びーの独り言

どこいくの?どっか。

2014/02/01(土)「いすみ」

 昨年からずっといすみ鉄道の社長ブログを楽しみにしている。社長はいろいろユニークな仕掛けをすることで知られているが、特に大糸線を走っていたキハ52を買い取ったことは衝撃だった。私が初めて大糸線に乗ったとき、糸魚川駅には肌色と柿色を組み合わせた昔の急行に使われていた車両が停まっていた。網棚が本当に網だった。まだこんなのが走っていたのかとビックリした。おそらくこの車両をいすみ鉄道が買い取ったのではないか?乗り換え時間がなくて写真を撮れなかったのが、今ではとても悔やまれる。いすみ鉄道ではキハ52を首都圏色の全面タラコに塗り替えるというので、2/16で今の国鉄色は見納めとなる。いつか見に行かねばと思っていたが、これは本当に見に行かねば!
 起きたのは7時過ぎだった。いろいろ身支度や雑用をしてたら9時になってしまった。いつものようにくじけそうな心が立ち上がってきたが、本当に最後だからと思うと行かざるえなかった。0924千葉みなと出発。いすみ鉄道の起点大原に到着したのは1033だった。
 社長ブログによれば、大原漁港では伊勢海老水揚げが日本一らしかった。腹ごしらえに大原漁港に行くつもりだったが、その前にキハ52の時刻を確認した。JRに隣接したいすみ鉄道の待合室兼改札にはたくさんのいすみ鉄道グッズが並んだ棚があり、レジ兼改札の女性が2人立っていた。ローカル線の頑張ってる感が出てて微笑ましかった。改札の奥にはもうすぐ発車する黄色のディーゼルが停まっていた。この車両にはムーミンがフューチャーされていた。社長によれば、何もないことを売りにするいすみ鉄道にはぴったりなキャラクターなんだそうだ。時刻表ではキハ52は急行として運用されていた。次の急行は1352だったので、充分にご飯は食べれそうだった。
 大原漁港までは歩いて1kmだった。トラックが通りまくるのか排気ガスがひどかった。11時頃に漁港に到着したが、殺風景で人気がなかった。おそるおそる「いさばや」に行くと、左の方のレジに明るいおばさんがいた。正面の大きな水槽の底には伊勢海老が十匹以上うごめいていた。すぐに「100g1300円」という札が目に入った。高過ぎるだろ。さすがにこれは止めておこうかと思ったが、伊勢海老って食べたことないし。昨年の食品偽装の影響で高騰してるらしかった。おばさんに「予算いくら」と聞かれたので、思いきって「5000円」と返すと、大きくて元気な伊勢海老を薦められた。網ですくってトレイに入れると、思ったよりでかかった。秤で測ると350gくらいで、「4000円にまけとくわ」と言われた。全然まけてもらった感はなかった。あとは味噌汁200円、タコ飯300円。今までの食事の最高額を更新してしまった。料理している間、漁港に上がったタコを見に行った。大きな青いプラスチック製のコンテナに、タコわさ色をしたタコがくねくねと隙間なく詰まっていた。なかなかグロテスクな光景だった。店に戻ると店頭でタコが茹であげられていた。色は真っ赤に変わり、身体は硬く丸まっていて、タコ本来のイメージになっていた。席に座りしばらくすると、料理がやってきた。さっきの伊勢海老は、身体は刺身にされ、頭は真っ二つにされ味噌汁に突っ込まれていた。刺身の量があまりにも少なくて驚いた。身は透明でいつもの海老と若干違う感じ。食べてみると、いつもより少しぷりぷりしていたが、味はほとんどしなかった。味噌汁も普通だった。一緒に食べたタコ飯が一番うまいってどうよ?値段分の価値は小指の先すらも感じられなかった。これが採れたての伊勢海老というなら、バナメイエビで充分だ。
 残念な気分で残念な排気ガス臭い道を大原駅に戻ると、ちょうど1158のムーミン電車が来ていた。急行には早いが、途中の駅で下車することにした。長いロングシートの車両には、乗客は30人くらいいた。その半分が同業者ぽかった。いすみ鉄道には2回乗ったことがあるが、だいぶ同業者が増えた。社長の鉄オタをターゲットとしたAKB商法が効果を表してきたのかもしれない。車両はディーゼル特有のブルブルという振動とともに、冬の枯れた田んぼの間や、寂しい千葉の山をぐねぐね走っていった。1235大多喜で下車。電車を降りたところで社長がお出迎えしてるではないか!社長の顔は笑顔だったが、その裏には厳しさと怖さを感じた。思わず本能的に会釈してしまった。よく見るとテレビカメラが回っていた。人気あるんだなあ。
