びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/08/06(日)「長野」

 道の駅あおき。暑さは問題なかったが、なかなか眠れなかった。車中泊初日は慣れないのでいつもそんなもんかと。朝方に寒かったので、寝袋を掛け布団がわりにした。4時半にトイレ。二度寝して、6時半に起床。外の日差しは強くて、車内の温度も上がり始めていた。エンジンをかけて、冷房をかけた。
 朝食後、ブログを修正した。朝の日差しを浴びてると、旅行しているって感じがした。とりあえず、来週の北海道も車中泊で問題ないだろう。国宝の寺が開くまで1時間待ちとなった。待つのは面白くないので、長野で見つけた施設に移動することにした。
 8時、出発。千曲川沿いを長野方面に向かった。千曲川は高い山の間をくねくね流れていた。この辺りでも充分大河だった。山の緑と田んぼの緑が濃くて、いかにも信州といった景色だった。長野に川のイメージはなかったけど、千曲川が中心にあるのかもしれない。
 千曲市に入ると、やがて元信越線で現在はしなの鉄道屋代駅が出てきた。ここからはかつて長野電鉄屋代線が分岐していた。屋代線には2回乗ったことがあった。しなの鉄道の踏み切りを渡ると、奥に1本使われなくなった線路があった。これが廃線跡だと考えられた。昔の自分が通ったラインと交差した。
 9時、長野県立歴史館。企画展「主張する古墳」。長野には縄文土器を期待していたが、古墳のイメージはなかった。いきなり方格規矩四神鏡。これはこないだ今城塚古代歴史館で見たものと同じで、時代がわかる銅鏡の中で最も古いもの(235年)だった。高槻のものではなく、丹波で出土したものだった。隣には赤烏元年銘神獣鏡。こちらは呉238年の銘があった。出土場所は偶然にもやっさんのふるさと。初っぱなから借り物の展示というのはどういうこと?
 後は長野の古墳を紹介してたけど、特に目を引くものはなかった。なぜか最後に上野三碑の説明があった。こないだ群馬で見たばかりだよな。そんなに有名なのか?
 横の部屋には長野と関連のある群馬、新潟、静岡を紹介していた。周りの県を紹介してるのは初めて見た。それだけ目玉がないのかな?群馬と新潟は最近見たばっかりだったり。心の中で「見た見た」と得意になっていた。
 常設展は、縄文文化は長野から始まったみたいなことが書かれていた。それだったらどこから来たのか?長野は松本をはじめとしていくつかの地域に分かれており、やたらとあちこちに遺跡があることがわかった。今後、長野を回るのは大変そうだ。
 11時、森将軍塚古墳館。博物館の隣にあった。ここのことはまったく知らなかった。古墳の再現があるようだった。なぜか古墳まではバスに乗るみたい。目の前でマイクロバスが発車していった。なんだろう?館内に入ると、係の人が来て、古墳を見るか、展示を見るか、聞かれた。まずはメインの古墳を見ることにした。係の人がトランシーバーでお客さんが一人来たことを伝えた。「11時15分に来ますから」と言われた。
 マイクロバスに乗るのは私一人だった。頂上までは歩くと20分かかるようだった。この暑さの中では歩く気はまったく起きなかった。バスが出発すると、目の前の山の頂上付近に白い古墳が見えた。あんなとこにあるのか。てっきり平地にあるものだと思っていた。若草山の頂上にあった古墳を思い出した。貸し切りのマイクロバスは九十九折で高度を急速に上げて行った。途中で説明板がいくつかあった。歩いて上るのもよかったかもしれない。バスが古墳に着いて「何分で迎えに来ましょう?」と聞かれた。そんなんわからないと思った。「普通皆さんは30分が多いですね」と言われた。「30分でお願いします」と答えた。
 バスから降りると、古墳を一望できた。古墳は前方後円墳で少し曲がっていた。真新しい石積からできており、全体は白かった。古墳の向こう側には善光寺平が見渡せた。とても素晴らしい景色だった。ただし、日差しを遮るものがないので30分もここにいるのはキツイかもとも思った。
 古墳には誰もいないように見えた。すると後円部に日傘を差した女性がしゃがんでいた。景色の写真を撮ってるのだろうかと思ったら、話しかけられた。ガイドさんだった。こんなとこにガイドさんがいることに驚いた。ガイドさんがいるかいないかで理解度が全然変わるし、なにより後々まで記憶に残る。ガイドさんは凄いいい感じの人だった。ガイドさんはたくさんのことを教えてくれた。いつまでも話していそうな感じだった。これでは30分では短いと思った。ガイドさんは「バスのおじさんが30分と言うから皆さん30分なんですよね」と言った。暑い中で待機してたのは、団体の客に説明するためで、ずっといるわけではなさそうだった。ラッキーだったかな?眼下には善光寺平が広がっていた。高速道路と北陸新幹線が並行していた。「王様が景色のいいところに墓を立てたんだと思います」と言われた。なるほど。ガイドさんは景色をバックに写真まで撮ってくれた。自分の写真を撮ってもらうのはいつ以来だろうか?30分はあっという間だった。
 帰りのバスで「あの方はボランティアなんですよ」と言われた。学芸員さんじゃないことにビックリした。私もどこかでボランティアをしたら、いろいろ勉強になって楽しいかもしれないなあ。
 展示館では石室が実物大で再現されていた。森将軍塚古墳は日本最大の石室とのことだった。千曲市は古墳を整備して、古墳館も作って、かなり本気であることが伺えた。こういう姿勢が好評価だった。
 1220、出発。松代に行きたかったが、その前に信州サーモン丼が食べたかった。調べると、長野駅にありそうだった。車じゃ不便だなあ。すると、松本にあった。遠いけど、仕方ないか。完全に信州サーモンの口になっていた。更埴ICから長野道。途中で姨捨PAを通過。昨年に寄ったところ。善光寺平が一瞬素晴らしく一望できた。寄ればよかったか?安曇野IC下車。
 13時、小柴屋。大糸線の豊科駅前にあった。店の前の幟には「信州サーモン丼」と書かれていた。これは期待。でも、外からはあんまり流行ってないように見えた。中に入ると、たくさんのお客さんがいた。これはいけるかも?
