びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/06/27(火)休「輪島」

 珠洲市役所前の飯田わくわく広場。2時半頃に激しい雨音で起こされた。せっかく静かな場所を選んだのに。いつもならそのままトイレに行くのだが、そういう気はまったく起きなかった。
 起床は525。ずっと激しい雨が降っていた。トイレに行くと、赤い女性物の傘が置いてあった。男子トイレの洗面台を拭いてるおばさんがいた。こんな土砂降りの朝早くから。私の旅はこういう人たちに支えられているんだなと、頭が下がる思いだった。
 朝食後、天気予報を調べた。2週間ずっと雨。そんなことってある?ドライブなのにこれは辛いなあ。昨日のブログを修正して、750に出発。運良く雨は上がっていた。
 8時、蛸島駅跡。昨日、撮り忘れた写真があったので再訪。隣の郵便局で職員さんが掃除をしていた。見つからないように移動した。
 最北端を目指して北上した。雨は止んだけど、空は曇っていた。海は昨日の深い青から鈍い水色になった。海には空が映りこんでるのかもしれない。
 840、聖域の岬自然環境保護センター。観光地には不釣り合いなくらい凄くきれいに整備されていた。すべてが胡散臭さ満点だった。どこが自然環境保護なん?聖域の岬とかなんやそれ?日本三大パワースポットという文言も気持ち悪かった。
 建屋の中に入ると、職員の若い女性が施設についてのプレゼンを始めた。私の他に客はいないんだが?施設には、崖から突き出た「空中展望台」、能登半島最北端の「聖域の岬」、海蝕洞の「青の洞窟」があった。なんか人に興味を持ってもらえる仕掛けの勉強させられてる気分だった。
 入場券は自動券売機で購入。ボタンには「1500円(傷害保険付き)」と書かれていた。めっさ高い!!!岬を占有してる上にこんなに金取るんかよ!括弧書きの傷害保険付きというのも高さの言い訳にしか見えなかった。ヘルメットを着用したが、安全対策というより雰囲気作りだろ?入り口は自動改札で二次元バーコードを翳すとバーが開く仕組み。空港か?
 まずは空中展望台。展望台は2階建てだった。1階部分は崖から金属製の細い通路が空中に9m出っぱっていた。先っぽでは上下に揺れたが、450kgまで耐えれるらしかった。そんなんはウソつかれてもわからないし、落ちる時は落ちるだろう。崖下は入り江になっていて「ランプの宿」という江戸時代からある宿が見渡せた。やたらランプの宿を推してるようだったが、だからなんなのか?
 展望台の2階からは海岸線が遠くまで見渡せた。いい景色だったけど、私は何回もそういうのは見てるからなあ。しかも、無料で。
 次は聖域の岬。通路の周りはとてもきれいに整備されていた。崖のギリギリまで下草が刈られていた。さすが高いお金を取るだけのことはあった。岬からも海岸線が見渡せた。何が聖域なのかわからなかった。誰かわかるように説明して下さい。
 最後は青の洞窟。名前は素敵で一番気になったのだが、パスタの具と同じ名前なんだよなw。さすがに商標は被ってないんだろうけど。突然岬にある意味不明な真っ赤っかの鳥居を潜ると(結界の演出か?)、道は九十九折で強烈に下りっていた。下の方には崖に挟まれた小さな入り江が見えた。道はコンクリートできれいに舗装されていた。どこが自然環境保護なのか?
 崖下に到着すると、崖には半円形の断面を持つトンネルがあった。中は真っ赤っかにライトアップされていた。壁は真っ赤なペンキを塗られた鋼材だった。入口から50mくらい奥は、大きな空洞になっていて、青くライトアップされていた。青色は昨日の巨大水槽のような青だったけど、中にあるものはあまり面白くなかった。地面にはコンクリートで超浅くプールのような水が張られていて、壁にもコンクリートが吹き付けてあって、窪みには小さな観音像や、たくさんの火のついたろうそく。左手には入り江になっていて、崖の切れ間から日が射していた。まず、青のライトアップは明らかにやりすぎ。何かをごまかしているように思えた。それからコンクリート使いすぎ。どこが自然環(ry。それから崖の切れ間も自然のを何回か見てるからなあ。今さら驚かないよ?
 能登半島最北端を見逃したので聖域の岬に戻った。目印と言われた曲がった木があった。本当に最北端なのかは信じがたかった。最北端なのに施設でお金を取るの?
