びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/12/25(日)「旅行3」

 乗り鉄の朝は早い。なるべく音を立てないように静かに鍵を開けて撤収した。道を歩いていると都会よりも闇が深く感じられた。早朝の指宿駅は4年ぶりだった。18きっぷではなく、普通にきっぷを買った。当初予定ではなんとなく鹿児島市内のつもりだったが、湯の里ユースに泊まっても旅程に変更はないのでもう一泊することにした。0609出発。指宿―枕崎―指宿。
 枕崎へは鹿児島からバスが出ておりわざわざ指宿経由で電車を使う人なんていなさそうに思える。電車だと本数もひどく不便だ。枕崎への往路は真っ暗だろうから何も期待していなかった。終点枕崎駅はもともと国鉄ではなく、南薩鉄道の駅として開業した。今は駅舎は解体されホームだけの殺風景な景色になり、4年前にはあまりにしょぼいので驚いた。今回大きなパネルが飾られていて旧駅舎の写真が写っていた。観光名所になってたかもしれないのにもったいないことをしたよなあ。復路では明るくなっていたが、線路が山の中を通っているのは知っていたし、過度の期待はなかった。やがて開聞岳が現れた。きれいな形をしている。円錐形の山に魅力を感じるのはどうしてだろうか?
 9時にレンタカーを借りた。指宿周辺にはどういうわけか気になるところがたくさんあった。後悔しないようにしっかり回ろうという作戦だった。
 まずは指宿の隣の山川駅に行った。山と海の狭い隙間にへばりついていた。ここは有人駅で日本最南端。有人だからなんなんだと子供の頃から思っていたが、現地に来てもやはり疑問が解決するわけもなく。写真を撮ってさっさと撤収。
 ユースのおばちゃんに勧められた山川の砂むしに行った。畑の中の道を進むと小さな案内があり海の方向に誘導された。急な坂を降りると海になり、その先に湯気をもうもうとあげる小さな建物。秘湯ムード満載、テンションが急に上がった。建物には「砂湯里」と銘うたれていた。スーパー銭湯のような「砂楽」とは異なり、共同浴場の雰囲気だった。男性一人が風呂に入ってる以外は客がいなかった。浴衣に着替えて外に出ると、波打ち際と一段高いところに砂場があり、一段高いところに案内された。波打ち際の方が海が見えるからよかったが、風が強いからダメだった。バイトの男の子が一人いて、砂に寝るように指示された。「砂楽」と違って、砂が冷たかった。やな予感がしたとおりに、そのまま埋められてしまった。湿った冷たい砂に一瞬で興奮が冷めた。暖まらないと意味がない。すぐに出るのは忍びないので15分粘った。ユースのおばちゃんだったら文句を言ってただろう。
 日本最南端の西大山駅に行った。ひなびた写真が子供の頃からずっと気になっていた。西大山駅は観光名所として整備されており、駐車場と漬物屋があった。観光タクシーや大型バスが来ていたが、果たして一般人に良さがわかるのだろうか?寂しい感じがいいのに残念なことだ。ホームに日本最南端の記念碑が立っており、ちょうどバックが開聞岳、この構図は感動的だ。どこかのガイドさんが「この沿線に県立高校が3つあるんですよ」と言ってた。だからこの線は存続しているのか。せっかくだから漬物屋に寄った。おばちゃんに勧められて試食するとおいしかった。なんとなく買わなきゃいけない雰囲気になったが、別のおばちゃんが「大型バスが2台来た。来るときは重なるね。」と言った隙に逃げた。
 長崎鼻はこのあたりでは有名な岬のようだった。意外にもたくさんの土産物屋が並んでいた。車を止める場所がなかったが、おじさんが「駐車場無料だよ」と誘導してくれた。すると「この券をこの先の土産物屋で渡してはんこをもらって」と言われた。券には「はんこがあるときは無料」と書かれていた。長崎鼻からは海に落ちる開聞岳がきれいに見えた。逆方向には遠くに佐多岬が霞んでいた。
 池田湖は緑に囲まれた美しい湖だった。イッシーがいると言われているが、ネッシーは捏造だったんだよな?ユースで聞いた話では大ウナギが有名らしかった。観光センターで見たところ、予想通り微妙な感じだった。
 昼食のために枕崎に移動。こっちの国道はアップダウンやカーブが多く、流れは時速60キロくらいでゆっくりしていた。スピードが出そうな地点では必ず制限速度が遅くなった。
 枕崎では駅前の「一福」に行くつもりだった。名前が福一と紙一重だななんて思っていたら、「本日休業」の札がかかっていた。代わりに「お魚センター」に行った。鰹の頭を丸ごと煮たビンタ料理を食べた。魚の頭を食べるのは初めて。目玉の裏はおいしかったけど、他は普通の煮付け。骨だらけで食べるのが骨だった。
 知覧に移動して「特攻平和会館」に行った。初っぱなから、ひらすら顔写真と遺書。どこまでも続く顔写真と遺書。過去最大級の衝撃。靖国神社で免疫ができてるだろうと思っていたが、もっともっと迫力があった。目頭が熱くなった。頭に血が上るようだった。重い、重すぎる。どうして彼らは若くして死ななければならなかったのか?大切な人を守るために死ぬことができるだろうか?生きてることってなんだろうか?ふつふつと沸き上がる色々な感情。そこには答えはないのはわかっている。けれど、どうしても考えざるえない。少し前に命懸けで国を守ろうとした人達がいたということを決して忘れてはいけない。平和な世に生まれたことに感謝し、時間を大切に過ごしていきたい。
 18時にレンタカーを返却し、ユースに入った。内湯に入って19時から夕食。客は私だけ。それから23時くらいまでテレビを見ながらおばちゃんとしゃべりこんだ。おばちゃんは何にでも興味を持っていて話していて楽しかった。いつの間にかユースにも入会してた。おっさんなのにw。旅は人との出会いが面白い。いいことがあれば、その場所がかけがえのないものになる