 信州サーモンとは、長野県が開発した卵を産まない鮭で、卵の分の栄養が鮭の身にも詰まってるとのことだった。私と信州サーモンとの出会いは、乗り鉄時代に長野駅で買った駅弁だった。信州サーモンのマリネがとてもおいしくて感動したことを覚えている。そこから信州サーモンの虜になった。残念ながら、駅弁は終売してしまったが、毎回信州サーモンを探している。
 信州サーモン丼。ご飯を大盛にしたために鮭の味がよくわからなかった。なぜだか醤油自体が出汁が効いてておいしかったり。それから付け合わせの柴漬けと浅漬けもおいしかった。さすが長野。なんか鮭以外を評価する結果になってしまった。
 1350、出発。北へ向かった。この辺りは安曇野と言って、大糸線に乗ったことはあるが、車で走るのは初めてだった。山間に田んぼが広がっていて、里山の風景が広がっていた。長閑という表現がぴったりだった。
 1420、安曇野ちひろ美術館。長野から松本まで移動したのは、ここに来たかったからだった。いわさきちひろは、淡いトーンの水彩画がとても印象的な絵本作家だった。私はこの人の描く子供の絵がお気に入りだった。辺りは美術館を含めた広い公園になっており、芝生がとてもきれいだった。
 展示室は5室に分かれていて、1と2がいわさきちひろについて。3~5が他の絵本作家の作品を紹介していた。
 いわさきちひろのパートは思ってた以上に衝撃的であった。私は絵本にはこれまでほとんど触れることもなく過ごしてきたため、絵本について深く考えることはなかった。ここには絵本作家としての思いがたくさん詰まっていた。あたかも俳句や短歌の世界のように、無駄を極限まで省いて、想像の余地を残すことが行われていた。このことがいわさきちひろの絵本をある意味芸術の域にまで高めていると言えよう。
 いわさきちひろ以外の展示では、たくさんの絵本作家の作品を紹介していた。どれも個性的であったが、いわさきちひろよりも興味を引くものはなかった。
 絵本を読んで子供が楽しめるものになってるかの視点はなかった。その点、親に対するアピールが強くなってるのかもしれないと思った。そもそも親が買い与えないと何にも始まらないし。それから親がいいと思ったものを子供もいいと思う確率が高いかも?
 外には淡い紫の花がたくさん咲いていた。いわさきちひろは紫に特徴があった。わざわざ紫だけ特別な絵の具を使い、減りも早かったと言う。この花畑はいわさきちひろにふさわしいと思った。ラベンダーかなと思ったら、看板には「アケラタム」と書かれていた。地元の高校生が植えたらしかった。
 また茶色の古い電車が2両置かれていた。長野電鉄から譲渡されたようだった。これは「窓際のトットちゃん」に出てきた電車のイメージとのこと。「窓際のトットちゃん」の挿し絵は黒柳徹子の希望で、既に亡くなっていたいわさきちひろの絵が使用された。
 ミュージアムショップには魅力的なもので溢れていた。結局、買ったのは派遣さんに似たイラストが描かれたぽち袋だけだった。
 1645、出発。山の中を長野方面に戻って、麻績ICから長野道。18時、東部湯の丸SA。お土産を買うつもりだったが、ソースカツ丼の誘惑に負けてしまった。19時、出発。20時半、三芳SAで最後の休憩。崎陽軒にしうまい弁当が残っていた。しまった!帰宅は22時だった。
 目的地が二転三転した旅行だったが、青木村の花火、森将軍塚古墳、安曇野ちひろ美術館と思い出に残る旅になった。長野にはたくさん縄文遺跡があり、美術館もある。これからもたくさん通いそう。