びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/08/11(日)「釧路」

 道の駅しらぬか恋問。起床は5時。意外にも夜はぐっすり眠れた。車はほとんど満車なのにとても静かだった。1回クラクション鳴らす馬鹿がいたが。どういうわけか今日もトイレには行かなかった。車中泊では3回連続だよなあ。水分が失われてるのかな?朝食後、昨日のブログを修正。髭剃り。フロントガラスの虫取り。昨日、虫のシャワーを浴びていた。手を洗おうとトイレに行ったら石鹸がなかったorz。
 7時、出発。まずは白糠線の探索をすることにした。2年前にも探索していたが、上茶路駅と北進駅にたどり着けなかったことが気になっていた。今回は全駅を回るつもりだった。
 セブンイレブン白糠庶路店。まず手を洗いたかった。お礼にお茶を買った。
 715、白糠駅。根室線の現役の駅。白糠線は北進駅までの33.1kmを結んでいた。起点となるこの駅を訪れるのは初めてだった。駅舎はコンクリート製で平べったかった。正面にデカデカと駅名が掲示されていた。このタイプの駅は昔はよくあったが、今はなくなりつつある。シソ焼酎鍛高譚の大きな看板があった。てっきり九州だと思っていたので驚いた。前から思うのだが、名前のリズムがいい。
 ここから国道392号線を北上した。駅の場所はWikipediaの地図と「歩鉄の達人」を頼りにした。
 745、上白糠駅跡。情報では、国道を曲がったところに駅前広場が残ってるとのことだったが、曲がる箇所が何ヵ所もあってなかなかわからなかった。「歩鉄の達人」の写真を見てようやく確信に至った。最初から難しかった。
 ここでWikipediaの地図からGoogleマップに飛べることを発見した。これで駅跡がナビできるようになった。大大大大大発見だった。なんで今まで気づかなかったのか!!!!!
 共栄仮乗降場。仮乗降場は北海道特有の制度で、住民の便をはかるために短いホームを設置したものであった。正式な駅ではないために時刻表にも掲載されなかった。その多くは国鉄民営化の際に正式な駅に昇格したが、白糠線は民営化を前に早々と廃止されていたため、ここは仮乗降場のまま廃止となっていた。さて、国道の横に路盤があったが、どこもかしこも木が生い茂っていて、ホームの場所がさっぱりわからなかった。「歩鉄の達人」を見てもわからないことがわかった。仮乗降場は特に難しいのかもしれない。
 755、茶路駅跡。ここは新しい技を使って一発でたどり着いた。文明の力は頼もしい。
 途中、緑の草原の中に2つの白黒の何か物体を発見した。近づいてみると、物体は動き出した。うずくまってる鳥だった。よく見ると、タンチョウだった。私は釧路で有名なタンチョウを遠目でしか見たことがなかった。こんなに間近でタンチョウを見るのは初めてだった。釧路湿原から離れた場所にもいるんだな。車を停めて写真を撮った。とてもラッキーだった。
 茶路の先は山に突入した。ここから廃線跡はコンクリート橋のお祭りとなったが、前回調査済みのため基本的に無視した。
 810、一面鮮やかな紫色をした畑が現れた。シソだった。その奥にはコンクリートの橋。第二茶路川橋梁だった。コンクリートの橋は覚えていたが、シソには見覚えがなかった。車を降りると、なんとも言えない甘い香りがした。路盤に近づくとバリケードの一部が倒れていた。中に入って突堤の上をコンクリート橋を目指して歩いた。思いがけずコンクリート橋のいい写真が撮れた。車の轍があったので、たまに誰かが走ってるのかもな?
 835、縫別駅跡。高速道路ができたり、一軒の家が立っていたりして、新しい技があるにもかかわらず、正確な位置がわかりづらかった。「歩鉄の達人」でなんとか確認したことにした。廃線跡探索は、路盤の開削などの現状変更されるとほとんど手も足も出なくなる。
 道路の上だけ撤去されたコンクリート橋梁が出てきた。橋はそのまま少しカーブを描きながら茶路川を渡っていた。第十茶路川橋梁だった。とんでもない山奥で国道と廃線跡がランデブーしてた。白糠線は何回茶路川を渡れば気が済むのだろうか?
 850、上茶路駅跡。今回の目的の一つだった。前回は激ヤブで敗退していた。新しい技で指し示した場所は国道の脇道だったが、記憶とは違っていた。脇道の脇道があり、奥には建物が見えた。Wikipediaでも「歩鉄の達人」でも駅跡にたどり着くためには集会所の脇道を抜けるとなっていた。建物に至るには激ヤブだった。アプローチにはヘキサが立っていて有名だったが、ヘキサは倒れてしまったのか見当たらなかった。何度も諦めては諦めきれず何度も戻って確認した。一度は意を決して激ヤブを突破しようとさえ試みた。しかし、あまりにヤブの勢いが強かった。撤収するまでにまで30分もかかった。
 出発するとすぐ先に車が一台停まっていた。あれ?もしかして?なんとそこには集会所があった。完全に道を間違えていた。まさか文明の力が間違っていたとは!停まっていた車はすぐにどこかに去っていった。私は改めて駅へのアプローチを見た。ヘキサがあった!しかも、アプローチは激ヤブではなくて、轍が!誰だ、こんな行き止まりに車を入れたのは!さては四駆で入ったな?もしかして、行けるのではという希望が出てきた。アプローチを歩いた。すると、広場が出てきた。これは情報にあったものだった。いける!その時、目の前の森の中にホームが見えた。ヤッター!踏み跡のついた草むらを急いで進むと、足元には枕木が埋まっていた。そして、ホームの脇からはレールが伸びていた。手前側にも短いホームがあった。まさかの対向型か?奥の長いホームに上がると、ホームの上には木が生えていた。長い年月が立っていることがわかった。また三角屋根の上屋があった。北海道の廃線跡にしては珍しかった。景色のすべてに緑色のフィルターがかかっていた。自然に返りつつある姿は幻想的だった。田沢湖線の橋場駅跡を思い出した。私は写真を撮りまくった。2年越しの念願が叶った。この物件、ネットでの報告も最近なされていなかった。それだけに不可能ではないかとも思っていた。今回、諦めなければ夢は叶うものだと知った。この勝利はとてつもなく大きかった。今までのあらゆる苦しみが吹き飛ぶようだった。俺はやったんだ!
