びーの独り言

どこいくの?どっか。

2013/08/18(日)「旅行9」

 目覚ましは7時にセット。ちょっと遅いかなと思ったら、やはり1時間くらい出遅れた。居酒屋を優先してるために、観光が犠牲になってるなあ。
 勝山町―松山―今治―観音寺。
 松山駅では「穴子寿司」を食べた。最近妙に穴子にはまってる。うなぎよりあっさりしてていいじゃないかと。なかなか旨かったので、また機会があれば。
 今日は今治を狙った。今治ゆるキャラ「バリィさん」でブレイク中。私の今治のイメージはしまなみ街道と造船であり、観光という感じではなかったが、。バリィさんがブレイクしてるので何かあるかと。
 まずは今治城に行った。今治城はお堀に海水を引き込んでいる珍しい城である。天守閣が視界に飛び込んできたとき、思ったより大きくて驚いた。天守閣は5層?鉄筋コンクリートの6階建て。なぜ鉄筋コンクリートだろうかと自分なりに考えてみると、再建しようにも資料が残ってないのかもという結論に達した。入り口の鉄御門は木造であり6年くらい前に再建された。門の前のスペースは四角くて三方を壁に挟まれていて、これを枡形と言う。松山城と同じく、敵を枡形で鉄砲隊のえじきとするのである。中の展示物はホコリをかぶっていた。小田原城と同じパターン。棚卸ししろよと言いたい。解説文は読みやすくはないが、慣れてくると、妙に充実してると思えてきたり。でも、そろそろ更新したら?
 ここも松山城と同じく徳川家康の異母兄弟が代々治めてきた。一度世継ぎを決めないまま当主が亡くなり、お家断絶の危機になったが、徳川家に近い松平家であったことから、庶子の孫に相続させるという超法規的措置が取られている。不思議なことに戊辰戦争の展示はなかった。松山城の展示によれば、今治は新政府側だった。今治は松山と違い徳川家を裏切ったかも?明治以降の異人もなし。城は大きいけど、近代化に乗り遅れた小藩だったのかなあ?
 山里櫓は古美術館になっていた。天守閣の展示から溢れたものが置いてあった。解説文のノリが同じだった。
 鉄御門の内部に入ってみた。再建が新しいので木は全部新しかった。余計なものはほとんどなく、ただ真新しい回廊が延びていた。
 御金櫓は郷土美術館になっていた。愛媛県出身の芸術家の作品が飾られていた。宇和島で見た高畠華宵も入っていた。智内兄助という人の作品が気になった。
 B級グルメの焼豚玉子めしを食べに行った。バリィさんが有名になってから宣伝し始めた気がする。地域に根付いてるかはかなり疑問。駅の観光案内所で教えてもらった「白楽天」に行くと、ものすごく車が並んでいた。焼豚玉子めしは、焼豚に甘いたれをかけて、玉子を落としたものだった。おいしくてペロッと平らげてしまった。そりゃ玉子使えば大抵はおいしくなるって。
 1427今治発で出発。今日の宿泊は観音寺。17時にふくちゃんと合流。ホテル「サニーイン」を飛び込みで確保。ふくちゃんのアパートを見に行くと、完全に田んぼの中だった。これを見れたのが一番の成果かな。一応琴弾公園の銭形を見に行った。出張で見たことがあり、イマイチなのは知っていたが、やはり微妙だった。15年前を思い出すことすらもなかった。飲みは「じゅじゅ庵」。電話して後輩Sも呼び出した。私にはこの後輩2人がかわいそうに見えた。まるで宇都宮時代の私を見るようだ。基本的には自分で道を切り開くものだが、人を導くのは人である。そういう意味では2人は出口のない状態に陥っている。私ができるのは同情するくらいであった。