びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/10/22(土)「横川」

 645、起床。8時半、出発。どこかに行こうと思っていたが、行きたいところがなかった。とりあえず宇都宮に行くことにして、東関東道に乗った。すると、横川の碓氷峠鉄道文化むらに行くことを思いついた。
 外環から関越道へ。所沢から渋滞。出かけるなら渋滞は必須。諦めの心境。1045、高坂SA。1110、給油後に出発。松井田妙義IC下車。
 すぐに信越本線沿いの道となった。横川駅に向かってるのだから当たり前だった。それにしても景色が雄大だった。隣には深い谷があった。こんなに山深かったっけ?
 1215、道沿いに大きなおぎのやがあった。この辺りでご飯を食べるなら、やっぱり峠の釜めしだよな。2週間前の横川SAでは、峠の釜めしはうまくないと書いたが、代わりに食べたローストビーフ丼はもっと不味かった。どうやら峠の釜めしを食べる運命らしい。店の中は2週間前のSAとそっくりだった。イヤな予感しかしなかった。峠の釜飯を注文した。人生で2回目。蛸壺のような陶器の蓋には縦書きで「おぎのや横川駅」と書いてあった。椎茸、タケノコ、鶏肉、ごぼう、杏、うずら卵などが入っていた。一口目は椎茸でうまかった。意外といけるやん!食べ進めると、段々と飽きてきたと同時に、容器の下の方が取りにくかった。やっぱりダメ。
 13時、碓氷峠鉄道文化むら。ここは横川駅に併設されていた。横川から軽井沢の間には碓氷峠があり、かつて信越本線が通っていたが、あまりの難所のため、日本の鉄道で一番の勾配(66.7‰)があった。この区間には、ラックレールを使った日本初のアプト式が採用され、日本の鉄道では最も早く電化された。アプト式を粘着運転に改めるため、線路は新線に切り替えられた。同時に通常の列車ではパワーが足りないので、横川駅で機関車が増設される運用となった。そのため横川駅には横川運転区が設置され、構内には多くの機関車が留置されていた。しかしながら、長野新幹線開業と同時に碓氷峠区間はあっさりと廃止された。えーっと思ったが、それ以上に設備の維持費がかかったのだろう。
 碓氷峠鉄道文化むらは横川運転区の跡地を利用して、44種類の車両の保存をしていた。また、横川から熊ノ平までは廃線跡を歩くことができ、途中まではトロッコ列車が走っていた。私は廃線跡を見たかった。特にレンガで作られたアーチ橋、碓氷第三橋梁、通称めがね橋が有名だった。
 駐車場から衝撃的だった。アスファルトに何本も現役時代のままと思われるレールが埋まっていた。なんてことしやがる。わかってるじゃねえか。
 外から園内を見ると、トロッコ列車が停まっていて、もうすぐ発車しそうだった。入口には1310発車となっていた。じっくり写真を撮りながら入園したかったが、急いで入園すると既に満員だったorz。
 気を取り直して、次の列車を予約してから、園内を回ることにした。当たり前のように屋外に車両が展示されていた。広場には子供用のおとぎ列車の線路が何パターンか用意されていた。多くの家族で賑わっていた。
 鉄道資料館に入った。1階には大きなジオラマがあった。ジオラマには興味ないんだよな。2階は写真や資料が展示されていた。旧線と新線の位置関係が知りたかったが、よくわからなかった。こういう施設には珍しくあんまりいい展示ではなかった。
 園の奥の方にはたくさんの車両が展示されていた。これはなかなか圧巻だった。車両に興味のない私でも凄いと思った。ただ半分くらいはよくわからない車両だった。きっと珍しいんだろうな。たくさんの人がいた。写真を撮ろうにも誰かが映り込んでしまった。時間がなかったので、一旦後回しにして、トロッコの乗り場に行った。
 1410発車の「シェルパくん」に乗った。不思議なことに陸別や仁宇布で感じたような気持ちの盛り上がりはなかった。家から近いからだろう。機関車は林鉄のようだった。車両はまあまあ大きかった。
 発車すると、園内の展示車両を横目に列車は上り続けた。複線の片側がトロッコ列車で、もう一方はアプトの道だった。アプトの道のアスファルトにはレールが埋まっていた。国鉄仕様の架線柱はアプトの道の上にも掛かっていた。もしかすると、すぐにでも復活できるのかもしれない。
