びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/05/06(月)振休「須賀川」

 道の駅米沢。245にトイレ。一回寝たけど、腹痛により再びトイレ。起床は6時。今日は最終日。今晩は遅くなること確実だから、もっと寝ておきたかった。朝食後、昨日のブログの修正。髭剃り、虫取り、眼鏡の掃除。
 720、出発。須賀川円谷英二ミュージアムを目指した。山形のラジオを聴きながら車の運転。米沢ICから東北中央道、栗子トンネルに入るとラジオが途切れた。トンネルを出た後も復活しなかった。バンドを変えたら福島のラジオが引っ掛かった。東北道に入り、須賀川IC下車。
 目の前に体育館のような建物が現れた。建物の壁には大きなウルトラマンの看板があった。また壁には円谷幸吉メモリアルアリーナと書かれていた。ここが円谷英二の施設なのかな・・・あれ?円谷は円谷でも円谷幸吉なのか?8時半、ファミマで時間潰しと戦略を練った。
 9時、円谷幸吉メモリアルホール。円谷幸吉東京オリンピック1964のマラソンで銅メダルだったが、その後思うように走れなくなり自死を選んだ。円谷幸吉のことは「栄光なき天才たち」で初めて知った。栄光とその後の悲劇はなんとも言えない後味の悪さを感じる。また同時に、周りの期待に応えようとひたむきで真面目で真剣に向き合っていたことも感じる。せっかく偉業を達成したのだから、もう少しなんとかならなかったものかと、いつもいつも本当にそう思う。ほんの一つでも歯車が違っていれば、悲劇は防げたかもしれない。残念でならない。
 10時、円谷英二ミュージアム。図書館の一角にあった。円谷英二は特撮の父と呼ばれ、「ゴジラ」「ウルトラマン」で知られる。ここの展示は、円谷英二がどうやって怪獣を考えていたのかの説明とともに、関連図書を一緒に展示していた。観光客は円谷英二のことを知りたいだけだから、関連図書で恐竜図鑑とか置いてても開かないような気がする。そのチャレンジは認めるけど、何を目的にしてるのか中途半端のように思えた。因みにゴジラばっかりでウルトラマンはあんまり取り上げてなかった。円谷英二ウルトラマンが終わった辺りに亡くなっていたからなのかもしれない。
 1135、レストラン&パーラー和蘭丹。Aセット。サラダ、野菜サンド、ハンバーグ、ナポリタン。ハンバーグが特においしかった。
 1235、須賀川特撮アーカイブセンター。特撮で使った道具を保管したり、修理したりしていた。円谷英二というよりは庵野秀明のプロジェクトだった。庵野秀明のプロジェクトのことは昨年夏青森の庵野秀明展で解説されていた。いたるところには「エヴァンゲリオン」で使われたフォントがフューチャーされていて、庵野秀明感が出ていた。子供対象に塾を開いていて、そこで作った短編作品がなかなか素晴らしくて驚いた。ただ、庵野秀明の高校時代の作品の方がインパクトがあった。やはり熱量は技術の良し悪しとは関係なく画面越しでも伝わるものだな。
 14時、出発。那須に向かった。給油。CDプレーヤーをいじってもなんともならなかった。須賀川ICから東北道へ。途中でCDがプレーヤーから出てきてることに気づいた。急いで抜きとった。那須高原IC下車。
 1505、藤城清治美術館。藤城清治のことは一昨日に大曲の影絵で知った。たまたま那須に美術館があることを知り寄ってみることにした。2000円。高いなあ。影絵の特徴はなんと言っても光による色の鮮やかさである。またぼかしも全然違う。絵にはかわいい小人のキャラクターがあちこちに使われていた。これらの絵は童話との親和性が素晴らしかった。その反面、東日本大震災の風景はこれではない感じがした。藤城清治はケロヨンの産みの親でもあった。ケロヨンについてはあまり説明されてなかった。大曲で見た水や鏡を使った作品があった。やはり抜群に美しかった。
 1640、もうやることがなくなってしまった。これから帰るとちょうど大渋滞にはまりそう。でも、少しでも早く帰るために出発することにした。CDを詰まってもいい物に変えてみた。ちゃんと再生された。那須ICから東北道へ。1705、黒磯PA。渋滞する前に休憩したかった。1720、出発。なぜか混んでいなかった。1905、蓮田SA。他のCDと交換してみたらうまくいった。壊れたわけではないのか?1920、出発。20時半、帰宅。
 今回の旅行は、不人気な地域を巡ったためか外国人はほとんど見かけなかった。また自治体によって観光に対する考え方が如実に差として現れていた。どこもまだアルコール消毒が幅を利かせていた。こういったところは地域性が出ていてとても面白いと思った。博物館関連では結構インパクトがあるものが多かった。白瀬矗土門拳なまはげ藤田嗣治太宰治、まんが、特撮、藤城清治。まだまだ東北にはたくさんネタが転がってそう。とても意義のある充実した旅行だった。