 隅から隅まで管理されていた。面白いことに看板や注意書きが一つもなかった。それなのに道は整備されている。なんだろう?あらゆる角度から胡散臭くて仕方なかった。これでは話のネタにもならないかもなあ。言ったところで誰も信じてくれなさそう。もう二度と来ないだろう。でも、25年後にこの施設がどうなってるかは興味がある。
 最北端を見つけたけども、灯台のある禄剛崎(ろっこうざき)を目指した。人は端っこに行きたくなるんだ。
 935、道の駅狼煙(のろし)。こんなにカッコいい地名はないだろう。禄剛崎灯台までは300mの階段だった。
 940、禄剛崎灯台。明治のレンガ積み。この灯台がいまいち有名でないのは読み方がわからないからだろう。ここも最北端を標榜していた。聖域の岬とどちらが最北端かわからなくなった。是非とも禄剛崎に勝ってほしいところだが?それにしても平日だからか観光客が一人もいなかった。奥能登は不人気だなあ。1005、出発。
 海岸線沿いを輪島に向けて走った。特に奇岩や眺望以外には何にもなかった。海には岩礁があった。北海道の北檜山から江差辺りの海岸線と似ていた。日本海側はどこも同じなのかもな?
 1025、ゴジラ岩。巨大な岩があるのかと思ったら、岩礁の中にある小さな岩だった。無理矢理感が半端なかった。禅寺の庭園は、岩を動物に例えて遊ぶと言うが、これはあまりにも酷かった。これが通るならなんでもありになってしまう。しかも、同名の岩が男鹿半島にもあるみたい。ボラ待ちやぐらもそうだったけど、能登は観光資源に困っているのか?
 1045、奥能登国際芸術祭2017の参加作品「時を運ぶ船」。山の中腹に建つ保健所の中にあった。建物の鍵が閉まっていて作品を見ることはできなかった。それでも中を覗くとドアの隙間から、赤い糸がたくさん張り巡らされているのが見えた。十和田市現代美術館でも同じ作品を見たような?
 1050、道の駅すず塩田村。奥能登にはかつて塩田がたくさんあった。しかし、塩の作り方が変わってしまい、昔から続いているのは1軒だけとなった。この道の駅には、塩の資料館があり、中には実際の塩田があった。ここの方式は揚げ浜塩田と言って、砂浜に海水を撒いて、天日で乾燥させてから、海水で砂を洗い流し、濃い食塩水を作っていた。瀬戸内海には入浜塩田が多くて、これは砂に海水を撒く代わりに自然の潮の満ち引きを利用していた。塩の作り方は子供の頃に見た何かで知ってたけど、実際の塩田を見るのは初めてだった。ただ昔ながらの効率の悪い方法を残して、味や栄養などのメリットがあるのかな?
 11時半、垂水の滝。崖から滝が直接海へ落ちていた。別にそういうのはたくさんあるが?
 側にお店があったので入った。「滝見亭」。のと海鮮丼を頼んだ。12種類の具材が入っているらしかった。エビ、カニ、サザエ、あとは刺身たち。こんなんおいしいに決まっている。輪島塗の箸をもらった。店の名前が入っていた。
 食後に予定を立てようとしたが、携帯のアンテナが立ちにくかった。テレビではエンジェルスの試合をやっていて、大谷翔平が打席に立っていた。携帯のアンテナよりも大谷翔平。1225、出発。
 12時半、窓岩。大きな岩礁に穴が空いてた。だから何?
 1250、白米千枚田。棚田。やたら観光案内で出てきた。観光バスも何台も止まっていた。棚田は何度も見てきてるし、別に珍しいとも思わない。ここのはきれいに整備され過ぎのように見えた。やっぱり能登には観光資源がないらしい。
 輪島は能登では群を抜いて大きな町だった。金沢と観光でセットにされるだけのことはあった。輪島には凄く行きたかったが、車がなかったので今まで無理だった。「めぞん一刻」で重要な役割を果たした町だと私は思っている。
 1335、道の駅輪島ふらっと訪夢(ほうむ)。ここにはのと鉄道輪島駅跡のモニュメントがあった。輪島駅は終点であり、駅名標の隣の駅の欄は本来空白であるはずが、「シベリア」と書かれていた。これが一躍輪島駅を有名にした落書きだった。これを書いた人はセンスあるし、残した駅長もシャレがわかっていた。子供の頃からずっと見たかった。再現の駅名標だったが、ようやく念願が叶った。
 14時、石川県輪島漆芸美術館。4部構成の展示1~3は全国の芸大の学生の作品だった。ほとんどが女性の作品だった。なんか見るに堪えないのが多かった。漆をただの絵の具だと勘違いしてないかい?斬新と言うより、素材に対する理解が足りてないような?よくもまあこんなんで人前に出すなあというものが多かった。これから社会に出るんだから、表現よりも先にちゃんとした技術を身に付けなさい。中にはこの子は真面目にやってるなあというものもあった。作品というのは如実にそれが出ることを知った。人に見られるってこういうことなんだな。
 展示4は、輪島塗の説明だった。輪島塗の特徴は、一言で表すなら「堅牢」。下地の粉が他とは違っており、弱そうなところを布で補強していた。
 ここにはプロの作品が展示されていた。輝きも色合いも緻密さも曲線もすべてが素晴らしかった。どの部分を取っても学生とはレベルが段違いだった。
 1510、輪島朝市駐車場に車を停めて、永井豪記念館に行った。旅の途中で記念館の存在を偶然見つけて、楽しみにしていた。なんと展示替えのため今週は休みorz。これはもう一度輪島に来いということか?
