びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/09/27(月)「車通勤」

 初めて車で通勤した。今まではAさんの車に乗せてもらうことが多かった。Aさんは裏道として東海道を使っていたが、昨日そのルートを通ったところ、道の両側に家が立ち並び、道が狭く離合がめんどくさかった。いつか人や車と接触するのではないかと思われた。
 今日はAさんも試していないという北の裏道を試すつもりだった。しかし、直前にある国道1号線へ入ってしまった。国道1号線は情報通り渋滞していた。あまりに進まないのでイライラした。国道から見える北の道では気持ち良さそうに車が走っていた。渋滞に巻き込まれているのが馬鹿馬鹿しくなり、左折して北の道に抜けた。スムーズに先に進めた。どん詰まりで渋滞にはまったが、まだ許せる範囲だった。
 トータルで34分かかった。電車よりは20分早いけど、思ったよりも大変だった。こんなんじゃ先が思いやられるなあ。

2021/09/26(日)「湖東三山」

 一晩ぐっすり寝たら気分は一新していた。寝不足だったようだ。昨日の段階では出かけるつもりはなかったが、やっぱり出かけたいと思った。しかし、外は無慈悲な雨。先送りすることも考えたが、今日できないことは明日もできないという精神で出かけることにした。
 11時出発。公共施設は開いてるかどうか期待できないので湖東三山を狙った。湖東三山とは、西明寺金剛輪寺百済寺のことである。ここもまた15年前から気になっていた(そもそも15年前は観光に目覚めていなかった上に、寺社仏閣を完全に避けていた)。
 国道1号線で水口に行き、国道307号線にスイッチした。近江鉄道沿いの区間は一度ジョギングしたことがあり、見覚えがあった。こんな歩道のない車道を走っていたとは。迷惑極まりなかった。
 ずっと国道307号線を進み、永源寺の案内が出たので、その方向に進んだ。湖東三山よりも永源寺という名前の方が馴染みがあった。昔、MBのMさんが永源寺の出身であったことを思い出した。永源寺は山間のとんでもなく不便そうなところだった。寺の前まで来たけども、駐車場に車が停まってなく、人気もなかったので、寄るのを止めた。
 12時過ぎに湖東三山の一つ目は百済寺(ひゃくさいじ)。社務所でチケットを購入。石段を上がっていくと、杉が真っ直ぐ天に伸び、世界は緑に包まれた。とても雰囲気がよかった。石段に先にあった本堂は、昨日の長寿寺よりも感動しなかった。国宝だと思っていたが、後で調べたところ国宝ではなかった。惜しくも織田信長に焼かれた後の再建とのこと。15年前の大学友人Sと木ノ本に行った時に、滋賀の寺は大体織田信長の被害にあっていることを思い出した。ご本尊は秘仏だった。
 駐車場の横に茶店があり、パックに入った松茸ご飯を食べた。そういえば丹波篠山でもパックに入った松茸ご飯を食べたような?店のおばちゃんが、試食用の佃煮たちを勧めてきたので、一緒にいただいた。旅行してるような感じがした。
