びーの独り言

どこいくの?どっか。

2010/10/28(木)「沖縄」

 M会の沖縄視察だった。初めての沖縄。うちの業界は沖縄とは無縁なのでまさか行けるとは。とは言え、二次会メンバーでグループを勝手に旗揚げして沖縄を提案したのだがw。今日は本島を回り、明日は宮古島を回り、土曜日の朝に解散してレンタカーで宮古島観光、19時に皆さんと別れどこかのゲストハウスで泊まり、日曜日も観光して19時の便で帰る予定だった。
 起床は0530。新木場からりんかい線天王洲アイル、モノレールで第一ターミナルへ。到着は0730くらい。集合は0815だったので誰も来てなかった。朝食を物色して思わず目が合ったますのすしにした。期待どおりおいしかった。0900発の沖縄便は「天候不良の場合は引き返すことがあります」と表示されていた。皆さん集合されてチケットが配られた。乗り込むと三人掛けの真ん中だった。隣はOさんだった。隣の窓側が空いてたので移動した。離陸する前、後ろの席で赤ん坊が泣いていた。離陸を見届けて私は眠りについた。
 起きたら2時間経っていた。もうすぐ那覇だった。モニターには徳之島付近であることが示されていた。私は本を読んでいた。アナウンスがあって着陸体勢に入った。機体が揺れた。私は本を読んでいた。モニターには南側から那覇空港に接近することが示されていた。私は本を読んでいた。ふっと機体が上昇を始めた。アテンダントのアナウンスが入った。「着陸できなかったので羽田に戻ります。理由は機長から説明します。」。意外なことに機内にはなんの反応もなかった。しばらくして機長の説明が始まった。「強風のため警報が鳴ったので規程により戻ります。」。私は2つ隣のOさんに言った。「あれだけ台風が近づいていて飛べるんだったら、世の中に引き返す便なんてないですよね。これじゃまるで、一応飛んでみたけどごめんなさいですよね。」。モニターに映しだされる進路は那覇空港を通りすぎ、そのまままっすぐ行けば中国みたいな感じだった。
 私はずっと本を読んでいた。ふと窓の外を見ると眼下に雲海が広がっていた。富士山に登ったことを思い出した。多分、飛行機に乗る度に同じことを思うのだろう。まるで飛行機は止まっているようだった。窓は氷ついてフラクタルな模様を描いていた。静かな世界、ずっとこのままのような気がした。
 羽田に着いたのは出発から5時間後だった。本は読み終えていた。みなさん集まって中止が告げられた。神戸や関空から出発した人は着陸できたらしい。私たちの前の便も着陸できてたらしい。運悪くたまたま強い風が吹いたんだろうな。誰も悔しさを見せる人はいなかった。皆さんが大人というのもあるだろうが、どちらかと言えば会社に戻らないとな、という感じだった。遅い昼食を食べて皆さんと別れた。
 東雲駅で降りて会社まで歩いた。少しきつい雨が降っていた。持っていた折り畳み傘の骨が一本折れた。会社到着は16時。会社に帰ったのは単に不幸自慢をするためだった。ネットで調べてみると、航空会社が諦めない限り、自分で止めるとキャンセル料が発生するようだ。そういう意味で那覇まで行って折り返すのは仕方なかった。責めるなら事前に欠航を判断できないJALだろう。引き返すかもしれないけどキャンセルに金は取るというのはいかがなものか?結果的に搭乗者の時間も奪った。時間を売っているのではないのか?降りれたり降りれなかったりが風任せではいつか想定外の突風でも起きたら事故るんではないか?空港上空の風くらいラジオゾンデを飛ばすなりして把握できないのか。素人が見てもヤバいくらいくらい今回は台風が直撃してた。それでも天気予報は信用できないのか。この科学の時代に。
 心配していたキャンセル料の方は、帰りの便はツアーで取ったのでかからなさそうだった。レンタカーの方はホテルから電話がかかってきた。おそらくM会が宿泊をキャンセルしたのだろう。こちらもキャンセル料はかからなかった。いや、もう別にキャンセル料なんてどうでもよかった。
 今回、沖縄にはあと一歩届かなかった。行けなかったことは残念だけどそれはそれで仕方ないと思った。キャンセル料は発生しないし、将軍様にネチネチ言われることもなくなった。最初から何もなかったことになった。何かできることがあったかと言うと結局何もできることはなかった。でも、全くの徒労ばかりではなかった。いろいろアプローチしていくつかのことを知った。宿はゲストハウスが多そうで、レンタカーが安くて、宮古島は意外に小さいなど。沖縄はお金がかかりそうな印象だったけど、航空券以外はそうでもないらしい。一度旅したいと思い始めている。
 五臓六腑は準備万端だった。代償を求めて「鬼丸」。久々に奥さんが入っていたが、一心不乱にブログを打っていた。