 丸山駅で3分間停車。レンガ積みの変電所跡が2棟あった。鉄道の施設であった。噂では聞いていたが、実物は素晴らしかった。球磨川にあった深水発電所を思い出した。
 終点はとうげのゆ駅。14時半到着。乗車時間は20分だった。ここには名前の通り温泉があった。最終列車までは70分だった。頑張って1.9km先にあるめがね橋まで往復することにした。ここからアプトの道は新線と分かれて旧線沿いになった。廃線跡は複線から単線となり、地面に埋まっていたレールはなくなった。道は相変わらずなだらかに上っていた。そこを早足で歩いた。日頃鍛えてないことを後悔した。
 立派なレンガ積みのトンネルが現れた。中はライトアップされていて、レンガ積みがよく見えた。よく手入れが行き届いていており、全体的にきれいだった。福知山線の旧線(生瀬-武田尾)や北陸本線旧線(敦賀-今庄)を思い出した。トンネルは何度も見てるので、私の中では特別珍しいものではなかった。トンネルは5本あった。
 5本目のトンネルを出たらすぐにめがね橋の上に出た。所要時間は25分強。帰りのトロッコには間に合いそう。わかっていたことだが、橋の上からは下がどういう構造なのかはわからなかった。ただ地面はかなり下の方にあった。めがね橋の先もトンネルになっていた。アプトの道は熊ノ平まで歩けるが、時間がなかったので引き返した。下調べしないからこうなるorz。
 とうげのゆ駅を1540発車。軽井沢から歩いてきた一団もいた。Youtuberの背広氏も歩いていたので、いつかチャレンジするのもありかもしれない。
 16時に鉄道文化むらに戻ってきた。まだ見てない車両を見ることにした。すると、車両の前の芝生にはたくさんのテントが張られていた。撮影にはめっさ邪魔だった。園内の放送で、園内を一周する列車が10分後に発車するらしかった。せっかくだからこれにも乗ることにした。
 1620発車の「あぷとくん」。こちらはレールの幅も狭かった。路盤は後付けだろう。機関車はこれも林鉄のようだった。客車は少し狭めで、あすなろう鉄道のようだった。動き出すと、非常にのろかった。7分で終わるからだろう。園内には人気は少なかった。まだ残ってる人たちが手を振っていた。私はいつも振らないが、その代わり微笑むことにしている。園内を一周するのは、丸瀬布の雨宮号のようだった。雨宮号は八の字だったが、あぷとくんはゼロの字だった。テープでひたすら園内の案内を流していた。最初に聞きたかったなあ。
 1645、めがね橋に行くことにした。国道18号線の旧線で碓氷峠に向かった。ひたすら九十九折で高度を稼いで行った。道端のスペースに車が停まっていたので、そこに停めた。
 車から降りると、目の前にめがね橋が見えた。上からはあんまりだったが、下からは大迫力。レンガ積みの四連アーチ橋、高さは31m。日本のレンガ建造物では最大規模を誇った。何枚も写真を撮った。ここからは橋の上にも上れるようになっていたが、別に上る必要はなかった。
 碓氷峠はここからさらに高度を上げ続けた。九十九折ばかりの悪い線形。もしかして、と思ったら、2箇所ほど他にもアーチ橋があった。ただし、暗くなりつつあったのと、車を停めるスペースがなかったのと、なにより満足してたので、スルーした。
 碓氷峠は高度を標高900mを越えて、驚いたことにそのまま軽井沢に到着した。軽井沢がなぜ避暑地なのかずっと疑問に思っていたが、単純に高いところにあったからだということに気づかされた。軽井沢には、どこにも似つかないきらびやかでおしゃれな店がたくさんあった。それからどういうわけか灯りが抑えられていて、少し暗い感じがした。町ぐるみで条例があるのかもしれない。光害という言葉が思い浮かんだ。
 近くの道の駅を探した。すると佐久にあった。ナビはなぜか高速を選んだ。佐久って軽井沢からそんなに遠いのか?上信越道の碓氷軽井沢ICから佐久小諸JCで中部横断道の無料区間へ。佐久南IC下車。
 1850、道の駅ヘルシーテラス佐久南。車の中でいつものようにブログを打ってたら、とても寒かった。寝れるかどうかはこれからだが、ブログが打てないと車中泊はこれまでかな?