。
 サイクリングロードが唐突に終わってからも、しばらくは路盤跡をトレースできたが、川が出てきたところでわからなくなった。その地点では、堤防上に新しく熱塩行きのサイクリングロードが出現したが、路盤が堤防上に重なるとは考えにくかった。また川を渡る道路橋がかかっていたが、日中線が川を渡っていた痕跡も見つけられなかった。結局、この先路盤をロストしてしまいサイクリングロードをトレースすることになった。
 新しいサイクリングロードはアスファルトできちんと舗装されていた。しかし、1人のサイクリストとすれ違っただけで、誰も利用してなかった。道の周りは堤防だけあって草がぼうぼう。だんだん山が近づいてくると、まさに緑の中を独りでサイクリングしてる図式。サイクリングはまったくスピードが上がらず全然気持ちよくなかった。途中で本当に帰りたくなるくらい辛かった。こんなに体力が落ちたのかとかなりイヤな気分になった。やっとこさ熱塩に着いたのはスタートから1時間半後だった。
 熱塩駅の駅舎は保存されており、中は資料館になっていた。資料館を管理するおばちゃんと、車で旅行してそうなおじいちゃんが一人いた。熱塩は子供の頃から知っている駅でずっと気になっていた。念願が叶ったはずだけど、それ以上に既に疲れはてていた。駅舎を見て、かつてここにSLが来ていたんだと想像力を働かせてみたが、うまくはいかなかった。私は昔を思うより、寂れた今が見たいんだと思う。行きすぎた整備は風情がなくてあまり好きじゃない。もし、戊辰戦争で破れなければ、会津若松から喜多方を通って米沢に至る路線は幹線になったかもしれない。タイミングが悪かったんだよな。
 帰りは熱塩から路盤をトレースしたが、すぐにわからなくなってしまった。自転車でも見失うのだから、廃線跡探索はなかなか難しい。事前に古地図などで調べなきゃダメだな。自転車は行きの不調がウソのように快調だった。田んぼと時折林の中を気持ちよく駆け抜けた。要するにずっと下り坂だった。行きの不調はなだらかな上りだったことにようやく気づいた。駅があった上三宮の集落を通ると、郵便局と交番があった。きっとその辺りに駅があったのだろう。
 疲れたので喜多方観光はどうでもよくなっていた。自転車を返したとき「坂内食堂」には80人くらいが並んでいた。途中のお菓子屋さんでかき氷を食べて、さっさと1236の電車で帰った。郡山では50分待ちで、先週と同様満員になった。黒磯から乗った快速ラビットは先週乗った時間と同じだった。
 今回の旅行は金曜日に前乗りしたので長く観光できた。長年気になっていた会津若松鶴ヶ城飯盛山に行けてよかった。それから太田和彦のご推奨する居酒屋をチェックできたのもよかった。特に「麦とろ」のご主人さんは最高だった。日中線の廃線跡を探索できたのもいい思い出になるだろう。今回はとても充実していた。