びーの独り言

どこいくの?どっか。

2019/02/06(水)休「入院216」

 早速実家の電話番号を着信拒否にした。もし父親が病院に来たら面会を拒否する。退院後は電話番号を変更して、家の鍵も交換する。もう二度と父親とは関わらない。ボケ老人と話しても問題は永遠に解決しない。
 人は死んでしまったら、その先はない。私は霊や魂を信じていないし、ましてや輪廻や復活も信じていない。葬式や墓は霊や魂を弔うものではなく、残された人の心を落ち着かせるためのものである。葬儀屋や坊主に払う金額で思いの大きさが伝わるものなんかじゃない。母親は私の心の中にいて、私は心の中で感謝していれば、それでいいと思っている。四十九日だの墓参りなどしなくても、日常の特定の所作をする度に母親とのエピソードが思い出される。私にできることは私が幸せだと感じることである。
 私が入院前に考えてたことは、これで死んでも仕方ないということだった。やり残したことも特にないし、なるようにしかならない。生き死にはその人の運命なのだ。自分でコントロールできるのは自分の心が見せてる景色だけである。いつか死ぬことを心配するあまり暗い気分になるより、最後まで楽しいことを探して笑っていたい。今では入院前よりも強く確信している。
 ただし私の考えは一つの考えに過ぎず、社会では通用しないこともあるし、おそらく変わってる方だろう。集団生活になると集団の考えを押し付けてくる人もいる。葬式や四十九日に出なかったら悪く思われるかもしれない。自分を偽って周りと話を合わした方が無難だったりする。自分が幸せだと感じるのが第一だけど、第二に周りも幸せだと感じさせたい。これからの人生はそういうことがテーマになるだろう。