びーの独り言

どこいくの?どっか。

2010/09/01(水)年休「旅行5」

 「カジカの宿」の朝はまだ霧がかかっていた。落石駅の釧路行きは0845であったが、岬を全く見ないのは哀しいので悔いを残さないようにアタックすることにした。それにしても次の電車が1250ってトホホ。0940頃、宿の前でバイクのDさんとCさんを見送った。Dさんも岬の先までアタックするとのことだった。私はてくてく歩き出した。一度下って、昨日引き返した地点も通りすぎると、再び丘を上り始めた。丘を上りきると舗装が途切れダートとなり、目の前に車止めが現れた。辺りには人気は全くなかった。ただDさんのカブが停まっているだけだった。車止めを潜り抜けしばらく進むと草原の中にポツンと戦争中に使われた通信所が見えた。今では芸術家の美術館になってるみたいだが、鉄製の扉は閉ざされていた。草原の中の踏み跡をたどると、比較的明るい木道がまっすぐ目の前の森を突っ切っていた。木道は丸太で組まれており若干歩き辛かった。周りは湿原で私の他には誰もいなかった。地面の緑と空の青、そのとき私は北海道の自然を独り占めにしていた。やがて前からDさんが歩いてきた。誰もいないこんなとこで2人がすれ違うのが不思議だった。2、3会話したあと「ありがとう」とお礼を言った。「良い旅を」と言われた。お互い逆方向に歩き始めた。何度か振り返ると姿が小さくなってやがて見えなくなった。別れに私は弱い。やがて視界が開けると、草原の中に灯台があった。その先はもう断崖絶壁だった。柵も何もなく、高さは40mらしく、波が岩場に打ち付けられていた。ドラマで死体が浮いているシーンを思い出さずにはいられなかった。残念なことに霧がかかっていて、眺望はいま一つだったが、幻想的な感じがしてそれはそれで良かった。草原のかすかな踏み跡をたどると、隣の丘に鹿がいた。鹿はずっとこっちを見てた。
 大自然の中にいると、普段の悩みやこだわりがとても小さなものに思えた。大自然の前では人間は平等だ。締め切りもノルマもレッテルもない。心の中の何かが解放されていくようだった。私はやりたいことをちゃんとやっているだろうか?いろいろな人に出会う中で湧いてきた疑問だ。私の脳ミソはつまらない言い訳を考えて自分を慰めようとするだろうが、こういうことを感じただけでも、今回の旅行は意義があったと思う。
 落石―浜中。1250の電車で1331浜中駅下車。ここもまた普段なら降りることはないだろう。迷った末に選んだとほ宿「えとぴりか村」を予約。バスまで1時間あったので、食堂を探したが、雑貨屋が1件あるだけだった。仕方なくアイスとお菓子を買った。これでも浜中駅は浜中町の中心駅である。バスで向かった先は霧多布だった。驚いたことに霧多布の町はずいぶん開けていた。行ってみないとわからないものである。市街地を抜けて岬の高台にある温泉に到着。落石とは違い晴れ渡っており、霧多布市街が見渡せた。期待してなかった分、得した気分だった。
 15時すぐに「えとぴりか村」のご主人が迎えにきてくれた。草原の丘を走ると、馬が放牧されていた。宿は草原の中のぽつんと立つログハウスだった。大人の宿を目指しているらしく、とてもきれいな宿だった。オールベッドで清潔感があった。私と空気が似ているヘルパーさんがいて安心した。
 時間があったので歩いて岬へ行った。岬までの道はまさに北海道のイメージだった。抜けるような青空には夏の雲が湧き、草原の丘を遠くの灯台を目指して道路が続き、草原では馬の親子が草を食んでいた。歩いてる人などいない道を自然を感じながら独りで歩いた。途中の展望台には売店があり、落石と違って観光客がいた。眺めは素晴らしかった。断崖がどこまでも続いていた。1枚写真を撮ったところで惜しくもフィルム切れになった。皆、眼レフの話題で盛り上がってたし、そろそろそういうのにこだわるのもいいかもしれない。さて、岬の灯台は落石と同じだったけど、落石よりは明るい雰囲気に見えた。天気がよかったからかもしれない。一番端に行くと海に岩礁があって、鳥がたくさんとまっていた。岩は糞で真っ白になっていた。
 17時に宿に戻って温泉に連れていってもらった。露天風呂からは市街地が一望できた。ご主人によれば、避難施設を兼ねているらしい。そういえば、増毛も池田も高台だった。因みに草原の馬は漁師が昔昆布運搬用に飼っていた名残らしい。
 同宿は京都のじいさん3人組と人形劇団の4人組だった。京都のじいさんたちはかなり感じが悪かった。また、人形劇団は大遅刻で論外だった。団体客はうちわで固まるのでつまらない。私の相手をしてくれたのはヘルパーさんだった。テッちゃんでありライダーでもあり、優しく色々なことを教えてくれた。「今日は珍しく星がきれいですよ」と言われて、外に出ると足元が見えないくらいに真っ暗。やがて目が慣れてくるとたくさんの星が輝いているのがわかった。夏の星を見るのは96年の徳島以来。よく見ると天の川が見えた。天の川を見たのは生まれて初めてかもしれない。夏の最後にいい思い出ができた。