びーの独り言

どこいくの?どっか。

2008/06/04(水)「独り言」

 GW過ぎてから宇都宮時代のような仕事をしてる。勝手しったるだけにほとんどのことがわかる。例えば、意外にすぐに結果が出そうに思われるのに、実際はかなり時間がかかることとか、じゃあそんだけ時間をかけてもラボスケールと実機の結果が合うことはないとか。頭を使うところと言えば、段取りである。最小の労力で最大の結果が得られるように実験の順番を決める。
 今日サンプルを作りながら思ったことには、私があれこれ作業しても、上に期待される結果は決まっているということだ。いくらラボスケールで合わせこんでも実機レベルには完璧に落としこめない。ラボスケールで出た結果というのは所詮いい加減なのである。そうやって出た結果は都合がよければ信じられるし、悪ければ実験が間違ってたということになる。つまりただ信じるか信じないかの問題である。理屈的には意味のない実験でも、人を説得するには効果的だったりする。きれいなデータを出す人はおそらく悪いことをやってると思われる。
 こうなると、この作業は一体なんだろうって思う。その作業には形式上の意味しかなさそうだ。実際、工場においてはこういう作業はとことんまで省略されている。その代わりバンバン金を使って試作する。研究所だとこれでもかとラボスケールでデータを出して、ようやくちょこっと試作させてもらえるだけ。しかも、ラボスケールと実機結果が合うことは絶対にない。
 研究所の存在意義は、工場の精神的支えなわけである。要するに会社の中の落としどころの部署なわけ。やばくなったらとりあえずあそこにぶん投げりゃいいやって感じ。研究所なんて工場で溢れた怪しげな仕事しか降って来ない。工場でできないことが研究所でできるだろうか?金はない。人材もない。機械はない。ないないづくし。頭脳があるかと言えば全然ない。本社から離れた世間知らずの集まり。わざわざいい大学出てきた優秀な人たちが、ずっと作業員としてしか扱われていない。飼い殺しにされ、アホになる。
 結局、人のつながり。派閥なわけ。技術なんて二の次。例えば、腕があっても、誰も使ってくれなければ意味がない。真剣に意見飛ばすような会議はありえない。衝突は避ける。時と場合によって態度を使い分ける。筋を通すのは重要ではない。他人から見たときのイメージだけ。気持ちいい奴かどうか。厚化粧。
 人の言うことは100%疑ってかかるべし。信じるから裏切られる。自分の五感で感じたことだけを信じるべき。いつでも技術者は物で勝負。