びーの独り言

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蟹工船・党生活者

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

 プロレタリア作家小林多喜二の代表作。著者を知ったのは代表作「蟹工船」の存在を知るよりも前、いつかは思い出せない。拷問を受けて死亡した著者を検死した人の話を読んだ。なぜそんな話を読んだのか全く思い出せない。もちろん自分から積極的というわけでないし、偶然でもないと思う。学校関係の何かだと思う。「蟹工船」という作品を残し、拷問にあって死んだという事実を理解することができなかった。小説を書くと拷問にあうのか?
 何かで今「蟹工船」が見直されていると知った。三省堂の店頭に平積みになっていた。今年に入って27000部増刷だそうだ。これは結構な数だ。今更どうしてこの本が受けてるのか。時代が似ているのかもしれない。この手の話を読んだことがなかったので手を出してみた。
 「蟹工船」は蟹を取りながら缶詰を作る船。舞台は昭和の初め。出稼ぎに来た人々がとんでもなく過酷な環境下で働かされるうちに、自分の命を守るために仲間と協力して合法的サボを覚え、支配階級に対する闘争を始める話である。そんなに難しい話ではない。とにかく過酷な労働環境が何度も何度もクローズアップされている。読んでて気分が悪くなる。まるで虫けらのように扱われる労働者たち。こんな時代があったのかと戦慄を覚える。
 実は事前にネットで見つけた文章に背中が寒くなった。「北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本一本労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。−北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」と云っている。蛸は自分が生きて行くためには、自分の手足をも食ってしまう。これこそ全くそっくりではないか!そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た。「儲け」がゴゾリ、ゴゾリ堀りかえってきた。しかも、そして、その事を巧みに「国家的」富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜け目がなかった。「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタキ殺されて」行った。」
 「党生活者」については、著者が共産党に入党して非合法活動をしていて警察から逃げながら活動している様が描かれてる。工場に潜入して仲間を増やすべく働きかける。扇動である。彼らは、労働者のために私生活を捨て、自分の身が危険にさらされようとも、己の信じる道を突き進んでいる。実際に著者は警察に捕まり命を落とした。もの凄く熱い。続きが読みたくなる。でも、危険。この思想は極端すぎる。小説っぽくない。宣伝に近い。作家ではなく活動家そのものだ。思想が統制されてた時代、今からでは想像がつかない。
 拷問の舞台が築地署で、ここに出てくる「倉田工業」。もしかすると、と思っていたら、後書きを読むとやっぱりそう。やすをの会社だった、ということは、うちも同じだったかも。昔は労働争議が激しかったと聞いているから。
 2本の小説の舞台となった時代と今はあまりにも違いすぎる。私たちは昔の人が戦って勝ち取って学習したものの上に、何も知らずに座っている。今、再び脚光を浴びてるとしたら、歴史は繰り返し人間はいつまで経っても人間だということを証明してるだけなのかもしれない。これは本質を抉り出してるのだろうか、それともただの宣伝に過ぎないのか。頭の中がグルグルする。刺激が強すぎる一冊。知らなくていい世界もある。自信がなければ読まない方がいいかもしれない。