びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/05/18(月)「摂津」

 23時17分に朝日放送で、なるみ岡村の過ぎるTVを見た。普段見ない番組だが、予告で摂津市を取り上げるという。しかも、チコタン歌ってるやんか!一瞬で心わしづかみにされた。
 摂津市は大阪の北摂に位置し、吹田と茨木に囲まれた小さな市である。大阪府民ですらどこにあるかわからないようなところである。まあもともとインフラが吹田と茨木に分割されてて、長く郵便局の本局はなかったし、警察もなかったし、下水道が普及するのもだいぶ遅かったし。アイデンティティはなかったよね。
 チコタンは中学一年の合唱コンクールの曲だった。強烈な歌詞のため、今でもよく覚えている。全編大阪弁で「チコタン死んだ、ダンプに引かれてチコタン死んだ、横断歩道で黄色い旗握ってチコタン死んだ」、最後「アホーーーー」と言って終わる。当時はこれが中学の音楽なんやなって妙に納得していた。音楽の先生はN先生で、吹奏楽部を全国金賞にした先生だった。普段面白いんだけど、怒るとめちゃくちゃ怖かった。
 2年になると課題曲はダムの歌になると思っていた。これはカッコいい曲で今でも出だしは歌える。それがなぜか別の曲になった。今でも歌詞は一部わかるのだが、検索しても出てこない。あんまりパッとしない曲だった。3年になると何かを歌ったことは覚えているが、なんだったのかまったく思い出せない。これらの曲は中学以外で聞くことはなかった。
 番組が始まった。そこで知ったのは、摂津三中の卒業生だけがチコタンを歌えるということだった。私も知らなかったのだが、チコタンは5番まであって、5番を歌ってたらしい。1番から4番まで初めて聞いた。いや、本当に初めてかな?30年以上前のことだから記憶が曖昧だ。今の在校生はチコタンを知らないという。2011年くらいにT先生が転勤してから止めたらしかった。えっ、そんなに長いこといらしたのか?T先生はN先生の後任で、2年か3年の時にいらした。先生有志のバンドあって、そこでサックス吹いてたのを覚えている。それにしてもあの曲一体いつから歌っていたのだろうか?
 他にも摂津市にはランドセルがないというのがあった。そうそう。私が小学校に上がる時、てっきり黒のランドセルだと思っていたら、青のダサい市のマークが入ったリュックだった。3年の時に転校生が入ってきた時、その子は黒のランドセルしてた。めっさ浮いてていじられてた。次の日には青のリュックになっていた。
 番組ではこれくらいだったが、他にも謎ポイントはある。小学5年の成人式の日に三宅小学校から柳田小学校に転校した。その時いろいろなことにカルチャーショックを受けた。ああ許すまじ原爆をを歌わされた。その他、いろんな懐メロを歌わされた。友よとか太陽がくれた季節とか。それから、井伏鱒二が拷問死した小林多喜二の遺体を引き取る話を読まされた。同和問題も教えられた。今考えれば、小学校で教える内容としては異常である。日教組が絡んでたのではないか?三中の時も明らかに変な先生がいたもんな。理科のS先生とか。誰か忘れたけど、読書感想文の課題本で南京大虐殺が入ってたり。
 中学の時にしげどんが「我が心のふるさと摂津」と言ってたのを思い出す。別に何もなくていいと思う。大阪人ならそんなのネタになるくらいに思わんと。おもろないのがおもしろいんや。