びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/01/05(火)年休「休養」

 なんぼでも寝れそうな気がした。どんなホテルよりも家の布団が一番だ。朝寝と夕寝。
 ダスキンさんの日だった。久しぶりの再会で新年の挨拶。洗濯機のホースの件はこれで終わり。
 掃除の間、すきやで昼食。年末から食欲が止まらない。いいのか悪いのか?時間が早かったので会社へ。少し片付けたけど、行くべきではなかったと反省。行かないのも仕事だ。
 明日からまた忙しい日々が始まる。家に帰ってからどう過ごすのかが課題。

No.102 宮崎黒毛和牛ビーフカレー

 響の宮崎黒毛和牛ビーフカレー(尼崎阪神200円)。
 パッケージに外箱がなくレトルトパウチが剥き出し。大体こういうのは業務用で安い。変に飾り付けるより好感が持てる。
 ちょっと辛めで、ビーフぽい。ちょっと高級?この値段では十分あり。宮崎かどうかわかるわけないw。

2021/01/03(日)祝「大蔵」

 今日は実質の旅行最終日。予定もなかったので9時に起床。ふくらはぎは相変わらず筋肉痛だった。朝食は最中。どこ行くと調べたら、ハードなのを見つけてしまった。10時にチェックアウト。天神駅から博多駅博多駅から黒崎駅まで。途中折尾駅でかしわ飯を買おうとしたら改札内の店が開いていなかった。ホームにいたら、特急やませみかわせみしんぺいが入線。しんぺいがここで見られるとは。早く肥薩線が復旧することを祈っている。
 今日の探索は大蔵線だった。名前は知らなかったが、遺構が残っているというのを聞いたことがあった。大蔵線は黒崎駅小倉駅の11.5kmを結び、1891年4月に開業して、1911年9月に廃止になった。今の鹿児島本線の旧線にあたる。大蔵線は山側を通っていたが、海側が開通すると廃止された。
 黒崎駅で降りて、ネットで調べると、どこを通ってるのかわからなかった。歩鉄の達人に載ってないのが痛かった。誰かが隣の八幡駅からスタートしてたのでそれに倣った。
 八幡駅でもネットで調べたが、よくわからなかった。廃線跡歩きは諦め、遺構を見に行くことにした。
 1215、探索スタート。都会の真ん中をなんとなく歩いた後に、グーグルマップで調べて遺構に向かった。細い路地みたいな道には見覚えがあった。ネットで見たやつだ。路地を進むと遺構が現れた。九州鉄道尾倉橋梁。レンガ積みのアーチ橋で、圧巻はその上に廃屋のような建物が建っていることだった。時の流れを感じさせる素晴らしい橋梁だった。アーチ橋の上は道路になっていて、その下にアーチ橋があるなんてわからなかった。
 遺構はもう一つあり、そっちの方が有名だった。しかし、だいぶ離れていて、他の駅からも遠くて、アプローチ方法がわからなかった。少しずつ歩こうとしたが、やる気がまったく湧かなかった。お腹が減ってて疲れていた。昨日の時点で満足していた。
 グーグルマップを見ても自分がどこにいるのかわからなかった。ただ道沿いに小倉駅に向かうバスが走ってることだけはわかった。
 そのうちにイオンモール八幡東が出てきた。ご飯を食べたいので中に入った。凄い人手だった。やっぱりせっかくきたのだからイオンじゃダメだと思い直した。イオンモールのそばにスペースワールド駅があった。1359の門司港行きで小倉駅まで移動した、
 小倉かしわ飯を買って、改札内のベンチで食べた。味は期待してなかったし、実際もそんな感じだった。他のにすればよかったか。
 小倉に来たのはフェリーに乗るためだった。しかし、時間が早すぎた。いつもなら喜んで観光するのに足取りが重かった。
 観光案内所に行って、フェリー乗場行きのバス停を確認し、観光地図をもらった。
 歩いて15分で小倉城。たくさん人がいると思ったら、隣の神社だった。小倉城は立派だったが、この期に及んで城を上る気が湧かなかった。気持ちを振り絞って入館。展示は頑張っていて好感が持てた。
 旦過市場。名前が函館の人を想起させて、気になるところ。新しい商店街の奥にある昭和の商店街。今日は残念ながら休み。道幅が狭く魚臭かった。茨木の裏とか杭瀬の裏とかもこんな感じやね(壊滅してるけど) 。
 小倉駅に帰る途中で、鳴門鯛焼本舗。並んでたからつい。小豆を2匹。小倉駅のベンチで食べた。
 1720、阪九フェリー乗場行きバスに乗車。結構、キャリーバッグを引きずった若い人が多かった。30分ちょっとで新門司フェリーターミナルに到着。
 予約番号を告げ、チケットを発行してもらい、乗船。船の名前はやまと。強そうだ。因みにもう一隻はせっつ。なぜその名前をつけた?
 阪九フェリーに乗るのは3回目。いつぞやの大旅行で往復に使った。ここのは普通のフェリーとは違う。高級ホテルみたいに内装が豪華だし、レストランの食事はとてもおいしい。安いし、寝てる間に目的地につくし。すっかり気に入ってしまった。その後も何度も乗ろうとしたが、繁盛期ばかりだったのでなかなか乗れなかった。今回はコロナで空いてるから予約ができた。前は雑魚寝でしんどかったから、今回はシングルを選択。9740円。
 シングルはベッド一つで狭いけど、カプセルよりはマシ。液晶テレビがついてて寝ながら見れる。そして何よりも充電できるのが大きい。雑魚寝ではできない懸念がある。
 レストランは小皿を取っていくスタイル。2300円も取ってしまった。外を眺めながら食べた。
 大浴場はここが船であることを忘れさせてくれる。
 部屋で寝っ転がっていると、フェリー独特の小刻みな振動がある。旅って感じがするなあ。
 今回の旅行は病み上がりにしては上出来だった。計画性に問題があるのはいつものこと。あとはそれをカバーする体力をつけていきたいね。最後の方はずっと足が棒だった。まだまだいけるはず。呼子線廃線跡探索本来の厳しさを教えてくれた。それが収穫かな。

