びーの独り言

どこいくの?どっか。

2009/08/27(木)年休「旅行⑥」

 旅行6日目。久々の車中泊は日光とともに目覚めた。網走を6時スタート。北へ行こう!
 最初は能取湖。00年にやすをと来たことがある。そんときの印象は残ってないが、今回は景色がきれいだと思った。ただ、根室の方がきれいだな。
 能取湖をぐるっと回っていると、偶然に元湧網線卯原内駅を発見した。客車があったのでわかった。客車はライダーズハウスになっていた。駅舎はなかったが、ホームと駅票が残っていた。さらに路盤はサイクリングロードとして整備されていた。網走から常呂までの30km以上。鉄道は勾配が緩やかなのだ。ここをジョギングしたら最高だろう。湧網線は景色がきれいなので有名だった。
 次はサロマ湖。ここもやすをと来たことがある。美しい場所だという印象は、今回も変わらず。ここでトライアスロンするのもわかる。原生花園があったが、パスして先を急いだ。
 サロマ湖沿いに国道を進むと、元湧網線計呂地駅へ。実は印象がない。WIKIの写真を見ても思い出せない。本当に行ったのかな?
 次に元湧網線常呂駅へ。ここはカーリングで有名。跡地はバスターミナルになっており、痕跡は残っていなかった。駅の立地や路盤からしか当時を想像するしかなかった。
 次は元湧網線の終点中湧別駅。名寄本線に接続していた。ここはホームと跨線橋が保存されていた。跨線橋とは珍しい。木製で雰囲気満点だ。併設されてる道の駅には温泉があった。まだ昼前だったけど、車中泊だから入っておいた。ぬるぬるしてすべすべ。
 次に元名寄本線四号線、湧別駅方面へ。ここは盲腸線になっていて、1日2本で有名だった。どんな辺鄙なとこだろうと思ったら、意外に町だった。跡地は壊されているらしいので、軽く探索するにとどめた。
 再びオホーツクを北上。元名寄本線紋別駅へ。紋別はやすをと訪れた町、だるま湯という銭湯に入ったのを覚えている。ふとあのとき夕食を食べた店を見つけたような気がしてジーンとした。駅跡はバスターミナルになっていて、痕跡はなかった。前後の路盤もわからない有り様だった。
 内陸に進路を変えて元渚滑線をトレースした。車では路盤を見つけることができなかった。終点の滝上町は意外に大きく、製材所からチェーンソーの音が聞こえてきた。昔は国産材がメインだったが、外国産が増えて林業の町は衰退したんだよな。北見滝ノ上駅は交通公園になっていた。駅舎は移築されて保存されていた。木製の雰囲気ある造り。中には資料が展示されていた。こういうのは頭に入りやすい。
 山道を北上して、元名寄本線上興部駅へ。何もない小さな集落。駅舎やホームの保存状態は良好。昔の機動車もグッド。ここは新旧のバランスが取れておりなかなかの雰囲気を持っている。穴場だ。
 オホーツクに戻り元名寄本線興部駅へ。ここからは興浜南線が出ていた。跡地は道の駅になっていて、客車が停まっているだけだった。例によってライダーズハウス。併設の資料館に名寄本線と興浜南線関連の展示があって充実していた。
 すでに薄暗くなっていた。南下して未踏の区間を通り紋別で泊まるつもりだったが、その区間にはWIKI調査で物件がないことがわかったので、元興浜南線をたどるべく北上した。終点の雄武駅は道の駅になっていた。何の痕跡もなく、偽物の駅票があるだけだった。
 車を停めてここで寝ることにした。掃除してたおじさんに話かけると、飲み屋を教えてくれた。こんな小さな町で教えてもらえるのはラッキーだった。ただ、居酒屋の外観は入りづらくて、おじさん推薦の「港楽食堂」にした。お客さんは誰もいなかった。感じのよいおばさんが切り盛りしてた。メニューで海鮮物はウニとイクラ丼だった。ウニは7月には終わっていたらしいから、イクラにした。また、サンマの煮付けもいただいた。実は地の物ではなかったり。ここはカニとシャケが有名。おばさんと話してたら、サービスでカニが出てきた。でも、これはよそで取れたズワイらしい。ハサミで殻を割り、身をほじくりだして食べると、おいしくて旅行してる気分に浸れた。ここでも携帯を忘れたが、おばさんが追っかけてきたので助かった。
 道の駅に帰ってきて、おじさんに挨拶したら、そのまま1時間以上も話してしまった。マナーの悪い旅行者、昔勤めていた製材所、東京にいる娘さんとか。旅は地元の人と交流するのが面白い。またいい思い出ができた。