 13時半、二つ目は金剛輪寺。受付のおばさんが境内を説明してくれた。ずっと上りが続き10分くらいかかるとのこと。ここもまた杉の木立にもみじの組み合わせだった。ただ、石段がコンクリート混じりの中途半端なものだった。途中から道の両側にカラフルな風車を持った小さなお地蔵さんがたくさん並んだ。
 国宝である本堂は大きかった。前の東京オリンピックの時に日本を代表する建築物として、東京国立博物館に1/10モデルが飾られたとのこと。こちらは織田信長に火をつけられたが、僧侶が消したらしかった。ご本尊は秘仏だった。土産物を売っていた大きなおばさんが声をかけてくれたので、いろいろ話した。ここの人は皆フレンドリーだった。
 15時前、三番目は西明寺。ここはそんなに上りがなかった。国宝の本堂は・・・何度も見てると段々珍しさが失くなってきた。ここは国宝指定一号とのこと。名だたる名刹をさしおいて一号というのは不思議だ。ここも織田信長の焼き討ちを逃れた。麓を燃やして山全体が燃えてるように見せかけたとのこと。国宝かそうでないかは織田信長基準のように思われた。もし、織田信長が焼き討ちをしてなかったら、滋賀には国宝だらけだったかもしれない?
 本堂の隣には三重の塔があり、こちらも国宝だった。塔の外観はいいんだけど、中って見たことないからあまり興味がわかないんだよなあ。
 本堂の中には、ご本尊の入った厨子があった。ここもまた秘仏だった。滋賀には秘仏しかないのか?秘仏は何年に一回ご開帳することで客を集めるものと聞いたことがあるが、ここまで秘仏が多いと本来は別の宗教的意味がありそうな気がする。それにしてもご本尊が秘仏ではなんか残念。
 土産物を売っていたおばさんが一つ一つ丁寧に教えてくれた。厨子の周りには日光菩薩月光菩薩十二神将。この辺りが何度聞いても覚えきれないんだよなあ。たまたま秘仏が一つ公開されていて、800円のお守りを勧められた。話を聞いただけに断りづらく、うまい商売だと思った。お守りには「勝守」と書かれていた。あらゆる試練や災難に打ち勝つらしい。今の私に必要なものかもしれない。勝守の根拠となったのが「刀八毘沙門天」。これは上杉謙信の信仰で知られているとのこと。独身だからご利益あるかな?
 16時前、時間が余ったので金剛輪寺に戻り、隣接している愛荘町立歴史文化博物館に行った。湖東三山の歴史を知りたいと思ったが、期待とは違っていた。年表のところに金剛輪寺赤報隊が結成と書かれていた。あまり知られたくないことなのかもしれない。
 16時半、撤収。水口のサイゼリヤで夕食。3日連続のアヤハディオに寄り道して帰宅した。
 完全に旅行モードだった。まるでレンタカーに乗ってるみたいだった。今日は長年気になっていた湖東三山に行けてよかった。昨日の長寿寺含めてすべて天台宗。そのうち総本山の延暦寺も行かなければ。