2021/01/02(土)祝「呼子」

 今日は予定を変更して、昨日のリベンジを果たすことにした。ここで諦めたらこの先ずっと悪いイメージを持つことになる。また廃線跡巡り自体を否定することにもなりかねない。呼子側は廃線跡が車道になっていて、車載動画Youtubeで見たことがあった。比較的たどりやすいだろうという読み。実は昨日もそれを狙ったが、その前に力尽きてしまった。グーグルマップを見ると、なんと廃線跡が載ってるではないか!しかも、屋形石からすぐのとこまで。屋形石まで行ってバスで戻ろう。
 7時半に起きた。両足のふくらはぎがバリバリ痛かった。8時に朝食。数の子、黒豆に雑煮。そうか、今日は正月だもんな。昨日、ひどいこと書いたけど、泊めてもらえただけありがたいと思わなければ。9時半、チェックアウト。フロントのおばさんに廃線跡のことを話して、グーグルマップを見せたら「こんなとこに道あったかしら」とのことだった。
 旅館の前には海側と山側の道があった。海側は景色がいいとのことだったが、山側の方が廃線跡に近いので選択。山側の道は少し上った後に下った。右手に公民館のところで路盤跡を確認できたが、そのまま下り続けた。持山交差点で巨大な橋脚が現れた。スゲー。これは呼子駅のさらに先に延伸するための橋脚。道の反対側にも巨大なコンクリートの橋脚。昨日の疲れが吹き飛んだ気がした。
 1010、先ほどの公民館のとこに戻ると、そこは呼子駅予定地だった。細長くて大きな広場。感動もんだった。廃線跡は、そのまま一車線の道路になっていて、2つほどコンクリート橋を渡り、小学校の横に着いた。道は折り返し小学校に入っていったが、廃線跡の横にも道があり、その先にはトンネルがあった。横の道に降りようとしたらちょうど梯子があった。
 トンネルは暗くて不気味だった。明らかに誰も使ってなさそうな雰囲気があった。入って見た。真っ暗で何も見えなかった。足下すら見えなくて、穴でもあったらヤバい。これは怖かった。本能が危険だと訴えかけていた。帰ろうか?十分頑張ったし。でも、きっとこの先に廃線跡がある。ここまで来て怯んでられるか。スマホでは足下を照らせなかった。デジカメで撮影して、安全を確認してから進んだ。幸いなことにすぐに出口が見えてきた。まったく、ヒヤヒヤしたぜ。
 その先は見事な廃道だった。両脇から草が侵食していて、もう車載動画を撮ることは無理だと思われた。車は無理だけど人は歩くことができた。
 現役の道を何ヵ所かオーバークロスした。また、2ヵ所でコンクリート橋が廃線跡をオーバークロス。そのコンクリート橋も廃橋。一体何がしたかったのか?
 グーグルマップで見て知ってたけど、この道にアプローチする道はなかった。草の生い茂りさからもおそらくもう誰も使う人がいないものだと思われた。さっきのトンネルも封鎖した方がいいかもしれない。
 このまままだまだ廃線跡が続くと思っていたら、あるコンクリート橋で植生が強くなり、人一人がやっと通れる感じになった。誰かが踏んだ跡はあったが、ここで撤収。このコンクリート橋の横には一般道に降りる道があり、無事に生還することができた。グーグルマップではまだまだ先に廃線跡が延びてることになっていた。
 山の中を歩きながら廃線跡を見ていると、植物に覆い尽くされてどこが廃線跡かわからない状態だった。
 1050、丸太バス停。もうすっかり満足していたが、次の唐津行きバスは3時間待ちで、呼子行きは2時間待ちだった。予定通り屋形石まで歩くことにした。
