びーの独り言

どこいくの?どっか。

はじめての言語ゲーム

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

 橋爪先生の第5弾。この本にはすごく期待していた。ヴィトゲンシュタインを解説した本だからだ。でも、さすがに難しくてわからないかもしれないと思った。
 ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」と「哲学探究」を解説している。素晴らしいの一言。わかりやすくて、ドラマチック。先生の文才は素晴らしい。伝えたいという気合が伝わってくる名文だ。3回読んだ。
 「論理哲学論考」の有名なフレーズ、「語りえぬことについては、沈黙しなければいけない」は言葉と現実の事象は一対一で対応するので、現実の事象でないことには黙らなければいけないというわけだ。橋爪先生によれば、神もいないし生きることに意味なんてない、という立場だそうだ。ヴィトゲンシュタインはしばらく表舞台から消えてしまった。
 で、再登場してからの「哲学探究」がもっと凄かった。言葉と現実の事象が一対一対応するという前提を否定できることに気づいた。すなわち、「このバラは赤い」というのが正とするなら、同時に「このバラは白い」は否定されるということを見つけたのだった。では、言葉とはなんなのか?言葉とは対象を対象とみなすふるまいのことを指す。不特定多数の中で言葉の意味を共有する言語ゲームであると!例えば、りんごがあるとすると、それを皆でりんごと呼ぶゲームであり、お腹が痛い場合は、その痛み自体は人に伝えられないが、痛いというふるまいを言葉によって伝えることができる。この理屈で言えば、語りえぬことも語れるようになる。神や生きる意味について他人と共有することが可能になるのだ。
 絶対主義的な「論理哲学論考」と相対主義的な「哲学探究」の組み合わせは完璧に見えてしまう。ヴィトゲンシュタインはあまりにも天才すぎる。この年になってまだこんな驚くことがあるとは。それと橋爪先生の本は凄すぎる。もっとあるみたいだからもっと取り寄せよう。