びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/10/06(水)「まとめ」

 あまり寝られなかった。最近は5時間で目が覚めてトイレに行く。そこからは眠れなくなる。寝転がってるだけで寝ている効果があるというので、半濁のまま横になっている。
 一日では頭の中はスッキリしておらず、モヤモヤしてた。滋賀に来てから、毎朝何をするかを報告しなければいけなかった。そして、Tクンにやることを指示しなければいけなかった。それなのに今までやってきたことが昨日一日でひっくり返されてしまった。
 会社に行く途中も車に乗りながら考えていた。こんな日は事故ってもおかしくないと普段より慎重になった。ミスチルを大音量でかけていると、頭の中から仕事のことは出ていくようだった。こういう気分転換もあるんだな。
 会社には8時に到着。始業時間の30分前。この30分が一日で最も頭の回転がいい時間である。小学校時代に宿題を朝やったように、今日一日何をするかを30分の間に無理矢理具体化させるのだ。
 当然のことながら、昨日の出張をまとめるように指示が出た。今回、あまりにも情報量が膨大であった。また、向こうの人の話は、あまりにも主語を省略してテクニカルタームを入れまくりで、半分くらいしか理解できなかった。自分一人ならなんでも理解できるまで質問するのだが、上司がいると発言できないし、恥ずかしい質問もできなかった。理解してないけど、わかったようなふりをしてまとめなければいけなかった。
 関係者に配布したのは15時だった。よそ行きなのか、内輪向けなのか、よく分からないテンションで仕上げてしまった。その割には時間がかかり過ぎだと思った。時間がかかったのは、事前準備をほとんどしなかったからである。本来あってしかるべき表を最初から作るはめになった。何事も自分に返ってくる。
 でも、昨日一日で仕事が劇的に進んだ気がした。なにより部長やMさんとの一体感が出てきたのが嬉しかった。これからもスピードを緩めることなく、一日一日をしっかりやっていこう。

2021/10/05(火)「浜松出張」

 いつも通り6時に起きた。出張は5年以上行ってなかったし、スーツを着るのも久しぶりだった。お客さんのとこに行くので、夏用上下に、ネクタイを締めた。いつやってもネクタイが一発で決まらない。
 8時過ぎに自転車で出発。石部駅へ。浜松ってJR東海になるし、切符どうしたらいいか?念のため、駅員さんに聞くと、私より要領を得なかった。190円の切符を買って入場。
 ホームで待っているサラリーマンはみんなノーネクタイ。ましてや上着着てる人なんていなかった。
 819石部発京都行き。学生が多くて混んでいた。843草津米原行きで米原まで。
 米原から新幹線。前に一度米原から新幹線を使ったことがあるような気がしたが、いつか思い出せなかった。新幹線改札前の窓口で新幹線の切符を買った。わざわざ往復にしてもらった。
 新幹線改札を通ると井筒屋。今日は時間が合わないからパス。ホームに上がると、新幹線が通過線を物凄いスピードで通過して行った。ここにはホームドアがないな?すると目の前に再び井筒屋が。うおおお!我慢できずいつもの近江牛大入飯を買ってしまった。
 933のこだまに乗車。会社のノートパソコンを広げて仕事。今までそういう人をよく見かけたけど、自分がやるのは初めて。まるでできるサラリーマンのようで悪くない気分だった。別にやらなくてもいいので気楽なもんだった。時間潰しができて、仕事が進んだので一石二鳥。
 10時半、新幹線で近江牛大入飯を食べた。
 1051浜松着。待ち合わせまで1時間以上もあった。本当はこの時間でご飯を食べるつもりだった。タリーズ。ここにはコンセントがあった。ノートパソコンを繋いで再び仕事。
 12時過ぎに合流して、遠州鉄道へ。まさか仕事で遠州鉄道に乗るとは!遠州鉄道は2回目だった。車窓はずっと住宅地が続いていた。政令指定都市だけある。
 仕事は予想がすべて外れた。NGと思ってたものがOKで、OKだと思ってたものがNGとなった。こんなに予想を外したのは初めてだった。結果的に良い方に転んだのだが、私は大ショックだった。まるで自分の調査結果や取り組みが全否定されたような気がした。
 帰りは京都回りの方が早く、往復で切符を買ったことが裏目に出た。ここで他の人と別れた。浜松に来たのだからと2100円でうなぎ弁当を買い、職場用にうなぎパイを買った。
 1751のこだまで、行きとは逆のルートで帰った。新幹線でうなぎ弁当を食べたけど、少し臭くておいしくなかった。まるでコンビニで売っているのと同じだった。うなぎがよくなかったのか気持ち悪くなってしまった。
 20時半、帰宅。あまりにも疲れてふらふらだった。早く寝よう。