 グーグルマップで描かれている廃線跡の終点にたどり着いた。意外なことに路盤は下の方にあった。よく見ると延長線上に激やぶに覆われたトンネルがあった。この探索で初めて廃トンネルをキャッチアップすることができた。
 1148、屋形石バス停。こんな山の中の小さなバス停にまた帰ってくるとは。まだバスまで時間があり、ここには物件がありそうなので、もう少し先に進んだ。
 国道を左に曲がったところに封鎖されたトンネルがあるはずなのだが、見当たらなかった。こんなんばっかりだなと思ったら、右のやぶの遠くの山にトンネルがあった。封鎖されてなかったから狙っていたのと別のものと思われた。そうか、きっと封鎖されたトンネルは足下の崖下なんだな。パイプの手すりの階段らしきものが、崖下に延びていた。しかも新しい踏み跡もある。さすがに無料。ここで撤収。
 1233、屋形石バス停から呼子へ。即座にジャンボタクシーに乗り換え。運転手さんは昨日のおじさんだった。名護屋城博物館入口へ。
 城好きとしては名護屋城には是非行きたかった。名護屋城豊臣秀吉朝鮮出兵の拠点として築かれた。当時は大阪城に次ぐ規模だったそうだ。しかし、今ではあまり名前を聞くこともない。これこそ歴史ロマン溢れるではないか?
 13時、佐賀県名護屋城博物館。佐賀県の博物館が気合いが入ってることは知っていたが、ここもまた立派な設備で入館料は無料だった。朝鮮半島と九州との歴史的繋がりを説明していた。まさか石器時代から説明しているとは。なんとなく韓国に配慮した内容になっているような?コロナ前は、壱岐対馬は韓国からの観光客が多かったみたいだし、もしかするとここにも来てたのかもしれない。
 14時半、名護屋城天守跡。ものすごくいい景色だった。波戸岬が見渡せ、その奥には日本海。この波戸岬に所狭しと戦国武将の陣屋があったらしい。今は緑の丘が並んでるだけ。時間の流れを感じさせられた。
 15時、名護屋城博物館入口バス停。まさかの90分待ち。旅ではよくあるとはいえ、この寒さで待つのは辛い。幸いなことにセブンイレブンがあったので買い物。コンビニがあるだけでも心強い。バス停横の土産物屋は閉まっていたので、土産物屋の軒先にあるテーブルでブログを打った。若い男の子が同じく90分待ちの刑をくらっていた。
 1634、バスが来た。行きとは違う山道を通った。気持ちよくてうつらうつらしてたら、西唐津駅で降りるつもりが唐津バスセンターに着いてた。運転手さんに唐津駅が近いことを確認して降りた。すると一昨日に泊まった場所の近くだった。またここに帰ってくるとは。
 唐津駅でタッチの差で電車を逃し20分待ち。トイレに行ったら見覚えが。またここに帰ってくるとは。
 1740、唐津駅を出発。暗くて車窓はわからなかった。ひたすらブログを打っていた。
 19時過ぎ、天神駅到着。ミープル天神へ。今日がミープル天神に寄るのは最後。常連さんとかとタイムボムをやった。めっちゃ楽しかった。やっぱ人だわ。常連さんが抜けて、イッツアワンダフルワールドのノーマルバージョン。事故ってぼろぼろだった。
 23時半、撤収。そのまま常連さんともう一人鍋の時の人とウエストでうどん食べた。一度ウエストで食べてみたかった。
 24時半、リブマックス天神west。自動チェックイン。2700円は凄い。でも、やっぱ配置がいまいち。
 廃線跡探索したために唐津城に行けなかった。博多から近いしまた今度機会があれば。明日の予定はまったく決まっていないが、とりあえず睡眠優先で。

