びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/10/02(土)「西堀栄三郎」

 今日は西堀栄三郎記念探検の殿堂へ行った。西堀栄三郎は第一次南極観測隊の副隊長であり、越冬隊長であった。また京大の科学者でもあった。プロジェクトXで西堀栄三郎を知り、「とにかくやってみなはれ」という言葉はずっと頭に残っていた。
 9時過ぎに出発。国道307号線。先週の百済寺からは目と鼻の先だった。10時過ぎに到着。
 展示は西堀栄三郎が住んでいた部屋を再現していた。木製の背もたれの長い椅子に座り、解説のビデオを見た。1本目は30分で2本目は1時間くらいあっただろうか?あと2本あったけど、疲れたので止めた。職員の人が解説用のタブレットを貸してくれた。
 とにかく西堀栄三郎は常に新しいことに挑戦し続けた。高校時代には日本に来日したアインシュタインの通訳として京都を案内し、大学時代は探検部を作り、雪山讃歌を生み出し、東芝時代には真空管「ソラ」 を開発し、大学に戻ってからはQCを研究し日本に普及させ、最後は原子力の研究をした。
 歩兵では城を攻略できないと言った人に対して、石垣を一つずつ崩せばいい、と言った。今の私の仕事を最初からできないと思っている自分が恥ずかしかった。何か方法があるのではないか?
 西堀栄三郎が言うには、人は新しいことをするために生きている。それは既存のものの組み合わせではなく、まったく新しい発想による。そして何より実践を重んじた。この人の生き方にはまさしく私の理想とするものである。
 記念館の2階は、全然関係ないイベントスペースで滋賀に縁のある芸術家の作品を飾っていた。聞いたことない人たちばかりだった。名前で選んでいる自分がいた。
 12時半、記念館を後にして次の場所に向かった。地元の蕎麦屋に行こうとしたら迷いまくって行けなかった。車だと小さな店に行くのが辛いかも?国道8号線に出て、マクドナルド。
 14時前、近江商人博物館・中路融人記念館。近江商人博物館では特別展で、洋画家の野口謙蔵を扱っていた。この人、別に記念館があるが、誰だかまったく知らなかった。
 野口謙蔵は大正から昭和にかけて活躍した。蒲生野を描き続け、日本画のような洋画の技法を確立した。絵を見ると、簡略化された描き方で日本画には見えなかった。なんか色使いが暗くて重い感じがした。あまり好きではないが、印象に残るような感じだった。
 常設展ではメインの近江商人を説明していた。たくさんの説明があり、ビデオもふんだんにあるのだが、ほとんど印象に残らなかった。途中で、結局近江商人はなぜ生まれたかと見直してみたら、よくわからないと書かれていた。
 中路融人は滋賀の日本画家だった。野口謙蔵よりも写実的だった。琵琶湖を描いていて、霧がかかったような幻想的な絵が多かった。何度も同じ場所に通い、その場所のことを理解してから、自分の中にその要素を落とし込むらしい。だから、写実的に見えるけども、実際はそういう場所はなくて、余計な物を消したり、付け足したりして、脳内で構図を再構築している。
 17時前に撤収。国道8号線草津方面に行くと、近新家具が見えた。この家具屋には見覚えがあった。左折して湖南市方面へ。途中から国道477号線に合流。ダイハツを通って下田から三雲へ抜けた。そのまま水口のアヤハディオ。それからサイゼリヤブックオフ
 先週もそうだったけど、市立の博物館はこじんまりしている上に、地元に偏りすぎていて、あんまり面白くない。