びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/08/10(土)「広尾」

 襟裳岬。涼しくてぐっすり眠れた。トイレにも起きなかった。5時の防災無線で目が覚めた。祭りが中止という案内だった。わざわざ早朝から流す内容かw。外からは人の話し声が聞こえた。駐車場にはいつの間にか20台くらいの車が停まっていた。朝食は非常用に買っておいたプロテインバーのベイクドチョコ。早速役に立つとは。昨日のブログを修正して、髭剃り。
 6時半、襟裳岬を見に行った。天気は曇りでわずかに靄っていた。波しぶきの影響だろうか?風が強かった。いかにも襟裳という感じだった。襟裳岬の立て看板からは下に降りれるようになっていて、先っぽの方まで歩けるようになっていた。先っぽに進むと、波がザブーンとさっきまでいた崖に当たり、激しく白波が立っていた。説明によれば、岩礁にはゼニガタアザラシがいるようだったが、よく見えなかった。代わりにうみねこがあちこちに点在していた。岩礁のてっぺん付近は雪が積もったように白くなっていた。うみねこのフンだろう。
 710、広尾に向けて出発した。2年前にも通った。襟裳の植林地帯を走る道で、今回楽しみにしていた。
 720、百人浜展望台。2年前はスルーした。灌木に囲まれた道を歩いた。灌木はすべて植林の成果だと思われた。襟裳岬の植林はプロジェクトXで取り上げられていた。襟裳では木を切りすぎて砂漠化したために昆布が取れなくなっていた。植林を試みたが、風が強くてすぐに苗木が倒れてしまった。海藻などの漂流物を撒いてから植林することでうまくいくようになった。さて、灌木の間の道は突然熊が出てきても不思議ではなかった。せっかく熊鈴を用意したのに、車に置いたままだった。熊がいないことを祈りながら進むと、茶色の展望台が現れた。まだ時間が早すぎたので閉まっていた。こんな誰も来そうもない場所で若い男性が走ってきたのには驚かされた。道は奥に続いていて浜辺に出られるようだったが、距離がわからないし、熊が怖いのでスルーした。
 広いのにガランとした駐車場は、手入れがされてなくて荒れていた。展望台に行く入り口のところに観音堂と一石一字塔があった。一石一字塔は説明によれば、江戸時代1806年、様似に日本人が入植する際に仏教を広めるために建てたようだった。石碑は大正12年にこの場所に移されたとのこと。周りには何にもなかった。なぜここに移した?
 740、望洋台。ここには黄金道路の石碑があった。黄金道路は襟裳と広尾を結んでいる。元は日勝海岸道路の名称だったが、建設に莫大なお金がかかったことから黄金道路と呼ばれるようになった。1975年開通。
 黄金道路を通るのは3回目だった。海に突き出た崖を何度もトンネルと覆道で通り抜けた。そこまでして道路を通す意味はなんだったのか?いつもそう思う。でも、この道がないと私は苫小牧まで戻らないといけないわけで。そういうことかと思うことにした。とても険しくて、走っていて楽しかった。そして、知ってたけど、唐突に広尾の町に入った。
 820、広尾駅跡。2年ぶり3回目。最初に見た時は現役そのままの駅舎があったが、今は駅舎は解体されてしまい、小さなバスの待合室になっていた。広尾の町は碁盤の目のようになっているが、駅の周りだけは駅に向かって斜めに道が通っていた。駅を中心としていたことがわかる線形だった。2年前にも思ったが、駅舎が解体されたのは本当にもったいないことだと思う。隣接する鉄道記念公園に申し訳程度の動輪などが屋外展示されていたが、そんなんはどうでもよかった。広尾町の選択は尊重したいけども、それでも駅舎を保存して欲しかったなあ。
 メインストリートの写真を撮りたかった。セブンイレブン広尾本通店。非常食を補充した。
 850、十勝神社。ネットで出てきたから寄ってみた。比較的新しい神社だった。神社の人が風で落ち葉を吹き飛ばしていた。今回の旅の無事を祈願した。後で調べたら、創建は1600年代で、今の社殿は昭和17年だった。
 十勝港。重要港湾であり前から気になっていた。大きなサイロなどはあったが、あんまり規模は大きくなかった。そりゃ比べる相手が千葉や苫小牧だとねえ。
 915、広尾町海洋博物館。ここには広尾線北勝海の展示があるようだった。海沿いの土産物屋の廃墟だらけの寂れた場所にあった。町の裏の現実を見るようだった。博物館はまだ空いてなくて45分待ちとなった。ここは押さえておきたいので、ブログを打ちながら待った。
 10時、入館。330円。いきなり大型獣の剥製たちがお出迎えしてくれた。シロクマ、トド、アザラシなど。こないだ岸和田で剥製を見て驚いたのはなんだったのか?他の展示も古いながらも凄く充実していた。町の博物館とは思えないくらいの充実ぶりだった。あらゆる項目が過不足なく説明されていた。まともに見たら一日中楽しめるくらいの分量。実はこれは82年の十勝博のものらしかった。十勝博の新幹線車両は「ワインの国」にあったり、一体十勝博とはなんだったんだろうか?