2021/01/01(金)祝「呼子」

 7時に起きた。今日の探索には気合いが入っていた。足には筋肉痛で張りがあった。昨日頑張りすぎたもんな。チェックアウト。このホテルにしたのは失敗だった。次からは引っかかるところは止めよう。
 ファミリーマートでサンドイッチと牛乳を買い、唐津駅752発で西唐津駅へ。西唐津駅のベンチでサンドイッチと牛乳を食べた。
 今日の探索は呼子線だった。呼子線は、昨日の虹ノ松原駅から唐津駅までは開業したが、西唐津駅呼子駅の15.6kmが未成となっていた。1968年に工事着工し、1980年に工事凍結。ほとんどトンネルや橋梁は完成していたが、唐津市街で土地買収に時間がかかったとのこと。今日は距離が長くて、18時までに宿に入らなければならなかった。
 810、探索スタート。西唐津駅の奥は車両基地になっていた。車両基地の一番奥まで行き、歩鉄の達人とグーグルマップを見ると、すでに行きすぎていた。見つけた廃線跡はとてもわかりづらかった。
 廃線跡に沿った道はなく、廃線跡にアプローチするには、登山、下山、国道を進み、また登山、を繰り返す必要があった。これではいたずらに力を消費するだけ。この先は、歩鉄の達人に載ってるものだけを探していった。
 一つ目はトンネルだった。国道から山の上のごちゃごちゃした住宅地に入って迷いまくった。多分この辺りが土地買収に時間がかかったところだな?地図の場所に着いたと思ったらトンネルがわからず。空振りはダメージが大きかった。
 2番目の物件はわかりづらそうなのでパス。3番目のトンネルも探しても見つけられなかった。4番目の橋台も見つけられなかった。ことごとく失敗して、1時間経過してもまったく成果が上がらなかった。
 ようやく川を渡るところで廃線跡にたどり着いた。しかし、その後はロスト。10時半、佐志交差点で再び廃線跡を発見。しかし、その後は激やぶのためよくわからず。この頃、もう歩鉄の達人を見るのを止めた。歩鉄さんよくこんなの回ったなあ。こういうとき、事前の下調べで差が出るなあ。
 国道は山を上り、左手の山の中腹で工事の覆いがずっと続いた。おそらく廃線跡を道路に転用しようとしている。国道は、結構山に上り、右手に漁港が一望できた。その時、山の足下から一本の真新しい高架が真っ直ぐ遠くの山に延びていた。これか。
 山の下に降りるところを探し、降りてみると下にも国道。1120、セブンイレブン。ここで昼食を買った。さっきの新しい高架の方に行くと、高架の先はまだ工事されておらず、切通しになっていた。その先の路盤は、山の中に消えていた。追うつもりはなかった。
 国道に戻り、ひたすら国道を歩いた。廃線跡は国道とは離れていたが、構わずに歩いた。寒くて雪が少しちらついていた。目的が達成できないことを悟り、足取りは重かった。
 1220、山の麓にソーラーパネルの列が現れた。廃線跡だと思われ。
 13時、湊交差点。道端で昼食。夜に備えて最中一個。まだ呼子までは半分くらい残っていた。ペースが悪く、体力も消耗していた。廃線跡を追わないのなら、なんのために歩いてるのだろうか?目的を見失い、体力も消耗し、気持ちが切れていた。とりあえず昼食を食べた後だから、もう少し頑張ることにした。
 少しお店があるところに出てきた。そこにはバス停があった。湊公民館。次のバスは1351。40分待ちか。その後は2時間待ち。こんな寒いところで40分待つんだったら次のバス停まで歩くか。
 そこから国道はとんでもなく上り始め、海を見渡す山道となった。見張らしはよかったが、人家がなく、バス停など出てきそうな雰囲気がなかった。先に進んだことを完全に後悔した。マラソンバーンアウトしたみたいに、惨めにトボトボ歩いた。
 ようやく屋形石という集落が出てきた。バス停を見つけた時は嬉しかった。すると後ろからバスが来た。慌てて走った。1357、バスに乗った。まるでマラソンでリタイアする時のようだった。
 呼子にはすぐ着いた。呼子は細長い湾になってて、漁船がたくさん係留され、海鮮丼屋がたくさんあった。まるで三崎港みたいな雰囲気だった。正月なので店は全部閉まっていて、人気はなかった。
 1430、ジャンボタクシー。バスの代わりに昼間運行しているとのこと。ワゴン車に乗客は私だけだった。運転手さんといろいろ話した。尾の上で下車。
 1445、尾ノ上Ryokan。18時予定がこんなにも早く。知らなかったのだが、元国民宿舎。オーシャンビューの部屋で豪華な食事。呼子では安宿がなくて、正月だからいいだろうと。本当は祝勝会となる予定が、残念会になるとは。
 部屋はまさに旅館。畳に机で、自分で布団を敷くスタイル。窓から見える景色はオーシャンビューだけど、大きな白い観音像の後ろ姿。なんだかなあ。
 早速、大浴場へ。おそらく一番風呂。温泉ではないけど冷えた身体が温まった。ただ部屋にいたらすっかり冷えてしまって。布団に潜り込んでスマホ。部屋が寒いのはかなわん。廊下より寒いのはどういうことだ?
 19時、大食堂で夕食。椅子とテーブル。おいしいものを食べて気分を一新しよう。メインはイカがまるごと一匹お刺身に。そのあとは天ぷら。このパターン、以前博多や函館であったなあ。一杯2000円くらいだったような。
 なんか部屋は普通の旅館でおまけにやたら寒いし、料理は博多や函館で食べられるものと変わらないし。14000円も奮発したら、それなりに気分を無理矢理にでも上げるような何かがあると思っていたが。お金払って残念なのが一番面白くない。