 大多喜で降りたのは、前々から城があるのが気になっていたから。キハ52の急行までは2時間あった。駅前の観光本陣で自転車を借りて、昔の町並みが残る町をうろつくことにした。町並みはそこそこ整備されており、茶色の木造家屋が並んでいた。本物の木造家屋だけではなく、外観だけ合わせたものも結構混ざっていた。もしかすると江差のように行政からの助成金が出てるのかもしれない。全体としては、すごくはないが、努力はしてるという印象。お目当ての城は山の上にあった。自転車で行ってみたが、とても坂がきつくて時間的にもゆっくりできないので途中で引き返してしまった。その代わりに偶然見つけた「房総中央鉄道館」に行った。入った瞬間に失敗したと思った。巨大なジオラマにはNゲージが走り、壁にはサボや駅名票。かなりディープな鉄オタのおっさん2人がいて、内輪ネタで盛り上がっていた。奥の方の部屋にもおっさんが2人がいて食事をしていた。雰囲気から察するにサークルの活動場所ではないか?失礼に当たらないよう少し時間を潰してから退散した。
 1415大多喜駅のホームに出て、キハ52が到着するのを待った。駅員さんのアナウンスとともにキハ52がキハ28を引き連れて到着した。第一印象では懐かしさは特になかった。記憶の中の大糸線の車両とも一致しなかった。キハ52の塗装は所々ひび割れてボロボロだった。確かにこれでは塗り替える必要があると思った。車両に乗り込むと想像よりも普通で拍子抜けだった。はしっこはロングシートで、中はクロスシートだった。そして網棚は金属のメッシュ。違う。これじゃない。後ろのキハ28に移動すると、網棚は本当の網だった。もしかするとこれだったかもしれない。疑問は完全に解決されないまま1431に電車は出発した。動き出すと今までにない横揺れに驚いた。そして、横揺れの度にサスペンションか何かがギイギイ不安な音を立てていた。乗客は鉄オタばかりだった。でも、廃止間際にわいてくるような不快な客はいなかった。こういうマイナーイベントに来る人はマナーも心得ているのだろう。外にもカメラを構えた人がたくさんいた。SL並の人気だ。終点上総中野は普段は人気がないのに、今日だけは鉄オタの撮影会場になっていた。まるでここなら迷惑にならないだろみたいな。
 これは完全に鉄オタの祭りだった。社長は鉄オタを狙ってるとは公言してないが、社長自身が鉄オタだし、鉄オタで活性化を狙っているとしか思えない。こういうのに助成金が使われててもいいのだろうかという気もしなくはない。でも、存続させたいなら地元も認めざるえないだろう。それにお客さんはみんな楽しんでいる。移動手段としての鉄道を越え、体験を売るというのがこれからの観光スタイルになるんだろう。もっと言えば、お客さんが自分たちも関わって作り上げていく、今日はそういう雰囲気までも感じた。いいものを見させてもらった。またいつか参加したい。
 上総中野では小湊鉄道に乗り換えられるが、この急行には接続していなくて90分待ちになった。小湊鉄道の上総中野と隣の養老渓谷の間は長い間不通になっており、駅前ロータリーには代行バスが停まっていた。運転手さんは大変だなと思った。上総中野駅では前もえらい待たされたことがあるが、とにかくなんにもなかった。待合室に置いてあった観光パンフを見ると、近くに食事ができるところがありそうなので、少し歩いてみた。駅前の通りは昭和のまま時が止まり、埃を被った小売店が放置されていた。目的の店は営業時間内にも関わらず閉まっていた。おそらく潰れたに違いない。駅に戻って待合室のベンチに座りブログを打ち続けた。いすみ鉄道の次の電車が到着し、1630に代行バスは出発した。バスは線路に対してジグザグに進んでいった。途中の踏切で路盤に重機が入っているのが見えた。どうやら突堤が崩壊しているようだった。結構高い突堤だったので復旧までは時間がかかるかもしれない。10分ちょっとで養老渓谷駅に到着した。
 小湊鉄道の車両も国鉄色のキハである。JRの車両とはデザインが変わっていて、そこは小湊鉄道のオリジナリティーを主張している。車内をよく見ると、天井までよく清掃が行き届いていた。これは気持ちのいい発見だった。かなり小湊鉄道の印象がアップした。小湊鉄道もそんなに人が乗ってるように思わなかったが、存廃の話はまったく聞いたことがない。もしかすると市原市は事業所からの収入で潤ってるのかもしれない、なんて勝手に想像を膨らましていた。終点の五井に到着したときには、外はすっかり暗くなっていた。
 五井からは総武線快速グリーン車で東京に行き、丸ノ内線で池袋、西武池袋線大泉学園。20時に大学友人Sと待ち合わせ。「村さ来」で飲んで、Sの部屋へ。すぐに寝た。