びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/08/09(金)年休「日高」

 八戸発苫小牧行きシルバーエイト。隣とその隣の人のイビキがうるさくて、寝付きは悪かったが、いつの間にかぐっすり寝ていた。持ち込んだ毛布と枕は大活躍だった。不思議なことにトイレには行かなかった。起床は550。電気がついて音楽が流れた。朝食のパンを食べて、昨日のブログを修正した。
 道東に行くことは決めていたが、道東までどうやって行くかは決めていなかった。今回のために買った全国鉄道地図を見た。既にほとんどの鉄道施設は回っていることに気づいた。
 6時、出発。何の考えもなしに襟裳岬回りにすることにした。とりあえず日高線勇払駅をセットした。すぐに原野を貫く殺風景な道となった。途中、道の真ん中にカラスが群がっていた。車が近づくと、カラスが飛び立った。そこには何かの大型獣が食べられていた。多分鹿だろう。注意しないとな。
 原野の中に日本製紙の工場が出てきたと思ったら、620、勇払駅。集落もなく、淋しい場所にあった。駅舎はコンクリート製でボロボロだった。床のコンクリートは砂利が露出し崩壊しつつあった。駅舎からホームまでは距離があった。かつて側線があったのだろう。ホームまでの小路はアスファルトで舗装されて、パイプで組んだ手すりは錆びだらけだった。レールの踏面は錆びてなかった。原野にポツンとあるホーム、工場関係者以外で誰が乗るのだろうか?
 640、浜厚真駅。厚真の集落から離れているので、ここも閑散としていた。思いがけず貨車駅舎だった。駅舎の中には千羽鶴がぶら下がっていた。なぜ?
 705、鵡川駅日高線の終点だった。立派なロータリーに三角屋根の木を基調とした立派な駅舎があった。ホームには2両の電車がブルブルとエンジンを震わせながら停まっていた。車がやってきて、高校生の女の子が降りてきた。女の子は駅舎に入らず、柵の切れ間からホームの構内踏切を渡り電車に乗り込んだ。これでは駅舎は用をなしてなかった。後から後から車がやってきては、高校生を降ろしていった。この電車には高校生しか乗ってないのかもしれない。711、苫小牧行きは発車した。私はそれを見送りながら動画に収めた。
 鵡川から先は廃線区間だった。2年前にもラフではあるが探索してるので、いまさらどうかとも思ったが、そのまま通過するのも忍びないので、ちゃんと回ることにした。
 7時半、汐見駅跡。なんでこんなとこに駅を作ったのかわからないような原野の中にあった。2年前はほぼ現役当時の姿だったが、今回は待合室も、枕木も、レールもなくなっていて、ホームだけとなっていた。レールを回収されると廃線跡かどうかもわからなくなるもんだな。2年でこんなに変わるとは?来てよかった。
 755、富川駅跡。2年ぶり。三角屋根の駅舎は鍵がかかっていた。駅舎の入り口には日高線が廃止になり、代替バスが走ることが告げられていた。2年前と同じだった。もう剥がしてもいいのではないか?