2020年

 今年はいい一年だった。どん底から仕事復帰を果たし、仕事に遊びに頑張った。病気をしたことで入院前よりも一瞬一瞬を大切にするようになった。来年は今年以上に頑張りたいね。
 皆様、今年はたいへんお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

・職場復帰
新型コロナウイルス
・在宅勤務
・ミープルに行くようになったが、中止した
・刺身解禁
・テレビは見ずに、Youtubeばかり見るようになった
・Yさんの異動で仕事が忙しくなった
・糖尿病内科の終診
・GOTOトラベルで旅しまくり
・冬の九州旅行

2020/12/31(木)休「唐津」

 8時半に起床。朝食後、10時にチェックアウト。天神駅から1033の西唐津行き快速。筑肥線姪浜駅より西で徐々に田舎になり、海の景色が素晴らしかった。海の色はどんよりとしたブルーでいかにも日本海だった。虹ノ松原駅から先は高架になった。東唐津駅下車。
 今日も筑肥線廃線跡。昨日は東側の博多駅姪浜駅だったが、今日は西側の虹ノ松原駅から山本駅の10.4km。1983年3月に西側の区間と同時に廃止された。現在、筑肥線唐津に直通しているが、昔は唐津市街手前に松浦川があり、これを渡ることができずに東唐津駅スイッチバック。そのあと松浦川を遡り、山本駅で唐津線に接続した。このような大迂回を回避するために、呼子線(未成線)として建設していた路盤を活用し、唐津への直通を実現した。
 11時半、探索スタート。東唐津駅から高架沿いを虹ノ松原駅方面に向かった。ちょうど松林にぶつかったところが新旧の分岐ぽかったが、松林が強くてどうにまならなかった。なんとか松林沿いに北上するも路盤跡はわからなかった。一ヶ所松林の中に踏み込めそうなところがあったので、思いきって踏み込んでみると、怪しげな平場が現れた。平場は松林の中をずっと続いていた。おそらくこれが路盤であると考えられた。
 松浦川の横の道路を北上した。左手に松浦川、右手に松林で、松林の中を路盤が走っているものと考えられた。
 写真を撮っているうちに手袋を片方なくしてることに気づいた。どうせ帰りに通るのだからと、先に進んだ。
 1220、東唐津駅構内は機関区があったためにとても広大で、そこには大きなホテルが建っていた。その一番北のところにファミリーマートがあり、ここが駅跡だった。駅跡を示すものは何もなかった。すぐ左には松浦川を渡る長大な橋があり、向こう岸には唐津市街と半島の山の上に唐津城が見えた。
 旧筑肥線東唐津駅スイッチバックしていたので、元来た道を帰った。途中で手袋を回収した。
 車道を真っ直ぐ行くと、筑肥線の高架にぶつかった。その橋脚の間隔は、他の橋脚との間隔よりも広く、ここを旧線が通っていたことがわかった。
 廃線跡は一般道に飲み込まれ、ひたすら歩道を歩く展開だった。比較的新しい道で、ちらほらと郊外型の店があった。ファミリーマートがあったので、昼飯用にねぎとろ巻を買った。
 鏡駅には石碑があった。あと歩道がホームのように広がっていた。
 14時、唐津うまかもん市場のファーマーズレストランよってかんね。ねぎとろ巻は買ったけど、やはり地元の物を食べないと。海鮮丼を頼んだ。1000円は安かった。色とりどりの刺身の上に生エビが2匹。うまそう。生エビを食べたら生臭くて。刺身は味がしないし。結局、ほとんど残した。運動したらおいしく感じると思ってたけど、それでもこれは不味かった。
