びーの独り言

どこいくの?どっか。

2008/06/06(金)「独り言」

 大学のとき卒論発表はOHPで10分。わずかな時間なのでいちいちテクニカルタームの説明はしなかった。「わからない方が悪い。」と教えられた。論文にしても同様で読みやすさよりは正確さが求められた。相手に理解してもらう努力はあまり必要としてなかった。
 会社では完全に逆転した。相手にきちんと伝えなければいけないのだった。伝えることができなければ、仕事してないのと同じだった。例えそれがアホな奴でも仕事である以上避けることができなかった。入社する半年前、ある人が所長への報告の際に「勉強してくださいよ。」って言ったがために転勤になった。
 コミュニケーション能力というか自己表現がきちんとできるというか、これは私にとって頭の痛い問題である。長年、自分を表現したら相手が理解してくれると思っていたが、実際は自分が思ってるのとは違うみたいである。滋賀に行って営業とつきあってたら、そんなことがよくわかった。私の周りにはいない人種である。
 彼らは常にきちんとした身なりで笑顔を絶やさなかった。会話も内容以前に調子よく進めた。私は身につけるものは無頓着で寒さが凌げればよいと思っていたし、しんどいときはしんどい顔をするのは当たり前だと思っていた。実は初対面の場合など人のことを見た目や声の調子で判断してる自分がいて、やってることがちぐはぐだったりした。
 自分を評価するのが他人であるなら、きちんと自分のことを理解してもらわなければならない。それは魚の種類に合わせてえさを変えるようなもの。会話の中で瞬時に機転を利かさなければいけない。相手に不安を与えるようなしぐさや表情を見せてはいけない。この辺の融通が全く利かないわけ。これを意識的にコントロールするのは非常に難しいと思ってる。
 馬でもいろんなタイプがいる。他の馬が気になって仕方ない奴とか、他の馬がいないと追いかけないとか。一度工場に行ってみてなおさら思ったのは、自分の適性は研究所かなと思うわけで。マイペースでじっくりと考える方が性に合っている。新しいことが好きな反面、協調性に欠けている。自分のエゴを押し通すわけ。
 このブログ自体もエゴの塊のようなもので。人様を楽しませるのは目的にしてない。自己満足だ。かっこつけるわけでなく、思いついたことを書いている。自分の戦略を晒すなんてアホかなと思うが、読んでくれてる友人には利害関係があるわけでもないし。
 このところ私はプライベートにおいて、人に理解してもらうより、自分の世界を大切にしようとしている。他人を基準にするとどうしても無理が生じる。自分と違う考えを尊重することがひどく難しいのだ。だから自分を基準にして、心が気持ちよくなる方向へと歩こうとしている。どうしても誰かと飲みたくなるときは、私は万人を満足させる術を知らないが、幸いなことに何人かの友人がいる。彼らはどんなときも友人でいてくれた。きっと私は恵まれているにちがいない。これから年をとり時間が少なく感じられるのかもしれないが、そんな貴重な時間は自分のために気持ちよく過ごしたいものだ。