 1535、輪島キリコ会館。キリコとは御輿の上に紙の灯明を建てたものであり、全国の祇園祭における山車のようなものであった。これは能登半島中に分布していた。
 ここにはキリコが展示されていたのだが、江戸時代のキリコは高さが建屋の3階くらいまでありド迫力だった。これは日本で一番大きいとのこと。現在は電線に引っかかる恐れがあることから、小型化しているそう。京都の祇園祭では電線を撤去するんだが。その違いが面白かった。
 ここはキリコをたくさん展示していたが、キリコの説明があんまりなかった。能登の施設はどこも説明がほとんどないんだよなあ。
 次の場所に移動しようとした時に、明日の朝市がピンポイントで休みだと知った。輪島と言えば朝市というくらい有名なのに!完全にもう一回来いというお告げに思えた。
 1625、輪島朝市駐車場。明日の朝市がないので、朝市の開かれる通りを歩いた。ここは朝市通りと呼ばれていた。重蔵神社の参道であり、道の両側には店が並んでいた。先ほどの永井豪記念館もここに並んでいた。どんづまりは重蔵神社になっていた。
 駐車場に戻って、七尾の幸寿しに電話した。輪島から七尾までは車で1時間だった。平日だからいけるかなと思ったのだが、今日は予約でいっぱいと言われたorz。地域で一番の人気店なんて、所詮予約なしでは無理なんだな。納得。1645、出発。
 明るいうちにのと鉄道輪島線の廃線跡巡りをすることにした。
 1655、能登市ノ瀬駅跡。完全に痕跡はなくて、家が建っていた。
 1705、能登三井駅跡。駅舎と駅名標が残っていた。駅舎はカフェになってるようだったが、まだ現役なのかはわからなかった。ホームは土で埋められていてパターゴルフ場になっていた。よくあるパターンだった。
 ここからは輪島に戻って、明るいうちに、行けるとこに行こうとした。すると、町中で「ゆべしもち」と書かれている看板を見つけた。そういえば「桃太郎電鉄」では、輪島に「ゆべしもちや」があった。
 1735、梅屋。ゆべしもちは温州みかんの小ぶりくらいの大きさで1500円。ゆべしもちが何かわからないけど、ものすごく高いと思った。日持ちは10日間らしかった。職場のお土産に1個買った。分けて食べよう。
 改めて観光。1750、鴨ヶ浦。岬みたいなところ。海に岩がたくさんあったが、どれも白かった。珍しいと思った。岩場には橋で渡ることができたが、高校生らしき数人が大声で騒いでいたので、行くのを諦めた。
 夕食を検討したのだが、しっくりくるのがなかった。夜はあんまりがっつり食べたくないんだよなあ。その中で「饅頭処つかもと」の「えがらまんじゅう」を見つけた。これだと思った。また三度朝市通りに行った。閉まっていたorz。
 18時半、8番ラーメン輪島店。8番ラーメンは石川県のローカルチェーンで野菜ラーメンが有名だった。しょうゆラーメン、餃子、ライスのセットにした。
 ラーメンの汁は薄くてあまり特徴がなかった。生っぽいキャベツともやしが山ほど入っていた。汁が薄いので、野菜の味が引き立つようだった。これは「神座」とも違うし、ベトコンラーメンとも違った。ある意味新鮮だった。餃子とライスがとてもうまかった。
 19時半、ねぶた温泉。日本で三本の指に入るくらいお湯がぬるぬるするらしかった。凄かった。凄すぎて気持ち悪かった。最後に撤収する時にpHが10であることを知った。なんか凄そう。
 2010、輪島朝市駐車場。土砂降りの雨となった。世界が沈没するんじゃないかというくらい激しい雨だった。昼間に降らなくてよかったけど、夜に降るのもなあ。車の中ではブログを書いた。雨は結構長く続いたけど、止んできた、と思ったらまた降ったり。