 1420、探索再開。大きな道に戻り、真っ直ぐ歩いていると、やがて道路は左カーブを描いた。廃線跡はここを真っ直ぐ突っ切っていた。そしてここに久里駅の石碑があった。道路から外れ廃線跡の方向を見ると、見渡す限り田んぼ。廃線跡の痕跡はなくなっていた。心折れそうになった。田んぼを突っ切ると、松浦川沿いに小さな集落があり、廃線跡にたどり着いた。廃線跡には倉庫が2棟建っており、歩鉄の達人を見てなかったらたどりつけなかっただろう。
 松浦川の堤防に登り、橋の痕跡を探したが見つからなかった。向こう岸に行くために遠くの橋を渡って戻ると、そこにはきれいな築堤が残っていた。これは来てよかった。路盤をたどるとわかりやすく現役線が寄ってきて、やがて合流した。
 1545、山本駅到着。これで筑肥線の付け替え区間をコンプリートした。
 16時、もう一つの探索を開始。唐津線岸嶽支線。山本駅と岸嶽駅の4.1kmを結んでおり、石炭を運ぶとともに旅客営業も行っていた。1912年1月開業、1971年8月廃止。
 ずっと山の中の車道で、歩道を歩くパターン。車もあまり通らず、おまけに薄暗くなってくるわ、冷たい風が吹きまくるわ。何してるのだろう感があった。
 途中でまもるくんが現れた。まもるくんとは警察官の格好をした人形であり、主に宮古島で有名である。実物は初めて見た。ちょっと目が違うような気がしたが?
 グーグルマップを見たら、岸嶽駅跡を過ぎていることが判明し、結構戻った。1720、岸嶽駅跡を示す看板を発見。看板があることは知らなかった。敷地は建設会社の資材置場になっていた。この線は全体的にまったく痕跡がなく、ここに路線があったとは信じがたいところだった。
 探索は終わったが、バス停は遠かった。さらに1km弱歩いた。山間に交差点があり、その周りが少し栄えていた。市民病院きたはたバス停に到着。
 1755発は最終バスだった。本当に来るのか不安だった。乗客は私だけだった。バスは廃線跡の道路とは違うところを進んだ。道理でバスを見なかったわけだ。やがてバスは廃線跡に戻った。そこではまもるくんが任務についていた。山本駅にはわずか12分で到着した。運転士のおばさんに「よいお年を」と言った。無人のバスが暗闇の中去っていった。
 1826に山本駅から唐津駅へ。たった2駅だった。唐津駅手前で高架となり、筑肥線と合流した。唐津駅は高架の立派な駅だった。
 19時、アスカホテル。なんか全館から怪しげな妖気が漂っていた。フロントがインド系の人。大浴場は予約制で、部屋に風呂あるのか聞いたら、シャワーだけという。これで5400円も取るのか?幸いにも大浴場を予約してもらった。部屋に入るより早く洗い物を洗濯機にかけた。
 部屋に入ると、本当にシャワーだけだった。トイレはセパレート。机の横にはなんと洗面台。これは初めて見た。個性的すぎる。
 19時半に大浴場。予約制なのはコロナ対策のため。もう一人いたらしいが、入って来なかった。洗濯物を乾燥機にかけた。
 部屋でねぎとろ巻を食べた。10大ニュースを選んで、ブログを書いて、明日の予習をした。2115洗濯物を回収。年越しそばを食べた。