2021/09/25(土)「ダメ」

 11時家を出た。石部や水口を観光するつもりだった。せっかくなのでAさんを誘ったら断られて、「車に2回ワックスかけた方がいいよ」と言われた。
 11時半に東海道石部宿歴史民俗資料館に行こうとしたが、コロナの緊急事態宣言のためかやってなかった。
 三雲トンネルを通って、水口に移動して、西友から新町交差点まで移動して、水口城趾を探した。水口城趾は15年前からずっと気になっていた。近江鉄道の踏切を越えた辺りにあるはずだが、見つからなかった。サイゼリヤの隣にあった松乃家で昼食。
 再び西友の方に戻ろうとして、近江鉄道の踏切を渡ったところで、左折すると水口駅があった。城は水口城南駅の近くにあったはず。思いっきり道を間違えていた。
 気を取り直して水口城南駅の方に行くと、堀と櫓が見えた。近くの体育館に車を停めて、城跡に行くと、休みだったorz。
 公共の箱物はダメらしい。まだまだ時間を残しながら、行くところがなくなってしまった。
 14時、帰ろうとしたらサイゼリヤのところにブックオフがあった。車用のCDが欲しかった。私は尼崎の寮の時にCDをすべて処分していた。最初からミスチルを買うつもりだった。ベストを2枚買った。
 車でかけたけど、音がこもっていてあまりいい音ではなかった。それでも車内の様子は一変した。自然と口ずさんでいた。
 昨日に引き続きアヤハディオに行った。Aさんに言われていたカーワックスを買った。車でも洗うかと思ったら、小雨が降ってきたorz。
 15時、家の近くのセブンイレブンに戻った。石部には国宝の寺が2つあった。これらもまた15年前からずっと気になっていた。もしかしたらお寺なら開いてるかもしれない。
 まずは常楽寺に行った。無慈悲な臨時休業だったorz。こんなにもうまくいかない日は珍しい。ここまで来たら近くの長寿寺も行ってみた。こちらは予想に反して開いていた。
 入り口の古い茅葺きの門からして雰囲気があった。緑に囲まれた参道は、あちこちフォトジェニックな仕掛けが施されており、実際に写真を撮ってる人もいた。
 参道の奥に茅葺き屋根の本堂があった。国宝にふさわしい佇まいだった。木造の本堂は、その木の質感から長い年月を感じさせた。また素人目にも木組みが通常とは違うように見えた。パンフによれば、紫香楽宮の頃に建てられたそうだった。
 本堂の中に入ると、中央に厨子があり、これも国宝だった。厨子の中には秘仏があるそうだった。厨子の両側には観音菩薩像が鎮座していた。
 この寺は嵐山の寺みたいに緑に囲まれていて、静かで落ち着いた場所だった。本堂の他にもいろいろ見所が多く、写真をバンバン撮りたくなるようなところだった。石部の山奥にこんなところがあるとは意外だった。
 今日はことごとくダメだった。明日予定してたところも緊急事態宣言下ではダメの可能性が高い。仕事もダメだし、すべてがダメだ。疲れた。早く寝よう。