2021/10/04(月)「監督」

 先週からテスト機で試作している。これまで作業はTクンがやっていたが、その結果が部長にまったく伝わっていなかった。Tクンに作業指示を出して、一緒に試作に立ち会って、資料をまとめている。
 普通は試作に注力するところだが、Tクンが作業してる横で、ヘルメット被りながらパソコンで他の仕事したり、結果をまとめた。
 あっという間に一日が終わった。

2021/10/03(日)「琵琶湖博物館」

 今日は滋賀県立琵琶湖博物館に行った。滋賀で一番行きたい場所だった。昨日行こうとしたら、予約制になっていて午前は埋まっていたので、今日に延期した。
 9時半、出発。琵琶湖博物館草津の琵琶湖に突き出した烏丸半島にあった。琵琶湖まで行くのは結構道が複雑だというイメージがあった。そして、その通りに途中からルートがわからなくなり、訳のわからない小さな道を迷いまくった。俺って実は方向音痴?
 10時半前に到着。予約は11時からだった。半島全体が公園になっていて、あざやかな緑の原っぱの奥に琵琶湖が見えた。湖面は水色でどこか海とは違った独特の色のように感じた。対岸の山や市街地が大きく見えて、まるで関門海峡のようだと思った。大きな景色を見ていると、日常の小さなことが、ちっぽけに思えた。
 入口に向かうと「予約をしていないと入れません」と書かれていた。当日に入れる気はまったくなさそうに見えた。それなのに11時にはなってなくても入場できた。まるで国立博物館ではないかと思うほど、案内の人が立っていた。
 まずは特別展の「湖国の食事」。食事の話は、実物があるわけでもないので、あまり興味はないのだが、一応滋賀に住む限りには知識として入れておこうかと。メインは当然鮒寿司鮒寿司は食べたことないし、今後も食べる気はなかった。他に美味しんぼにしか出てこなさそうな細かい郷土料理がたくさん紹介されていた。おそらく食べる機会はないだろう。滋賀の食べ物というアンケートでは、1位鮒寿司、2位近江牛で、結局イメージ通りかと。
 12時、全面ガラス張りで琵琶湖が見えるレストラン。近江牛とじ丼を食べた。普通のメニューの倍額だったが、この手のものとしては珍しく牛の味がちゃんとして、めっさうまかった。大満足だった。
 最初の展示室Aでは、琵琶湖の成り立ちについて説明していた。大昔の琵琶湖は伊賀上野辺りにあり、次に甲賀になり、堅田になり、今の形になったとのこと。通常湖は流入する河川により、砂が堆積して消滅するのだが、琵琶湖は世界でも珍しい古代からある湖であるとのこと。湖西の山と琵琶湖の境に断層があって、琵琶湖はずっと沈み込んでいるらしい。
 湖南市野洲川には湖の浅瀬だった頃の断層があって、大昔の生物や植物の化石や、像や鹿の足跡があるとのこと。近所だし、見に行きたくなった。
 三方五湖の一つの水月湖について紹介していた。この湖は河川の流入がなく、湖の底の堆積物が1年ごとに年輪のようになっているそうである。これを年縞という。水月湖の年縞は実に7万年前まで遡ることができ、地質的年代決定の事実上の世界標準となった。年縞博物館があるとのことなので、いつか行ってみたい。
 展示室Bは縄文時代とかの話しで、いろんなとこで見てきたのとあまり変わらなかった。
 展示室Cでは、現在の生物や植物の標本が山ほど出て来て、全部見る前にタイムアップ。まだまだ展示は残っていた。水族館も野外展示もあったのに。巨大過ぎてとても一日では回りきれなかった。さすが日本一の湖だけある。
 帰り道はほぼ一本道だった。なぜ行きにあんだけ迷ったのだろう?
 琵琶湖を中心とした生態系の説明は、他見には見られなくて大いに興味をそそられた。今日は半分しか回れなかったけど、また別の特別展をやる時にでも行こうと思う。

