びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/05/08(土)「旅行10」

 GW10日目であり、旅行の最終日だった。休みは明日までだが、社宅の掃除があった。昨日の精神的な山場を乗り越えたことにより、勝った気分だった。けれど、どこに行くかは決めてなかった。再び大濠公園にした。大濠公園ではやり残したことがあった
。3日前に大濠公園に行ったのは福岡城趾に行くためだったが、美術館にトラップされてしまい、本来の目的を達成できていなかった。
 バスで大濠公園まで。大濠公園の隣にある舞鶴公園へ。舞鶴公園福岡城趾だった。まず陸上競技場があった。もしかすると、福岡マラソンはここで行われるのかもしれない。その奥には平和台球場跡。私が子供の頃、プロ野球ニュースではよくパリーグの試合を平和台球場でやっていた。子供心にどこだろうと思っていた。しかし、いつしか平和台球場の名前は聞くことがなくなった。平和台球場の跡地はクローバーの生い茂る草原になっていた。昔、川崎球場跡地に行ったことがあるが、それと同じような感じだった。川崎球場と違うのは、平和台球場跡地は遺跡だということだった。平安時代に迎賓館にあたる鴻臚館という屋敷があったらしい。
 跡地の横にあった福岡城むかし探訪館に入った。福岡と博多は双子都市であり、間に中ノ島、すなわち中洲があった。福岡城黒田官兵衛により築城された。幾重にも石垣が張り巡らされた大きな城だった。今まで天守がないとされていたが、近年書簡が発見され、天守があったかもそれないと言われている。色んな城に行ったが、天守があったかどうかはわからないケースが多い。
 少し離れたところにある鴻臚館跡展示館に行った。驚いたことに遺跡の発掘現場をそのまま展示してあた。平安時代に日本に3箇所迎賓館が作られたが、平安京難波京の迎賓館は場所が特定されていない。鴻臚館は万葉集の歌などから位置が推測され、周辺から多数の中国からの陶磁器が発見されたことから特定された。
 城跡の天守に上った。とても複雑に縄張りが設定されており歩くのが楽しかった。天守台からは遠く福岡ドームが見渡せた。
 大濠公園に戻った。大濠公園の池のど真ん中には島を伝う通路があり、そこを通りたかった。記憶が定かではないが、きっと昔ここも走ったことがあるはず。途中に池に付き出すように浮見堂があった。
 通路を渡りきると、ボート乗り場だった。もう一度手漕ぎボートに乗った。3日前は橋を潜って浮見堂の方に行こうとして失敗していた。今回はうまくいった。その代わり帰りが前に進まなくて焦った。ボートが怖いのは風や波で進まなくなること。一応その辺も確かめたつもりだったが・・・。進まなかったのは気のせいで、まったく問題なかった。
 12時、大濠公園を後にした。2日前に行った大宰府にも行こうかと思ったが、中途半端になるから止めた。中途半端だったのは大濠公園だけでなく、大宰府もそうだった。天満宮には行ったけど、大宰府跡地には行けてなかった。またそのうち機会があれば。
 博多駅でお土産を買った。博多と言えばひよ子だよな。それから駅弁。人吉駅の栗飯を探したが、さすがになかった。鳥栖駅中央軒のかしわめしにした。折尾駅東筑軒のかしわめしの方がたくさんあったが、佐賀から帰るときに見た鳥栖駅が、寂しかったから応援も兼ねて。確か昔、わざわざ食べに下車したことがあるよな。反面、折尾駅の方は1月に食べ損ねていた。別に賑やかな駅だからいいよな。ところであの時、小倉駅で食べたのは折尾駅とは関係ないのだろうか?
 1302発のさくら554号。さくらはなかなか乗れないので。8両編成。2列2列で広めの座席。指定はガラガラorz。のぞみより振動があるように思うのは、九州新幹線は全車両が駆動してるからだろうか?山陽新幹線はトンネルが多く、景色は楽しくなかった。唯一の見所は徳山駅のコンビナートくらいか。
 家に帰ったのは17時だった。ポストにはいろいろなものが入っていた。いきなり現実に戻された。ポストの中には、回覧しなければいけない物があって、回覧板を作らなければいけなかった。すると、水道メーターの検針の案内も出さなければいけないことを思い出した。検針は2か月に1回、各自でやることになっている。今までは案内に従う方だったが、今回からは案内を出さなければいけない。案内は一人一人の部屋番号と名前を書いて出さなければならず、とてもめんどくさかった。このスマホ全盛の時代にメール配信にならないものか?それ以上に心配なのは、今回はギリギリ大丈夫だったが、次回の案内もタイミングよく出せるかどうかだった。凄く忘れそうな自信がある。
 今回の旅行は今までにない変則的なものだった。旅行で親戚のところに行くのは初めてだったし、いろいろ家族間での問題を抱えていたから一か八かのところがあった。おじさんもおばさんも優しく接してくれて、結果的に4泊することになった。いとことも話してとても話が合ったのはよかった。しかし、最初からわかっていたが、家族間の問題は何も解決しないままだった。福岡に移ったものの、尼崎に戻りたくないような気がして気持ち的に不安定になった。職場は居心地が悪いし、自治会はまとまらないし、いつか家族間の問題が勃発するだろうし、よくなる要素が何もなかった。どうすることもできないことは、粛々と処理していくだけだが、まったく面白くなかった。その答えは結局のところはわからなかった。ただ変なことをすると今よりもっと悪くなるように思えた。だから、できる範囲でやっていくしかないと。こうやるべきという考えは捨てて、流れに身を任せつつ柔軟に対応したい。