2020/12/30(水)休「姪浜」

 8時に起床。朝食後、10時にチェックアウト。天神駅のコインロッカーに荷物を預け、1023に博多駅へ。
 今日の廃線跡探索は筑肥線博多駅から姪浜駅までの11.6km。筑肥線はもともと博多駅から伊万里駅を結んでいたが、1983年3月に博多近郊区間が廃止されて地下鉄空港線に置き換わり相互乗り入れしている。この区間はドル箱路線だったが、単線で輸送力が低く、踏切が40箇所くらいあったらしい。勝田線以上に廃止した意味がわからなかった。
 10時半、探索スタート。廃線跡の探索にも似つかわない博多駅の博多口から。線路はしばらく鹿児島本線の西側を並走していた。現在の路盤は道路よりも高い位置にあったが、その一番西寄りの線路だけが徐々に高度を下げた。そして、その先には怪しげな右カーブの遊歩道。ここが分岐点だった。
 遊歩道が途切れて一般道に吸収された。ひたすら歩道を歩く展開に。一般道は二車線の大きなものでとても鉄道が走っていたとは思えなかった。一般道の周りは普通の町中で、いろんな店や建物が軒を連ねていた。
 今日はやけに寒く、猛烈な雪混じりの風を受けた。前に来た時もこんなんだったから特に驚きはしなかったが、スマホを操作する時や写真を撮る時には手が凍えた。
 11時半、西鉄の平尾駅をアンダークロス。にぎやかな場所だった。
 ずっと一般道。ここで合ってるのか不安になるくらい一般道が続いた。小さな山を越えるところで、ルートを疑ったが、歩鉄の達人では正解のようだった。山を下ったところが小笹駅。駅跡はスーパーになっていてなんの痕跡もなかった。小笹駅からは再び小さな山を越えた。
 その後1kmの遊歩道。この頃から吹雪いてきて、寒くて仕方なかった。
 再び一般道に戻ると、今度はグリーンレールロードなるものが現れた。距離を記入した札を地面に埋め込んだだけで、普通の歩道だった。全長2.2km。これを歩き切れば、姪浜に着くと信じて吹雪の中を歩いた。室見川の橋でグリーンレールロードは終点を迎えた。ただ姪浜駅はまだもう少し先だった。
 14時前、天ぷらまつお。立ち食いそばのような薄っぺらい建物。見渡す限り、他の店が見えず、仕方なく入った。全席カウンター。一番安い天ぷら定食を頼んだ。ご飯が来る間に明日の宿を予約した。天ぷら定食は腹が減ってたのでご馳走だった。はしっこに座っていた淑女が、カウンターのおばさんに早口で話しかけてた。やっぱり九州だからハングルぽいのかな、と思っていたが、いやこれはハングルではないかと思い直した。お会計の時におばさんに聞いてみたら、ハングルだった。
 1420探索を再開。15分で姪浜駅に到着した。高架の立派な駅で、駅前は栄えていた。
 廃線区間はずっと町の中だった。なぜ国鉄はこれを廃止したのか?地下鉄とともに存続させることもできたろうに。九州は鉄道に対する価値計算がなんか変なんだよな?
 1438の地下鉄空港線で 天神駅まで。15時にミープル天神。今日は常連さんの鍋パーティーに誘われていた。
 待ってる間、店長と隣のグループの女の子と、チケライのファーストジャーニー。
 鍋はこの2日相手をしてくれた常連さんと、あと3人が来た。おでんと水炊きをしたのだが、あまりにも量が多くて大変だった。途中、イッツアワンダフルワールドで連勝。出来すぎ。0時半、撤収。福岡の人といろいろ話せたのはとても楽しかった。まさか家を出る時にはこんなことになるとは。旅はやってみるまでわからないもんやね。
 ホテルはリブマックス天神west。チェックインは設置されている機械でやるシステム。めんどくさ。部屋の中は、ほぼ東横インだが、ユニットバスはゴージャスであり、電子レンジが備えつけられていた。ただ、机がユニットバスの扉の前で、椅子に背もたれがない。ゴミ箱が机のそばになくて、机の上にテレビがなくて代わりに電子レンジが鎮座。配置が本当にいまいちすぎた。就寝は2時半。

