びーの独り言

どこいくの?どっか。

2009/08/28(金)年休「旅行⑦」

 旅行7日目。車中泊は2泊目。雄武を7時スタート。
 オホーツクを北上して、興浜北線の終点北見枝幸駅へ。興浜南線と北線は遂に繋がることなく廃止になった。大体接続駅すら廃止になっている。こんなとこに鉄道が通っていただけで不思議。どんなとこか見届けるために私はやってきた。ここから先はやすをも知らないw。MBのOさんは知っている(驚)。さて、北見枝幸駅はバスターミナルになっていて、痕跡は残っていなかった。代わりに廃線跡が興浜通りとして道路に転用されていた。たどっていくとすぐに行き止まりになったが、その先の道路の高架に電車用の空間が残されていて、思わずニヤッとしてしまった。
 オホーツクを北上し、興浜北線に沿って進んだ。神威岬という有名なポイントがあった。遠くから見ると霧がうっすらとかかり幻想的な雰囲気を醸し出していた。いかにも海に出っぱっていて、斜め30度で山が海に落ちていた。国道から逸れて岬を回った。通る車はない。こんなとこに鉄道が通っていたなんて、とても信じがたい。路盤はどこだと探していたら、先端の岩に切り通しを見つけた。興奮した。感動した。路盤に登りたくなったくらい。誰もいない北の僻地で独り悦に入っていた。
 さらに北上し、元興浜北線豊牛駅へ。WIKI調査では物件があるらしい。国道からちらっと見えて引き返したら、駅舎がそのまま残っていた。小さな小屋。コンテナサイズ。路盤は草ぼうぼう。トレースは不能。遠くの並木に不自然な隙間。そこを電車は通り抜けたのだろう。こういう自然な廃が趣があってよろし。
 やがて元興浜北線の終点浜頓別。ここは天北線に接続していた。駅跡地はバスターミナルになっており、痕跡は何もなかった。
 ここからは天北線に沿って内陸を南に向かった。下頓別駅では駅跡を確認できなかった。バス停付近が怪しかったのだが。中頓別駅はバスターミナルになっていて、資料が展示されていた。松音知駅は草ぼうぼうの原野に駅舎とホームが保存されており、絶品の廃だった。敏音知駅は道の駅になっていて、痕跡はなかった。
 音威子府駅に到着したのはちょうど昼だった。天北線の起点は音威子府駅であるが、宗谷本線の駅として現役である。2年前の旅行では、往復で各1時間待ちを食らった。あとで同期Tに、そば食ったか、と聞かれた。黒いそばが名物らしかった。それ以来ずっと気になっていた。今回遂に願望を成就することができた。確かに黒っぽいそばで、食べると甘かった。今まで食べたそばとは違い、なぜか旨いと感じた。これは話題になるわけだ。
 現役の宗谷本線に沿って南下した。90km/hくらいで国道を飛ばしていた。見通しの良い下り坂の直線、全然気づかなかった。左の草むらに停まっているパトカー、首を左に回したとき、パトランが回り始めた。しまったぁぁぁ!何かの間違いかもとスピードを緩められない。パトカーが前に割り込んだとき、ようやく諦めた。感じのよいおまわりさん、その感じのよさが惨めさを増幅させた。裁判所は勘弁と思ったら、21km/hオーバーで、逆に見逃してよって感じ。2点減点、15000円の罰金。俺は捕まるために北海道に来たのか?納得いかない。ついてない。旅行気分が台無しだ。その後は鉄板の安全運転でした。
 美深からはかつて美幸線が出ていた。日本一の赤字路線として有名で、100円稼ぐのに4000円かかった。この路線、北見枝幸まで75%完成していたが、開業したのは仁宇布までだった。日本に一番最後に電気が通ったともいわれる人口希薄地帯、とんでもない山奥を高規格でぶち抜いたこの線は、国鉄末期の象徴だった。さて、終点仁宇布にはトロッコ王国ができていた。廃線をトロッコで走ることができる。車を走らせてると途中からレールが見えて大興奮。トロッコ王国のスタッフに聞くと、全長5kmもあるそうだ。ここはNPO法人が運営しており、いろいろと裏話を聞かせてもらった。雨と時間の都合上諦めたが、ここは廃線マニア垂涎のスポット。是非再訪したい。
 仁宇布から北見枝幸までは未成線。どこまでもひたすら山で、車すら走っていなかった。それっぽい線形を見つけると路盤ではないかと色めきたち、橋を渡るときは橋台がないか目を凝らした。途中の天の川トンネルが未成線を利用したものとのこと。長いので驚いた。
 今日2回目の北見枝幸から浜頓別へ抜け、今度は天北線を北へ向かった。ここからは原野が広がる人口希薄地帯。国道を走るが、路盤はわからなかった。浅茅野という表示があったので国道から離れると、すぐにサイクリングロードを発見。そばに案内看板があって、浅茅野駅跡だと知った。バスの転回場になっていた。
 国道を南に戻り、ある物件を探した。1度不首尾に終わり2箇所目。右手にそれは朽ち果てていた。サイクリングロードに接した板張りでボロボロのホーム。廃の風情満点、飛行場前仮乗降場だ。この名前だから有名になった。私も国鉄駅(略)。戦時中に浅茅野飛行場があったというが、定かではない。確かにだだっ広くて平坦な空き地がある。空き地に降りて地面を触った。よく刈り込まれた芝生。サッカーでもやれば、気持ちよさそうだった。まさかここに来れるとは思ってなかった。ほぼ最北端の原野。積年の思いが成就した瞬間。間違いなくこの旅のハイライト。惜しむべくは、駅名票がなかったことだ。
 さらに北上。芦野駅は交通公園になって何もなかった。鬼志別駅はバスターミナルになっており、資料が展示されていた。ここで思いがけない物を見つけた。飛行場前仮乗降場の駅名票、ここにあったのか。よかった。思わずジッと見いってしまった。ここには他の駅名票も集められていた。先に進み、小石駅、曲淵駅は味気ない交通公園になっていた。沼川駅は見つけられなかった。樺岡駅はバス停に駅名票があった。これで廃線巡りは終了。
 風雨がきつかったが、ここまで来たのだから、最北端の宗谷岬に行った。00年のやすをとの旅行以来、あのときは天塩出身のFさんに連れてきてもらった。相変わらず鋭角三角形のモニュメントがあるだけで、何も面白くもなく。
 30kmの道程を経て稚内駅についた。車を停める場所がなかった。散々迷って、防波堤ドーム前のスペースが気になった。2年前に泊まった「氷雪館」の人に聞くと、国交省の駐車場で停めても構わないとのことだった。19時、車を停めて飲みに行った。飲み屋はすぐに見つからなかった。駅前に「はせ川」という店があった。構えが気に入らなかったが、仕方なく入った。おじさんに稚内の名所を聞いたら特にないとのこと。利尻と礼文を絶賛された。今回の旅の候補にもしてたから、少し悔しかったり。うちの会社の名前を出したら、関心してた。雄武でもそうだったし、北海道での知名度は抜群のようだ。場所が変われば反応も変わるんだなあ。