2021/09/24(金)祝「MIHO MUSIUM」

 今日は年休だった。車が来たので、車でしかできない用事を済ませたいところだったが、遊べるのは今のうちだけと思い直し、無理矢理出かけることにした。平日を生かしてMIHO MUSEUMにしようとしたら予約制だった。諦めそうになったが、強引に12時入場で予約した。
 10時半に出発。途中旧国道1号線沿いのガソリンスタンドでセルフ給油した。150円台とはだいぶ高くなったものだ。iDが使えたのが新鮮だった。
 MIHO MUSEUM信楽のとんでもない山奥にあった。昨日の三雲トンネルを通り、天理スタミナラーメンの交差点を右に曲がると信楽までは一直線だった。新名神と交わるところで、右折して新名神に沿って走った。右折する車など他になかった。「この先通行止め」の看板があり、ヒヤヒヤした。MIHO MUSEUMの看板が出てきた時はホッとした。道が通行止めになったところで左折。完全な山道となり、ぐねぐねと曲がりまくった。
 MIHO MUSEUMに到着。雰囲気が清潔感に溢れていた。MIHO MUSEUMは宗教法人と関係がある美術館であり、フォトジェニックな施設として評判だった。平日にも関わらず駐車場は満杯に見えた。近くの建物に入り、受付に行った。受付の女性はとてもピシッとした身なりをしていて、とても上品に見えた。印刷したチケットを見せると、美術館への行き方を案内された。美術館へは徒歩で10分、または巡回しているカートに乗ることができた。徒歩を選択、行く手にはトンネルが見えていた。
 トンネルの壁はすべてSUSで覆われていた。こんなトンネル見たことなかった。数mおきに間接照明が設置されて、暗闇の中にやわらかい光を放っていた。非現実的で幻想的な空間だった。
 トンネルを出ると斜方橋になっており、複数のワイヤーで橋を支えていた。前から女性2人組が歩いてきて、一人がトンネルの前でポーズを取り、もう一人が写真を撮っていた。
 橋の先には美術館があった。美術館の前でも女性がポーズを撮っていて、本格的な撮影をしていた。
 12時前に受付でチケットを見せて入館した。ここの受付の人もさっきと同じきちんとした身なりをしていた。廊下からはガラス越しに信楽の山々が見渡せた。緑あふれる山の中からは2つの建物が頭を出していた。もしかすると、宗教法人と関係のある建物かもしれない。この景色は足立美術館の庭園を彷彿とさせるものだった。
 まずは喫茶店でランチ。有機野菜を使ったもので、高かったけども、とても美味しかった。
 特別展から見た。「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」、すべての絵に解説がついていて親切だと思った。室町時代からの日本の絵画の変遷を説明していた。いつも思うのだが、各時代の特徴が掴みにくい。一度まとめて勉強する必要があるのかもしれない。
 ここでマスクのひもが切れた。ずっとマスクを手で押さえながら観賞することになった。スペアを持っておく必要性を痛感した。
 常設展は、西アジア、南アジア、中国などの出土品を展示。数は少ないものの選りすぐりの技巧を凝らしたものばかりだった。残念なのは個々の詳しい説明がついてなかったこと。また全体の説明はあったけど、わかりにくくて頭が混乱した。なぜアジアに着目してたのかはわからないが、もしかしたらここの宗教の出自と関係があるのかもしれない。
 14時過ぎに撤収。MIHO MUSEUMはフォトジェニックではあったものの、美術館としてはあっさりしていた印象。全体的にとてもきれいに清掃が行き届いており、職員の接客や建物も展示もすべてが完璧に思えた。高級感あふれる贅沢な場所であり、どこか妙な緊張感があり、背筋が伸びるようだった。
 時間が余ったので、信楽滋賀県立陶芸の森に行くことにした。ジャパンがあったのでマスクを買った。
 陶芸の森の中にある陶芸館に行った。ここは丘の上にあり、信楽を一望できた。ここは15年前にFさん夫妻と来たような気がする。信楽と言えばここの印象が強かった。企画展では、5人の作家の動物をモチーフにした作品を展示していた。最初に出てきたウサギがかっこよくて衝撃的だった。動物の中に自分を投影して、メッセージを載せるスタイルとのこと。
 陶芸の森の中の信楽産業展示館へ。たくさんの陶器が並べられていた。店で花瓶を買った。
 16時半、帰路についた。天理スタミナラーメンは開いてなかった。途中で昨日見つけられなかった15年前に住んでたアパートを見つけた。自分が思っていた
駐車場の配置と異なるのに戸惑った。
 水口のアヤハディオに寄り道。今まで車がなかったので、ホームセンターに行くことができなかった。合鍵を2本作り、45Lの足踏み式のゴミ箱を2つ、自動車のルームミラー、ガラスクリーナーを買った。今後、自動車関連のグッズが増えるだろう。
 15年ぶりに水口のサイゼリヤに寄った。辛かった思い出しかよみがえってこなかった。
 家に帰り、花瓶に昨日の花を生けた。かなりいい感じだった。
 今日は強引なオペレーションだったが、うまくまとめることができた。暗いことを考えるヒマがあるなら、楽しいことで上書きしたい。

