びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/03/02(土)「浦安」

 6時前に起きた。先週用事をすべて片付けて、もう出かけるしかない状況にしたが、すぐに出かけるわけではなくダラダラしてた。そもそも出かけるなら昨晩から出ているわけで。浦安に行くことにした。楽しみにしてたので置いておきたかったが、他に思いつかなかった。
 1050、出発。すぐに吉野家14号線登戸店。どっかに出かけるよりも飯の方が重要。穴川ICから京葉道路すぐに東関道へ。湾岸市川IC下車。
 1205、浦安市役所の駐車場。ここは新浦安駅から内陸に入ったところだった。辺りは都会には珍しく広いゆったりとした公園になっていた。公園の周りには大きな箱物が並んでいた。
 その中に浦安市郷土博物館があった。ここは京葉線によく広告を出していたので知った。広告には昔の河岸と町並みの今の風景が写っていた。まだそういうところが残ってるのだろうか?そういうわけでずっと気になっていた。
 入場は無料。さすが浦安はネズミーランドで儲かってるだけある。期待してたように展示内容はは新しくてわかりやすくてとても引き込まれた。
 私の中の浦安のイメージは、京葉線の新浦安とネズミーランドの舞浜だった。しかし、東京メトロ東西線にも浦安駅があった。埋め立て地と本来の浦安。埋め立て地は今の浦安市の3/4を占めていた。そんなに!まるでオランダ!浦安は明治22年にわずか3つの村がくっついて村が構成された。堀江、猫実(ねこざね)、当大島。因みにこの中の猫実は「ああ女神さまっ」の猫実(ねこみ)工業大学の元ネタではないかとすぐに思った。浦安という名前は日本を指すらしい。壮大な名前ではないか。
 浦安は漁村だった。江戸川の河口にあたり、日本有数の干潟が広がっていた。魚や貝を採って、江戸に売りに出ていた。そのうち海苔養殖へと舵を切った。浅草海苔を作るようになった。しかし、戦後に高度経済成長にしたがって、海が汚れてきて漁獲量は落ちていった。そして1959年、本州製紙江戸川工場悪水放流事件が起きた。これによりほぼ魚介類は全滅した。浦安の漁師は工場に殴り込みをかけて大事件となった。この事件をきっかけとして、水質汚濁防止法が作られた。結局、海は埋め立てられることとなった。1960年にはオリエンタルランドが結成され、舞浜を開発することになった。そんな前から計画があったことに驚いた。
 内陸側の古くからの浦安は低い土地が多かった。田んぼをやっていたが、海が近くて塩の影響を受け、レンコンを作ったりしていた。1949年のキティ台風では高潮の影響により田んぼは水没した。浦安は10年分の予算額に相当する被害を被った。陸地は土でかさ上げすることにした。海が汚染されるだけでなく、内陸側もボロボロだった。
 浦安の逆転は1969年の東京メトロ東西線浦安駅開業から始まった。これで東京のベッドタウンとして住宅地が増えた。海側の埋め立て地では鉄鋼団地や学校、居住地と計画的なまちづくりが進んだ。そして、1983年東京ディズニーランド開業。1988年京葉線の開業。リアルシムシティプロジェクトX並みの感動ストーリーだった。
 この博物館は、今は絶滅したかつての浦安の姿を伝えていた。豊かな干潟、海苔養殖など。今の浦安にはディズニー以外見るところがないので、昔を伝えるしかなかった。それでも、今が繁栄しているのが一番である。浦安という地名に恥じない日本を代表する町となった。
 1455、出発。すっかり満足したので帰ることにした。船橋ICから京葉道路。幕張PAでしうまい弁当。
 19時、新習志野のプール。プールは中2日。事前はかなりイヤイヤしてたのだが、いざ泳いでみるとやたらと身体が軽くてめっさ好調だった。これだから自分の気持ちは信用できないんだよなあ。クロール15.5往復。休憩。クロール11.5往復。2700m。