 北勝海は今の八角理事長で広尾町出身だった。そう言われればそうだったような?力士としては突き押しの努力型で好感が持てたが、理事長になってからは八百長貴乃花問題の対応など、古い体質にしがみつく悪の象徴だった。
 坂本直行は坂本龍馬の親戚で広尾町に住んでいた。開拓農家であり画家でもあった。坂本龍馬は北海道に理想の国家を作ることを夢見て果たせなかったが、その親戚の直や直寛が北海道で活躍した。直行の絵は昔にしては色使いやタッチなどがポップだった。特に水彩画における黒ペンの入れ方は斬新だった。今でも充分通用しそうに思えた。
 広尾線の資料は小部屋にまとめられていた。数は多くなかったが、柱に打ち付ける縦書きのホウロウでできている青い駅名票は貴重だった。またさよなら運転時の駅スタンプも嬉しかった。愛国、幸福、広尾が揃っていて、普段押すことはないんだけど、思わず押してしまった。
 お腹が空いたので昼食を探した。11時半、「鮨正」。ぐるなびの評価が高かった。見た目は完全に町のお寿司屋さん。ここの売りは黒ハモだった。ハモを食べたことはないし、ましてや黒とは?ぐるなびの口コミでは、「うなぎと穴子の中間でおいしい」「脂がのりすぎていて、山椒をかけなければいけなかった」とに分かれた。せっかくなので黒ハモ重、小鉢3種セット(日替わり小鉢3種類+味噌汁)を注文した。黒ハモの見た目は背中が黒くてうなぎみたいだった。でも、やたらとプリプリしていた。口に入れるととてもゼラチン質だった。一口食べただけでイヤな予感がした。さらにご飯が酢飯なのが蒲焼きに全然マッチしてなかった。不味いとは言わないが、正直美味しくない。食べ進めるうちに脂がきつくなってきて、山椒をかけた。だいぶマシになったが、すぐにどうにもならなくなった。お店の人に敬意を表して黒ハモだけはなんとか食べたけど、脂のたっぷり沁みたご飯は残してしまった。まるで名古屋名物「マウンテン」のスパゲッティのようだった。店を出てからも、しばらく口の中にイヤな後味が残っていた。悪魔のランチ、強烈な爪痕を残した。ナイスファイトだ。
 1225、広尾サンタランド。広尾はノルウェーオスロと同経度でノルウェー国外で初めて日本国内で唯一のサンタランドがあった。町には店のシャッターや壁などにサンタの絵が描かれていて、町の象徴みたいになっていた。行ってみると、三角屋根のメルヘンチックな建物があった。中はサンタ関連のグッズを売る売店だった。サンタに関する展示があるわけでもないし、一体なんなのかよくわからなかった。でも、今年で40年らしい。不思議だ。
 1245、大丸山展望台。山頂からは広尾の町が一望でき、遠く釧路の方までの海岸線が見えた。なかなか素晴らしい眺望だった。
 13時、ホクレン広尾セルフSSで給油。北海道ではこまめに給油しないとね。
 海岸沿いを北上した。今回の旅の目的は広尾から浦幌の海岸沿いを走ることだった。何があるかはわからないが、とにかく海岸に沿って走りたかった。
 先ほどの海洋博物館に戻り、そのまま北上した。原野の中をひたすら真っ直ぐな道が続いた。遠くのアスファルトは表面が鏡のようにテカテカになっていた。なんでだろう?対向車もなく、道路を独り占めした。北海道にこんな気持ちのいい道があるなんて。めっさ楽しかった。
 Googleマップ旭浜集落の近くにトーチカがあることを示していた。到達が難しいようだったが、せっかくなのでチャレンジしてみた。背の高い草むらの中に続く車一台ギリギリの轍を踏みしめながら、車体を雑草のブラシで叩かれつつ、何かあったらどうしようと不安になりながら進んだ。
 少し広い場所に出た。砂浜に出られるようだったが、本命の道は雑草の勢いが増して車では進めなくなった。あと700m。徒歩で移動することにした。熊避けの鈴を鳴らしながら、熊が出ないことを祈りつつ草を踏みしめて進んだ。右折して海岸に降りる道にたどり着いた時、その道は激ヤブでどうしようもなかった。潔く諦めがついて撤収した。
 車を停めてある広場から砂浜に出た。すると、遠くの砂浜にコンクリート製の大きな四角い構造物があるのが見えた。なんだ、こっちからいけるではないか?海岸は砂がフカフカしててとても歩きにくかった。なんとかトーチカにたどり着いた。すると、もっと奥の方にも3個見えた。そちらに頑張って歩くことにした。
 トーチカには、狭い入り口があり、反対側には銃眼が空いていた。中に入るのは入り口が埋まって狭くなってたので止めた。なぜこんな到達困難な僻地にトーチカを作ったのだろう?