2021/09/23(木)「納車」

 今日は納車の日だった。しかし、仕事が暗い影を落としていた。思いきって車買っちゃったけど、本当によかったのか?いつまで滋賀にいるかわからなくなってるし、無駄になりはしないかと?ワクワクした感じは微塵もなかった。
 16時、石部駅にディーラーの人が迎えに来た。ディーラーに着くと、右にある商談スペースではなく、左の方に案内された。そこはガラス張りの小さい部屋になっていて、私のと同じ色の車が展示されていた。あれっ、と思って、良くみると後輪に傷があった。私の車じゃん。ビックリした。テンションが上がった。これが私の車になるんだな。思わず持ってきたカメラで写真を撮った。車の前にはサインボードも用意されていて、私の名前と日付が書かれていた。ちょっと恥ずかしかった。
 任意保険の手続きをして、各種事務的な説明を受けて、車のボタンの説明を受けた。前のカローラとは雲泥の差だった。キーはドアのボタンを押して開閉した。キーレスエントリーすら使わないのか?エンジンをかけるにはキーを差すのではなくボタンを押した。サイドブレーキは左足で踏むようになっていた。ライトにはオートがあった。複雑な安全装置がたくさんついていた。もはやエアバッグやABSなど当たり前過ぎて説明もなかった。ETCも標準だった。
 最後に整備の人が出て来て名刺をもらった。なんで整備の人がと思ったら、「おめでとうございます」と小さな花束をもらった。私は、別にめでたくはないんだが、と思った。花にいたっては、これも経費だろうな、と思った。でも、私の人生で花束をもらうことは初めてだし、今後ももらうことはないような気がした。小部屋の透明な蛇腹が開けられて、外に出られるようになった。カメラで記念撮影までしてくれた。中古車を買っただけなのに、人生の華やかな一頁みたいな演出があるとは思わなかった。結婚式をしたことがない私にとって、これが結婚式の代わりかと思った。
 車に乗り込み、窓を開けて、店員さんに挨拶して、走り出した。目の前の国道1号線に出るのに難儀した。合流してしまえば、ギクシャクしながら走った。軽なので踏んでもパワーがなかった。こんなにもパワーがないのかと思った。おっさんにはちょうどいいのかもしれない。
 そのまま約束してたAさんのアパートに行った。18時頃、Aさんのアパートに到着。Aさんに電話した。Aさんは車を見るなり、さかんにいいなあを連発した。Aさんから餃子の王将を提案されたので、貴生川の天理スタミナラーメンを勧めた。三雲駅から山側の三雲トンネルを抜けて、その先に天理スタミナラーメンがあった。
 ここの天理スタミナラーメンには15年前に1回来たことがあった。また昨年、近鉄奈良駅の天理スタミナラーメンに行ったことがあった。あの時、おいしかったのでまた食べたかった。久しぶりのラーメンは思ったより美味しくなかった。店によって違うのだろうか?
 帰りは、昔住んでたアパートを探したが、よくわからなかった。西友の横を通って、懐かしい平和堂の横のサイゼリヤのとこを通って国道1号線に出た。Aさんは「こっちの方が栄えてるやん」を連発していた。昔から栄えていたが、それにしてももっと店が増えていた。
 どうせなので下田の方に行ってみた。相変わらず何もなかった。こんなとこを夜な夜なよくも走っていたもんだと思った。ダイハツの先で折り返した。
 Aさんとずっとしゃべりながら運転してたので、運転の怖さはなくなっていた。Aさんと別れて、アパートの駐車場に入れた。駐車の向きは苦手な方だった。そのうち慣れるだろう。
 花束の写真を撮って、紙コップに生けた。すさんだ心が明るくなるようだった。ネットで調べると、花びらが赤くて白で縁取りされているのがカーネーション、深紅の小さい花はバラ、ピンクの小さい花はハイブリッドスターチス。部屋に花を飾るなんて考えもしなかったが、心を上向きにするのにアリなのかもしれない。

ルワンダ中央銀行総裁日記

 少し前に本屋に平積みになっていた。帯の文言が面白かった。「46歳にしてアフリカの小国ルワンダ中央銀行総裁に突然任命された日銀マンが悪戦苦闘しながら超赤字国家の経済を再建しつつ国民の生活環境を向上させた嘘のような実話」。
 最近の話かと思ったら1965年の話だった。ルワンダは、白人に暴利をむさぼられて健全な発展の機会を奪われていた。そこで著者は、ルワンダ人の生活を見て、何を望んでいるのかを調べ、ルワンダルワンダ人の手によって自立できるように、施策を次々に打ち出した。施策の効果は確実に現れた。言葉では淡々と綴られているが、まったく容易いものではないことだらけのように思えた。システムがきちんと機能した時のパワーは凄まじい。
 この本は美談として語られているが、後日談として、悲惨極まりない大虐殺へと繋がる。部族間の対立が引き金となり、隣国のウガンダの介入を許した。あまりにも不幸過ぎる出来事であった。もし、経済発展したことと関係があるとするなら、なんとも皮肉なことである。
 とても面白かった。これが実話というのが信じがたかった。まるで池井戸潤の小説のようであった。日本人の素晴らしい業績である。もっと有名になるべきだ。願わくばもう少し専門用語を説明して欲しかった。でも、それを差し引いても充分にお釣りが来る内容だった。

