びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/01/08(月)祝「チバニアン」

 3連休の最終日。平日を捨ててるのに休日に出掛けないなんてお前はもう死んでる状態。まだ咳は残っているが、そのことは忘れることにして、近場を探索することにした。
 8時半、出発。2023/3/4-5の房総探索の際に千葉には見るべきものはないと認定したが、若干気になる場所も残っていた。京葉道路蘇我ICから館山道に入り君津ICまで。
 945、濃溝(のうみぞ)の滝。ちょっと前に幻想的な写真が出回り話題となった。写真では、崖に大きな穴が開いていて、その穴かには水が流れており奥には滝が見えた。穴からは緑色の光が水面に注いでとても美しかった。
 駐車場に車を停めて歩いた。現場に到着すると、冬枯れの汚いトンネルがあった。滝はかなり拡大しないと見えなかったし、光の射すのも1年に2回だけらしい。究極の切り取りに思えた。近年稀に見るガッカリスポットだった。
 10時半、上総亀山駅久留里線の終点。久留里線は木更津から上総亀山を結んでいるJR東日本管内では一番の赤字路線である。先端部分にあたる久留里ー上総亀山間は特に営業成績が悪くて、現在廃止するかどうかの話し合いが持たれている。廃止される前に一度写真を撮っておきたかった。
 上総亀山駅には乗り鉄で2007/9/2に訪れていた。折り返しの電車までやたらと待たされたけど、駅前には何もなくて、観光地図の看板を見てたような記憶があった。その看板は今や色褪せててほとんど消えかかっていた。この駅から観光する人もいないと思われた。駅前には潰れた店が2軒。かつては賑わっていたのかもしれないが、誰もいなかった。ここもそのうち線路が剥がされて、トイレしか残らないのかもしれない。
 1050、上総松丘駅上総亀山駅の隣。駅舎には木の看板が掲げられており、大きく書かれた駅名の下には「松丘ふれあい館」と書かれていた。駅舎から保育園児が何人かと引率の女性たちが出てきたので驚いた。電車から降りたのだろうか?なんか気まずかった。すれ違いざまに女性から挨拶されたり。駅舎の中に貼ってある時刻表を見ると、上下線ともまったく電車のない時間だった。駅舎の中には木製のベンチとテーブルがあった。テーブルがあるのは珍しく、ふれあい館というのはこの部分を表しているのかもしれない。
 1105、平山駅。上総松丘駅の隣。三角屋根の小さな駅舎。ホームにはプランターに花が咲いていた。地元の人が世話をしているのだろう。誰か来たと思ったら、トイレに駆け込んでいた。電車よりも公衆トイレとしての利用の方が多いのかもしれない。
 1115、久留里城駐車場。久留里城のことはずっとずっと気になっていた。一時は偽物の城と思い込んでいたが、ちゃんとした城のようだった。どうやら久留里城は城への道が崩落していて臨時休業のようだった。山の上に資料館があったので行ってみた。
 11時半、久留里城址資料館。古い小さな城を型どった建物。無料。城がやってないのにお客がいるのかと思ったら、2人もいた。展示は久留里城だけではなく、旧石器時代縄文時代の石器や土器もあった。君津市の郷土博物館を兼ねてるのかもしれない。特別展「ちっちゃい土器のエトセトラ」をやっていた。ミニチュアのような土器があった。こういうのは初めて見たかも?縄文時代にも雛祭りのような風習があったのかもしれない。それかママゴトとか。
 久留里城の写真を撮りたかったが、登城への道は資料館のすぐそばで封鎖されていた。外観はまったく見えなかったorz。
 1220、久留里駅。中心駅らしく、駅前には立派なロータリーがあった。ただし人気はなく閑散としていた。駅舎の待合室にはおばあさんとおじさんが座っていて、ホームには気動車が1両停まっていた。黄色と青のカラーリングだった。久留里駅を境に系統が変わるので、ここまでは本数は多いのだろう。ひらがなで「くるり」と書かれていたのがかわいかった。
