びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/07/29(金)「12H1」

 12Hのリレーマラソン。時間が経つのは早い。腰痛と膝痛で練習できずにこの日を迎えた。焼け石に水状態で練習して想定内の怪我。この時点で終わっていた。怪我だから仕方ないとサバサバしてたが、直前になると宿題を忘れた小学生のような惨めな気分になった。自分で決めたことなのに、後ろ向き気分全開だった。誘いを引き受けた段階でわかってたのにね。4人で12H。一人3時間。「2時間なら」って姑息な条件をつけたけど、忘れてるだろうなって。一番怖いのがリタイアすることだった。一人と違って連帯責任だからね。それからこんなメタボでごめんなさいというのもあった。ない袖は振れないのに必要以上に不安になってるのがわかった。そんなに悪いわけないじゃん、たった1日の辛抱だよ、これが終わったら旅行だよ、と言い聞かせた。
 1845頃国立陸上競技場に到着。うろうろしてる人たちは少なくとも腹は出てなかった。ゼッケン541のブースを見つけるとH夫妻と弟さんがいた。その刹那、不安はなくなり腹が据わった。既にテントが出来ていてありがたかった。テントの前がコースになっていて、タスキ受け渡しもできた。周回1.4kmのコース、競技場のトラックも入っていた。スタートを見に行くのにHさんとスタンドに出た。とても高くて大きなスタンドだった。19時スタート。
 夜中に2時間かなと思っていたが、どういう順番で走るか知らなかった。最初は1人で1周を2回だった。弟さん、旦那さんの次が私だった。2人ともとても速かった(驚)。最初の一周はコースを知る意味で新鮮だった。コース図で立体交差があるのでアップダウンが厳しいのではと思っていたら、案の定、強烈な下りと上りがあった。トラックは夢の島より硬くて、腰と膝的に面白くなかった。ゆっくり行こうと思ってたら、周りを走っている人につられて力が入った。それでも走ってる人たちは速くて抜かれまくった。今さらだけど、自分の体力のなさをうらめしく思った。タイムを見たらオーバーペースだと思った。でも、皆さんより一番長くコースを体験してた。
 次は1人2周だった。助っ人のKさんが来た。事前に知らなかったからとてもありがたかった。4人と5人じゃ大きな違いだ。2周だからというわけではないが、だんだんばててきて上りが大変になり始めた。汗もたくさんかいた。2時間の時点で先が長いと思った。で、周りの目も気にせずペースダウンする作戦に出た。6時間まではなんとかなったが、足も前に出なくなってお腹いっぱいだった。そのとき10周で14kmだった。たった14kmなのか、昔は平気だったのにね。