 815、日高門別駅跡。2年前は駅舎を探したけどよくわからなくて、もしかしてこれかなという感じで終わっていたが、今回は、駅前に大きなロータリーがあり、駅舎は堂々として立派だった。どうやら2年前は他の建物と誤認していたらしかった。駅舎の中にはちょっとした展示があるようだったが、時間が早くて開いてなかった。
 国道を先に進むと、2年前に強く印象に残った景色が出てきた。遠くまで海岸線が見渡せて、山脈が豪快に海に落ち込み、海と山脈の境は海岸段丘になっていた。北海道らしい豪快な景色だった。今回は路駐して写真に収めた。こういうのって写真にすると大したことなかったりするんだよなw。でも、ずっと気になってたことが一つクリアになったのでよかった。
 835、豊郷駅跡。2年前にも訪れていた。国道沿いにポツンとコンクリートの小さな駅舎があった。あとは草ぼうぼう。まったく変わってなかった。
 850、清畠駅跡。ここは初めてだった。豊郷の駅舎と同じであり、駅全体の雰囲気も似ていた。
 9時、厚賀駅跡。小さな集落の中にあった。ここも初めてだった。木造駅舎の前には大きな木がはえていた。ホームの方は草ぼうぼうで何がなんだか。
 915、大狩部駅跡。国道下のボックスカルバートを抜けると、青い海とブロックを積んだ駅舎があった。とても絵になる景色だった。この駅の苫小牧側では護岸工場をしていた。日高線は路盤流出により部分廃線となったが、それはここに違いないと思った。
 925、節婦駅跡。かわいらしい小さな三角屋根の駅舎で、駅前のロータリーには花壇、駅舎の中にも花が飾られてた。いまだに地域の人に愛される駅だった。駅ノートがあったので読んでみた。ほとんど子供の落書きだったけど、とてもイラストがうまい人もいた。絵がうまい人には憧れるよなあ。
 国道沿いのガソリンスタンドで給油した。新冠SS。虫だらけのフロントガラスを拭いてくれたのが嬉しかった。
 950、新冠駅跡。大きなロータリーには花が咲いていた。駅舎は「出会いと憩いのセンター」となり、無人の観光案内所のようになっていた。ホームには出ることができなかった。残念。
 1010、レ・コード館。新冠はレコードで町起こしをしている。町とは何の繋がりもないレコードだけど、なかなかいい試みだと思う。300円で見学ツアーをやっていた。リスニングブースという高音質なスピーカーのある部屋でレコードを一曲かけてもらえるようだった。先客の3人家族とご一緒させてもらった。私はThe Beatles「A Day In The Life」が真っ先に頭に浮かんだ。最後の高周波が聴きたかった。まずは三人家族の「Take Five」から。たしかにトランペットが全面に出ていて面白かった。「いつか王子様が」byマイルスデイビス、「ワルツフォーデビィ」byビルエヴァンス。さて、「A Day In The Life」だが、係の女性がベスト盤を持ってきて「これでいいですか」と聞かれたので、アルバム「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の方を頼んだ。実際の演奏は、ジョンの声は最初は右だったが、途中から左となり、ポールは右から出てきた。オーケストラパートが圧巻すぎて鳥肌が立った。この選曲は我ながら当たりだと思った。最後の高周波は女性にうまく伝わってなかったためカットされてしまった。多分、めんどくさいおっさんくらいに思われてたかもなw。
 ミュージアムはレコードの歴史が丁寧に説明されていた。貴重なものが集められていて、新冠の本気度が伝わってきた。展望室はおまけかな?
 11時半、ラーメ寳龍新冠店。2年前から北海道で見かけていて気になっていた。漢の味噌ラーメン、餃子5個セット。味噌ラーメンってなかなか食べることないなあ。お腹が減っていたこともあって、とてもおいしかった。ちょっと焦がしニンニクぽい気もした。コストパフォーマンスがよくて、アットホームな雰囲気だった。北海道メシの選択肢が一つ増えた。
 1215、サラブレッド銀座駐車公園。こここらは牧場のある景色が見渡せた。日高は牧場が有名だけど、マジマジに見るのは初めてだった。すぐ側の牧場で馬が近くに見えたので写真を撮った。柵が邪魔だった。
 サラブレッド銀座と名付けられた牧場の間の道を通った。右も左も牧場。広い緑の牧場では馬の群れがのんびりと草を食んでいた。
 12時半、優駿メモリアルパーク優駿記念館。ここは乗り鉄時代に一回来ようとしたことがあったが、新冠駅にタクシーがあるかわからなかったので断念した。今回、断念して正解だったと思うくらい駅からは遠かった。ここはオグリキャップを顕彰していた。入り口にはオグリキャップの黄金の像があった。期待の展示はちょっとだけだった。平成2年の有馬記念が流されていた。オグリキャップの奇跡のレース。これは感動せざるえなかった。帰り際にお墓を回った。オグリキャップナリタブライアンと他にも名馬が眠っていた。「火葬かな?土葬かな?」という声が聞こえた。確かに。
 1315、静内駅跡。バスターミナルになっていた。2年前に食べたそば屋「にしや」は休みだった。ここもホームは残っているが出ることはできなかった。JRバスが2台出発していった。代替バスかな?