2020/12/29(火)年休「宮地嶽」

 結局、2時に寝た。8時に起床。朝食後、宿を予約したり、ブログを手直し。10時ギリギリにチェックアウト。九州国立博物館に行こうとしたら休館orz。行きたいところが近くになくて、三越の中でベンチに座って調べるはめに。
 天神駅から地下鉄空港線中洲川端箱崎線へ乗り換えて終点貝塚駅西鉄貝塚線に乗り換えた。ここの貝塚駅の乗り換えは、棒線なのに乗り換えを強制させられる。西鉄はここで途切れているし、なぜ相互乗り入れできないのか残念だ。2輌編成の単線電化。車輌は一昔前のやつ。駅に停まる度にドアが開きっぱなしで、前に来た時は寒くて寒くてたまらなかった。今日は幸いなことに暖かった。貝塚線はほぼ鹿児島本線の海側を走っていた。本来ならJRとの競合区間になるはずだったが、どうしてこんなに差がついた?終点の西鉄新宮まで。
 西鉄新宮駅からは津屋崎駅までの9.9km延びており、名前も貝塚線ではなく宮地岳線と称した。2007年4月に廃線。この廃線にはあまり興味はなかったが、宮地嶽神社と抱き合わせられることに気づいて、俄然やる気が出た。
 1145にスタート。西鉄新宮駅の先はいきなりバス乗場のロータリー、そのあとは一戸建てが建っていた。やがて松林の中の薄暗い道路沿いとなった。松林があるのはおそらく海が近いのだろう。ずっと松林の中だったが、いきなり工事現場となった。マンションを作ってるようだった。
 廃線跡に戻ると、また一戸建て。そのあとはゴルフ場に吸い込まれた。ゴルフ場のことは事前情報で知っていて、ゴルフ場に入る人だけのための踏切があることで有名だったそう。ゴルフ場の中の路盤跡はただのアスファルトで舗装された道路になっていた。いかにも怪しいのですぐわかった。そのあとはフェンスで囲まれた空き地が続き、川を渡る橋になった。
 川を渡ってからは、ゴミゴミとした昔ながらの住宅街で、線路沿いの探索はできず、ジグザグの歩きを強いられた。これは一番消耗するパターンだった。
 やがて、廃線跡沿いに新しい閑静な住宅街を歩くことになった。一戸建ての家々にはどこも車が停まっていて、誰も電車など使わないように見えた。
 その先の路盤は田んぼの中を通り、路盤の上にはソーラーパネルが整然と並んでいた。事前情報で知っていたけど、ソーラーパネル廃線跡に細長く並んでる様はインパクトがあった。これのおかげで、またジグザグ探索を強制された。空き地になった後、またソーラーパネルになって、空き地になって、目まぐるしく変わった。
 14時、廃線跡横の公園で昼食。広い公園には誰もいなくて、おっさん一人がポツンとベンチに座っていた。昨日地域共通クーポンで買ったパンはすっかりぺちゃんこになっていたが、すごくおいしかった。グルメを楽しむなら運動が一番だ。14時半、探索再開。
 廃線跡は病院の駐車場になり、川に当たった。そっからがわからなくなった。想定の場所には一戸建て。歩鉄の達人では、廃線跡があったようだが、その時とはだいぶ違っているようだった。その後は一戸建ての嵐。ひたすらジグザグ。ジグザグして空き地があるなら納得できるが、一戸建てでは半信半疑で。これは辛かった。
 突如現れた三度目のソーラーパネル!微妙だなと思っていたソーラーパネルがここでは重要な道標になった。
 さらに一戸建ては列になってて。こうなったらもうわからなくなる。全部整地してその上に作ってるのだから。
 一戸建ての嵐が続いて、いろいよわからなくなって、おまけに雨まで降ってきた。泣ける展開。一戸建ての列が途切れて90度右カーブとなった。廃線跡から横に逸れたと思われた。少し大きな道に出ると、怪しい小さな公園があった。また目の前には商店があった。駅跡かな?ちょうど地域図の看板があった。見てみると、西鉄線の駅が記載されていた。看板によると、ここが西鉄福間駅の駅前広場だった。地図の示す駅の場所には所狭しと一戸建てが密集し、まったく駅跡だとは思えなかった。
 まだまだ鬱陶しい一戸建てが続いた。やがて道路橋が現れた。川があるわけでもないのに、道路がオーバークロスしている。まさしく廃線跡があった証左であろう。小さな発見に一人悦に入った。
 そのあとも一戸建て。なんも面白くなく。そのうち、車道に出た。バス停があり、宮司と書かれていた。右の方を見ると、道が山に向かって真っ直ぐに伸び、その先は鳥居と階段になっていた。左の方は真っ直ぐに海に向かっていた。ここは宮地嶽神社の参道だった。廃線跡のついでに宮地嶽神社にも行こうと思っていたが、行く時間がなさそうだし、なんせ雨が酷かった。廃線跡を優先した。
 廃線跡はあと一駅だと思われた。その先は空き地、一戸建て、駐車場。1610、大きな道にぶつかり、大きな石碑があった。ここが終点の津屋崎駅だった。結局、一戸建ての列が続いたままで、ここに線路があったとは信じがたかった。
 1638のバスでJR福間駅へ。バスは偶然にも宮地嶽神社を通るので、せっかくだから降りることにした。
 宮地嶽神社は鳥居を潜って階段を登りきったところからの景色が、嵐のCMで有名になった。ちょうど参道が真っ直ぐに海まで到達しており、1年に1回だけ、夕日が参道に伸びる日があった。今日は雨で最悪のコンディションだったが、階段から眺める景色は、神様の通り道にふさわしい幻想的なものだった。写真を撮ると雨に濡れた参道が光っていた。雨も悪くないと思った。
 1714のバスで福間駅へ。鹿児島本線博多駅。地下鉄空港線天神駅。18時半にミープル天神に着いた。昨日の常連さんともう一人別の若い男性がいた。
 マウンテンキングが始まろうとしていた。トロールが穴を掘って点数を稼ぐゲーム。まやかしのスタートダッシュだけで恥ずかしいくらいぼろ負けした。
 今日もまたイッツアワンダフルワールドの拡張。前半ボロボロだったが、青と黄色のコンボで勝利。
 3日連続の東横イン。フロントに預けていた荷物を返却してもらった。忙しいなあ。