 帰りは波打ち際を歩いた。砂が固められていて幾分歩きやすくなっていた。大きな波が来た時だけは逃げた。ひたすら波は寄せては返していた。結構な波だったけど、サーフィンには足りないんだろうな?
 車に戻って、北上を続けた。相変わらず原野の中だった。こんなにも自然が残っていたのか?2年前に行こうとして諦めた場所を目指した。
 1425、インターストラテジーズ本社。ホリエモンロケットの会社だった。2棟あって、一つは本社でもう一つは工場だった。どこにでもありそうな大きさだった。でも、立地は原野の中だった。今日は閉まっていたが、駐車場にはたくさんの全国ナンバーの車が停まっていて、本社2階の電気がついていた。休日返上だろうか?
 1445、大樹町宇宙交流センターSORA。ここにはJAXAの大樹航空宇宙実験場があり、最近ではホリエモンロケットを打ち上げていて話題になっていた。JAXAの施設の横に大樹町が展示施設を作っていた。いかにも元職員という人が出てきて期待が持てた。展示は小ぶりながらも内容はとても充実していた。特に飛行機やロケットの年表は熱くて、持って帰りたいくらいだった。説明を見てからビデオ。ホリエモンロケット「MOMO」の下りは感動的だった。リアルオネアミスの翼だった。2025年に商用の初号機を飛ばすので注目だ。帰り際に元職員の人と話した。ホリエモンの話がたくさん聴けてとても楽しかった。一度ホリエモンロケットについて調べてみるのもいいかな。16時、撤収。
 1620、ナウマン像発掘の地。忠類はナウマン像で知られていて、ずっと行きたいと思っていたのだが、今回も候補から外した。ここにはその発掘現場があった。こんな原野でどうやって見つかったのか気になってたのだが、なんのことはない。道路工事だった。
 ここからは海沿いに点在する沼を巡る旅となった。
 1640、十勝ホロカヤントー竪穴群。擦文時代の住居跡が海岸沿いの丘の上にあった。遺跡の入り口には復元住居が朽ち果てていた。奥に進むと、緑の丘が出てきた。よく見ると地面に大きな穴がたくさん空いていた。明らかに不自然だった。妙にリアルにここに人が住んでいたことが想像できた。さらに奥は崖になっていて、崖からは美しい沼が見えた。ホロカヤントーだった。かつて落石岬で味わった感覚に襲われた。人工物が何もない。何もかもが本物の自然。身体いっぱいに北海道の自然を感じた。
 17時、生花苗沼。ここにはB&G海洋センターがあった。この施設、温水プールを探してるとよく出てくるがいまだになんだかよくわからないw。さて、この沼の読みはオイカマナイトー。読めるかよ!
 1715、晩成社の跡。晩成社は十勝を開拓した依田勉三の作った会社。ここには依田の住んだ家や仲間のお墓などがあった。
 1745、湧洞沼。海岸と湖の砂州をひたすら走った。海側は低い灌木、沼は静か。道路以外の人工物は何もなかった。本当にこの道は走っていて気持ちよかった。自分が世界を独り占めしている特別感があった。さっきのホロカヤントーでも感動してたのに、ここでももっと心を動かされるとは。やがて道路は行き止まりとなった。道道1051号湧洞線、どうしてこの道を作ったのだろうか?誰にも教えたくない手付かずの道に出会った。ずっといい思い出として残るだろう。
 1825、長節湖。二匹目のドジョウに期待したが、ものすごく靄っていた。奥は私の若手なキャンプ場になっていた。
 昨日風呂に入ってないし、温泉を目指すことにした。海沿いを進んで一気に白糠を目指した。途中から完全に海岸沿いになったりした。根室線でも帯広から釧路は辺鄙だもんなあ。
 1915、セイコーマート音別店。ホットシェフのおにぎりベーコンおかか、明日の朝食用のパン、非常食を買った。車の中でベーコンおかかを食べた。いつもの定番だから特にいまさらなし!
 1955、白糠町温水プール・しらぬかの湯 サンアリーナしらぬか。しらぬかの湯は510円。シャンプーは持っていく必要があった。湯船は1つで、電気風呂があった。後から入ってきた父親に連れられた3兄弟は電気風呂を楽しみにしていたようではしゃいでいた。きっとほとんど来たことがないんだろうな?しらぬかの湯は説明によれば、人工温泉とのこと。新潟の栃尾又温泉の近くで算出した水溶性の鉱石を使ってるとのこと。わずかにぬるぬるしてるような気がした。
 風呂上がりにブログを打っていて気づいたのだが、ここは22時までなので余裕で温水プールで泳げた。今時22時までって凄い!
 2150、出発。2205、道の駅しらぬか恋問。たくさんの車が停まっていた。眠れるだろうか?