2021/09/22(水)「絶望」

 Aさんが「部長のところに悪代官から電話がかかってきて30分間、同じ説明を4回してもわからないと言われていた」と言った。悪代官は社長の太鼓持ちで、東京の評判はこれ以上にないくらい悪かった。今回のテーマで部長やMさんが調査不足に見えるのも相当急かされているからなのかもしれない。Mさんが方針の立案に私を絡ませないのも、私を悪代官の魔の手から守るためなのかもしれない。
 かつて偉い人にターゲットにされた人を見てると、とにかく社長の取り巻きが「早くやれ」しか言わず、その次には「なんでできない」であり、守れない締め切りを約束させられ、締め切りを破って責められて、と延々と殴られ続けられるのである。そこに建設的な技術の話は一切ない。これをパワハラと言わずして何をパワハラと言うのだろう?
 数日前にしんがりなんてことを書いたけど、じわじわと恐怖感がわいてきた。技術的に実現不可能で、使用用途もない。失敗する以外の未来しか見えない。この先少なくとも2年間はタコ殴りになるだろう。果たしてそんな希望のない状態にいつまで耐えられるか?もはや給料うんぬんの話ではない。真の目的がリストラとするなら、思いっきり敵の術中に嵌まっている気がするが?
 どうにも策がない。考えても仕方ないことは考えない方がよさそうだ。

2021/09/21(火)「主張」

 所長からMさんが今後のスケジュールを立てるようにと言われた。その席上で考えていることを言ってみた。今やってるのは難しそうなので、計画を一つ飛ばして芽がありそうな方がいいのではないか?順調にあしらわれたけど、私がどういう奴かを知ってもらったような気がした。
 デスクワークはMさんと所長がやるみたいなんだけど、なんか調査不足のような気がする。調査してるのかもしれないが、コミュニケーション不足だと思う。「モノだけ作って、余計な口出しするな」だろうとは思うけど、これでもこれまで調査も実務もやってきたんだけどな。
 今回、なんか物足りない。主張が押さえ込まれてて、どこか納得いかない。元がクソゲーだから、しょうがないのかもしれない。

2021/09/20(月)祝「独房」

 この三連休、普段ならどこかに行くのだが、まったく出かける気がわかなかった。滋賀に行く前は、滋賀から大阪に行くかもしれないし、なんて思っていたけど、いざ滋賀になると、行くのは大変としか思えなかった。尼崎にいた時にいろいろ行ってて本当によかった。
 周りが静かすぎて流刑になったような気がした。本を読むには独房が一番乗りいい、というのと同じように、仕事するにはいい環境だった。仕事してると言っても、普段のネットサーフィンが、仕事関係のネットサーフィンに置き換わっただけだが。ただ休みに仕事をしていると、これでいいのかと思う。つまり、仕事以外は何もしていない。
 どこにいたって独りのはずなのだが、今回の閉塞感はもの凄い。既に知ってる土地で、やりがいのない仕事。なんにも面白くない。ただただ、人生を浪費してるだけ。こんなことするために生き延びたのではない。なんか対策が必要だな。この生活では希望がなさすぎる。

2021/09/19(日)「仕事」

 初出勤の日に所長から論文が3つ送られてきた。すべて英語だった。水曜日に読もうとしたが、だいぶ単語の意味を忘れていて、全然進まなかった。そのまま休みに読もうと先送りになった。
 今回の内容には粘弾性がよく出てきた。過去に何回調べても粘弾性だけはさっぱりわからなかった。貯蔵と損失と複素。フーリエ変換してるから実際がイメージできない。日本語でもわからないのに英語でわかるはずもなく。何となくわかったことにしてすっ飛ばす。
 昨日もそうだけど、休みの日に仕事してるのは、早く最前線に立てるだけの知識を入れたいから。先に知っとけば後々ずっと困らないから。知っとくというより、思い出すといった方が正確かもしれない。