 1245、チバニアンビジターセンター。チバニアンは時代の名前で最近世界的な認定を受けて話題となった。ここではチバニアンの地層が発見されたのだが、具体的にどこだか知らなかった。調べると養老渓谷の近くだった。駐車場は砂利ながらも広くて隅っこにプレハブが建っていた。北海道で見たキウス周堤墓と同じスタイル。プレハブの前にガイドの時間が書かれていた。45分待ちだった。するとガイドのおじさんが出てきた。「中の説明を見るより現場を見た方がいいから」。ちょうど別の3人が現場に向かうところであり、「後ろについていったらいい」と言われた。3人もガイドの人だった。そのうちの1人はガイドデビューした人で、ベテランのおじさんに「案内してあげたら」と言われていた。道中10分くらいの間に、炭焼き竃の跡があったり、庚申塔があったりした。
 現場は河原だった。崖には杭が等間隔に下から上に打ち込まれており、杭の色は下から赤、真ん中が黄色、上が緑となっていた。下が地磁気が今と逆で、真ん中が地磁気が移り変わる時期で、上が現在の地磁気だった。地磁気が移り変わる時から上がチバニアンの地層だった。下と真ん中の境界にはゴールデンスパイクという金色の円いプレートに十字が入ったものが設置されていた。これが認定証のようだった。
 帰ってから知るのだが、下と真ん中の境界には火山灰層があった。これは御嶽山が爆発した時のもので、その層は放射性同位元素による年代測定が可能であった。チバニアンの正確な年代はそれまでわからなかったが、年代を同定することができたため、国際的な認定に繋がったのである。
 河原の泥岩には生痕化石があった。これは太古の虫が砂の上を這った跡だそうだ。また貝殻の化石もあった。ガイドさんたちは長靴を履いて、デッキブラシで岩の上についてるコケをできるだけ擦り落としていた。
 ガイドのおばさんと話していると、ガイドになるためには1年かけて研修するそう。大学の先生などが来て講義するとのこと。興味をひかれたが、ほとんどは平日とのこと。残念。
 プレハブに戻って、別のガイドさんから説明を聞いた。ガイドさんは2人いて、どちらも町内会の会長だったようだ。科学的な説明がとても詳細だったので驚いた。ガイドさんが一瞬捏造問題があったことを仄めかした。私もそれは記事で見たことがあった。認定前に認定に反対する人が捏造と騒いだのだった。そのことについても聞いた。今思えば歯切れはあまりよくなかった。
 帰ってから調べると、確かにややこしそうだった。元々調査してた人が、新しく調査を始めた人に協力していたが、新しく調査を始めた人が認定機関の人が来たときに捏造したデータを見せたらしかった。それを捏造かそうでないかは実際に微妙なところで、他の似たようなデータで代用したのだった。その分野ではそういうことはよく行われるらしい。結局、この件はやり直しになった。元々調査してた人は土地の借地権を設定したりして、妨害のようなことをおこなった。しかし、地元の人や市原市が協力したことで晴れて認定を勝ち取った。認定が取れたのでよかったが、権力争いのようでみっともないことだった。
 15時、出発。チバニアンでいろいろな説明が聞けてすっかり満足していた。昼食を食べてなかったので、近くの養老渓谷に行くことにした。長年千葉に住んでいるが、養老渓谷には行ったことはなかった。しかし、どこも駐車場が500円だった。しかも渓谷もどこにあるのかよくわからなかった。ご飯屋もないし、やけに寂れていた。
 1520、養老渓谷観光センター。立ち食いそばを見つけたが、閉店したばかりだった。お腹も減ったし千葉に帰ることにした。道中には潰れた店しかなかった。あとはコンビニばかり。
 1620、ステーキ宮市原店。ステーキの食べ初め。ランチと同じメニューなのに600円以上高かった。失敗したわ。しかも、ダイエットしなきゃいけないのに、思いっきり食べてしまったorz。
 一度帰宅してからプールに行くことにした。もしかすると、調子がよくなるかもしれないと思ったから。
 19時、新習志野のプール。プールは中15日。意外といけるなと思ったが、後半はボロボロだった。全然気持ちよくなくただただ辛かった。こんなにも体力が落ちてるのか。クロール6.5往復。休憩。クロール6.5往復。休憩。クロール11往復。
 久しぶりに外出して楽しかった。やっぱり外に出ないと話にならないわ。プールにも行けて今日はとても頑張ったと思う。