びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/07/10(日)「山下清」

 千葉県立美術館の山下清展を見に行った。最近、橋爪先生や池谷先生の影響を受けて、芸術に興味が出てきている。表現法や絵から受ける印象、作者の生き方に興味がある。そんな中でも山下清だけは最初から別格だった。テレビでイメージが作られているせいもあるだろうけど、純粋さを信じられるような気がしてた。今日は折しも最終日。美術館の場所も知らなかったが、なんのことはない千葉みなとだった。
 たくさんの人がいた。順路に沿って列ができていた。列はゆっくりと進んだ。山下清は1922年に生まれ49歳で亡くなった。作品は15歳のときの貼絵から始まった。年を重ねるにつれ技巧的になった。18歳から放浪するようになり32歳まで断続的に続いた。放浪中には作品は作らず、帰ってくると作ったそうだ。それだけ記憶力が優れていたと言われている。放浪に出る頃には貼絵は完成形に近づいていた。貼絵ではなくまるで油絵のような感じだった。強烈な色彩、大胆な構図、細部の省略、なにより日常の風景でありながら訴えかけるなにか。記憶を頼りにしていた分、デフォルメした心象風景を再現してただけなのかもしれない。
 代表作として語られることの多い「長岡の花火」。暗い空に打ち上げられた花火、それを見上げる大勢の観客。山下清が一番好きだったという花火。西洋化が進み昔の文化が失われつつあっても、花火には日本人のアイデンティティーが内包されている。だから人々の心を打つのかもしれない。他の作品も感情をくすぐるものが多いのだが、花火は特にモチーフの勝利に思えた。
 山下清は放浪日記も書いていた。素朴な味があり、ユーモアたっぷり。貼絵だけではなく、油絵やペン画もうまかった。いろいろなことがうまかった。一番うまいのは、自分を飾らずに表現することではなかろうか?人に愛されるキャラクターだからこそ、日本全国を放浪できたのだろう。山下清の人柄が人々の理想とする姿とだぶるのかもしれない。一番難しい感情の表現が優しさだと思う。作品を見ていて心暖まるのは人に対する優しさに溢れてるからだろう。自分の気持ちをまっすぐにキャンバスに表現できる力量は天才の名にふさわしいと思った。
 一流の作品に接することがこんなに気持ちに変化をもたらすなんて。ずいぶんパワーをもらった。これからは積極的に外に行きたい。まだまだ面白いことがたくさんある。感動を探し続けよう。