2021/10/02(土)「西堀栄三郎」

 今日は西堀栄三郎記念探検の殿堂へ行った。西堀栄三郎は第一次南極観測隊の副隊長であり、越冬隊長であった。また京大の科学者でもあった。プロジェクトXで西堀栄三郎を知り、「とにかくやってみなはれ」という言葉はずっと頭に残っていた。
 9時過ぎに出発。国道307号線。先週の百済寺からは目と鼻の先だった。10時過ぎに到着。
 展示は西堀栄三郎が住んでいた部屋を再現していた。木製の背もたれの長い椅子に座り、解説のビデオを見た。1本目は30分で2本目は1時間くらいあっただろうか?あと2本あったけど、疲れたので止めた。職員の人が解説用のタブレットを貸してくれた。
 とにかく西堀栄三郎は常に新しいことに挑戦し続けた。高校時代には日本に来日したアインシュタインの通訳として京都を案内し、大学時代は探検部を作り、雪山讃歌を生み出し、東芝時代には真空管「ソラ」 を開発し、大学に戻ってからはQCを研究し日本に普及させ、最後は原子力の研究をした。
 歩兵では城を攻略できないと言った人に対して、石垣を一つずつ崩せばいい、と言った。今の私の仕事を最初からできないと思っている自分が恥ずかしかった。何か方法があるのではないか?
 西堀栄三郎が言うには、人は新しいことをするために生きている。それは既存のものの組み合わせではなく、まったく新しい発想による。そして何より実践を重んじた。この人の生き方にはまさしく私の理想とするものである。
 記念館の2階は、全然関係ないイベントスペースで滋賀に縁のある芸術家の作品を飾っていた。聞いたことない人たちばかりだった。名前で選んでいる自分がいた。
 12時半、記念館を後にして次の場所に向かった。地元の蕎麦屋に行こうとしたら迷いまくって行けなかった。車だと小さな店に行くのが辛いかも?国道8号線に出て、マクドナルド。
 14時前、近江商人博物館・中路融人記念館。近江商人博物館では特別展で、洋画家の野口謙蔵を扱っていた。この人、別に記念館があるが、誰だかまったく知らなかった。
 野口謙蔵は大正から昭和にかけて活躍した。蒲生野を描き続け、日本画のような洋画の技法を確立した。絵を見ると、簡略化された描き方で日本画には見えなかった。なんか色使いが暗くて重い感じがした。あまり好きではないが、印象に残るような感じだった。
 常設展ではメインの近江商人を説明していた。たくさんの説明があり、ビデオもふんだんにあるのだが、ほとんど印象に残らなかった。途中で、結局近江商人はなぜ生まれたかと見直してみたら、よくわからないと書かれていた。
 中路融人は滋賀の日本画家だった。野口謙蔵よりも写実的だった。琵琶湖を描いていて、霧がかかったような幻想的な絵が多かった。何度も同じ場所に通い、その場所のことを理解してから、自分の中にその要素を落とし込むらしい。だから、写実的に見えるけども、実際はそういう場所はなくて、余計な物を消したり、付け足したりして、脳内で構図を再構築している。
 17時前に撤収。国道8号線草津方面に行くと、近新家具が見えた。この家具屋には見覚えがあった。左折して湖南市方面へ。途中から国道477号線に合流。ダイハツを通って下田から三雲へ抜けた。そのまま水口のアヤハディオ。それからサイゼリヤブックオフ
 先週もそうだったけど、市立の博物館はこじんまりしている上に、地元に偏りすぎていて、あんまり面白くない。

2021/09/30(木)「週報」

 ここの職場には週報があった。進捗を部長に報告するものだった。先週、初めて出席して横で聞いてたら、とても厳しく理不尽な感じすらあった。
 今週からは私も報告しなければいけなかった。一昨日から準備を始めたが、うまくまとまらなかった。それもそのはず。Mさんの指示により装置の練習をしてたから。皆が仕事してる中でこちらは本線には乗ってないように思えた。それでも時間もない中で無理矢理まとめあげた。
 炎上を覚悟していたが、むしろ手ごたえがあった。どうやらうまく伝わったようだった。正直ベースで建設的な議論となった。これまで言うことができなかった方向に修正することができた。
 今日は最初だから手加減されてるのかもしれない。ここの職場は緊張感がありすぎる。出席してた隊長が言った。「うちもこれくらい真剣にやりたいんだけど」。でも、疲れるよ?

2021/09/29(水)「炎上」

 課長のMさんは、一緒に仕事したことはなかったが、東京時代から面倒見がいいことで有名だった。しかし、私が滋賀に赴任して来た時は、その面影はなくなっていて、厳しいを通り越して理不尽にさえ映った。それにあまり技術調査も市場調査もしていないように見えた。一体、何をしてるのだろうという感じだった。
 しかし、最近は見方が変わった。社長直結テーマのために、Mさんはゾッとするくらいたくさんの指示を捌いていた。その指示は社長の取り巻き連中が容赦なく浴びせかけるもので、早く作りに行け、いつまでに報告しろ、なぜできない、なぜ調べていない、あれをやれこれをやれ、とまさに集中砲火だった。
 その火の手はすぐにでも私に飛び火するだろう。実際、今日はそんな感じだった。今後、実務が律速となり、爆弾が私の所に回ってくることが予想される。ポリマーの世界はとても時間がかかる。どこまで責めに耐えれるだろうか?

2021/09/28(火)「忘却」

 人はイヤなことは忘れてしまうらしい。大局的に考えれば、bad endしか見えない仕事だが、だんだん目の前のことしか見えなくなってきた。
 これは人間が普段死ぬことを考えないようにして生きているのと似ている。
 いつか死ぬ運命だとしても、目の前の今をどう過ごすかだけだ。