びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/01/14(日)「房総のむら」

 今日の出発はさらに遅かった。1120、出発。京葉道路穴川ICから東関東道成田ICまで。吉野家で牛丼を食べた。
 1250、千葉県立房総のむらに到着。ここは風土記の丘とも呼ばれていた。私は風土記の丘に興味がある。風土記とは奈良時代元明天皇が各国に伝わる伝承をまとめるように指示したものである。風土記の丘は同名の施設が日本全国あちこちにあった。文化庁が進めているらしい。ここは広い公園のようになっていて、体験型博物館を標榜していた。
 旧学習院初等科正堂。重要文化財。1899年、新宿に建てられた。戦前に成田の中学校に移築。さらに今の場所に移築。西洋風建築物。体育館のような広い空間に椅子が並べられていた。
 龍角寺古墳群第101号古墳。方墳。古墳が作られた当時を再現していた。。
 岩屋古墳(龍角寺105号古墳)。日本最大の方墳。2つの石室。
 旧御子神家住宅。安房の農家。重要文化財。直屋型。一つ屋根の下に部屋と土間が作られている。
 旧平野家住宅。これも農家。立ち入り禁止。中ではおじさんがホウキで掃除していた。
 1350、千葉県立房総のむら風土記の丘資料館。ここが目的だった。ちょうど学芸員さんが龍角寺についての説明をしていた。龍角寺は奈良時代に建てられた寺で、山田寺と同じ模様の瓦を使っており、偶然にも山田寺と同じく白鳳時代の仏頭があった。まさか千葉で白鳳時代を感じることになるとは。
 岩屋古墳には相当な有力者が葬られているとのことだった。奈良の藤原麿呂邸から見つかった木簡には有力者の名前が書いてあった。どうやら奈良から派遣されていたようだ。石室は筑波の石を使っていた。貝殻や礫を含んでいるため、平面を得るのが難しいらしかった。朝鮮半島からの渡来人がうまく積み上げたとのこと。この辺りにだけ見られる特徴だそうだ。
 1515、房総のむらの有料区域。商家の町並みが再現されていた。一軒一軒で体験型イベントをやっていた。まるで松前で見た施設のようだった。武家屋敷は前に見た佐倉のものを参考につくったらしい。上総の農家。大きかった。あまり農家には興味ないんだよなあ。
 1550、出発。成田ICから東関道、京葉道路の武石IC下車。1710に帰宅。
 19時、新習志野のプール。プールは中1日。左肩が少し痛かったが無視。結構調子がでてきた。クロール8往復。休憩。クロール7.5往復。休憩。クロール11.5往復。2700m。それでも年末からは300m足りない。