 1355、東静内駅跡。「東」とか「西」とか付くとショボいのだが、ここは東静内という集落になっていた。草ぼうぼうだった。
 1410、春立駅跡。駅のあった場所がわからなかった。怪しいスペースがあったので写真に収めた。
 1425、日高東別駅跡。ちょっと内陸に入った牧場の中にコンクリートの小さな駅舎があった。
 喉が乾いたので、セブンイレブン新ひだか三石店でガリガリ君を食べた。
 1445、日高三石駅跡。2年ぶり。木造の立派な駅舎は相変わらずだった。駅前には旅館があった。
 15時、蓬栄駅跡。内陸に入った道沿いにホームがあった。コンクリートの小さな駅舎はそのままバスの待合室になっていた。でも、周りには人家はなかった。
 1510、本桐駅跡。小さな集落の中に年期の入った木造の駅舎なあった。駅前商店は現役だった。
 1535、荻伏駅跡。2年ぶり。すっかり前の記憶がなくなっていた。貨車駅舎。住民がこっちを見てた。
 1550、絵笛駅跡。ほぼ牧場の中にあって、一瞬どうやってアプローチすればいいのかわからなかった。ほとんど秘境駅のそれだった。すぐ近くでは馬が草を食んでいた。気がつけば寄ってきていた。馬を見ると「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」を思い出すんだよなあ。印象的な駅だった。
 1610、浦河駅跡。2年ぶり。うみねこの声がアーアー聞こえていた。海が近いのだろう。この駅には木製の跨線橋が残っていた。前に入れた駅舎には入れなくなっていた。ここもホームは閉鎖されていた。開放すればいいのになあ。
 1640、東町駅跡。他の駅と違い住宅地の中にあった。小さなかわいらしい三角屋根の駅舎。遠くには海も見えた。元は仮乗降場だったが、近くに学校があり結構な人が利用していたらしかった。印象的な駅だった。
 1655、日高幌別駅跡。2年前にも見ていた。三角屋根がたくさん並んでいて、中世の城みたいになっていた。一見飲食店や郵便局の複合施設のような佇まいだった。
 1705、鵜苫駅跡。草むらの中にペイントされたボロボロの貨車駅舎があった。貨車駅舎のステップは床がボロボロに錆びて今にも抜けそうだった。
 ここで浦河駅に戻ってプールに行こうとしたが、わざわざ北海道に来て、まだ明るいのに観光よりプールを選ぶだろうか?晩飯を軽めにして、観光を優先することにした。ダイエットに黄色信号が灯った瞬間だった?
 1720、西様似駅跡。駅前広場はやる気のない砂利で、ここもペイントされた貨車駅舎だった。崩壊具合は鵜苫駅よりはマシだった。
 セイコーマート様似店。麦茶とホットシェフの道産ポテトのフライを買った。車の中で食べた。車の中がポテトフライの臭いになった。
 1750、様似駅跡。2年ぶり。ここは2年前に特によく見たので今回は軽く。駅舎に併設している土産物屋は開いていたが、閉店間際だった。おばちゃんに「明日も来てね」と言われた。
 この先の温泉や道の駅を探したが、三石まで戻らなければいけなかった。これではプールを選んだ方がよかったかもしれない。選択を失敗にしないためには先に進むしかなかった。
 1855、襟裳岬。2年ぶり。丸っこい丘が連続していて、そこに日が暮れようとしていた。東の空の際は赤くなっていて、上空に行くにしたがって紺色となった。灯台は灯りがついていた。バックのコントラストが逆光となってとても美しい写真が撮れた。襟裳岬の先の岩礁もかろうじて写真に写せた。2年前と変わってなかった。当たり前か。
 トイレがあるのでここで車中泊することにした。駐車場には2、3台しか停まっておらず、とても静かだった。ひたすら長かった今日一日のブログを打った。車内は暑かった。少しだけ窓を開けると、外気が入ってきてグッと過ごしやすくなった。いつの間にか空の星が綺麗だった。北海道に来るといつも昔に霧多布で見た満天の星空を探している。今日はあのレベルほどではないものの、それでもうっすらと天の川が見えるようなところまでは達していた。見えそうで見えなくて少しもやもやした。もしかしたら、駐車場の照明や灯台の灯りがなければ、もっときれいかもしれないと思ったが、わざわざ車を移動してまで見るつもりはなかった。これはこれとして、この先もっときれいな星空が見えることに期待しよう。
 今日はなんだかんだ適当に始めた割には凄く充実していた。やっぱり旅に出てみるもんだ。たった1日で目の前の世界がガラッと変わった。