 940、出発。興奮は続いていた。しかし、まだ終わりではなかった。もう一つ大物が待っていた。今日はいけるのではないか?激ヤブについていた轍が強く気持ちを後押ししていた。
 955、下北進駅跡。前回場所は特定していたのでわりと楽だった。ただ駅跡は草ぼうぼうで意外にも堀割になっていた。そして、ホームの場所は判然としなかった。撤去するとは思えないので朽ち果てたのだろうか?
 次は終点の北進駅だった。地名を表す「二俣」の白看板が出てきたと思ったら、見覚えのある三角屋根の廃墟が出てきた。その隣には北進集会所と書かれた郵便局。2年前にはここの景色を写真に撮っていなかった。そのことをずっと悔やんでいたので、思う存分写真を撮った。ここは北進駅のある集落だった。集落と言ってもほとんど限界集落だった。信号のある交差点を右折すると、家が三軒くらいあった。駅の方向を見ると草は短かった。前回家の住民であるおばあさんと話したことを思い出した。「皆で草刈りしたんだけど、もう伸びたんだよ」。草が伸びてないということは草刈りしたばかりか?新しい技が指し示す場所は家から少し離れた脇道の先だった。前回脇道は激ヤブであえなく敗退したが、今回は予想通り轍があった。強者がなぎ倒したらしかった。自分の力を誇示したいのであろう。私にはありがたかった。轍を進むと、途中から普通の砂利道となった。ぐねぐね道を下っていった。Googleマップが指し示す最後のカーブを曲がると広い場所に出た。
 1005、北進駅跡。森の中に不自然な広場があった。広場は一面の草むらだった。私はさよなら運転の動画を見たことがあった。イメージはこんな感じだった。轍は敷地の端をかすめて駅跡の向こうまでずっと続いていた。轍を進むと広場はなくなり、砂利道だけとなった。この先の道はもしかすると路盤跡なのかもしれない。私は北進駅での結果にも大満足していた。北進駅もまた最近の報告が上がってなかったので、私は到達困難だと思い込んでいた。4WDの強者の力を借りたとは言え、チャレンジしたから成功した。諦めないことが大事だと思い知った。まさかこんな結末になるとは正直予想してなかった。私はまだまだ頑張れるんだという勇気がわいてきた。近年稀にみる大勝利だった。
 10時半、釧路に向けて出発。白糠まで戻って、海沿いの国道を進んだ。今朝、出発した道の駅を通り過ぎた。大楽毛が近づくと国道は高速のようになった。遠くに製紙工場の煙突が見えた。釧路駅を目指した。
 1145、和商市場。25年ぶり2回目。やすをと夏の北海道旅行で訪れていた。当時、私はウニ、イクラ、カキがダメで、やすをがイクラ丼をとても美味しそうに食べてたのを覚えている。今では私もイクラが食べられるようになった。果たしてどんな味がするのだろうか?和商市場の名物は勝手丼。まずご飯だけを買って、その丼の上に好きな具を載せていく。いくつかの店がある中で、おっさんや若い女性が客引きをしていた佐藤商店を選んだ。たくさんの刺身の中から、ホッケ、トキシラズ、ホッキボイル、オーロラサーモン、イクラ数の子、赤身、タラ、炙りサーモン、玉子焼き、ガリを選んだ。比較的安目を狙ったのには理由があった。美味しい店で差が出るのは安い具である。値段は1760円だった。
 長机が並んでいる一角で、わさび醤油をかけて食べた。ビックリするほどうまかった。こんなんうまいに決まってるが、それでもうまかった。うまい以外の言葉が思いつかなかった。狙いどおり安い具で充分だった。作戦は大成功。長年の念願を果たした。
 12時半、出発。雨が降ってきた。観光にはよろしくなかった。箱物中心に切り替えた。幣舞橋を初めて通った。釧路を象徴する橋であり、ずっと期待していたが、何の変哲もない橋だった。まるで中之島の橋みたいだった。むしろその先の訳のわからないラウンドアバウトの方が印象に残った。ナビが「3番目の出口を出てください」と言った。どこやねん!
 1240、太平洋石炭販売輸送米町踏切。石炭を輸送する貨物線の廃線跡があることは知っていて、ちょうどGoogleマップに出てきたので行ってみることにした。ここは踏切の向こうに海が見えた。とても絵になる景色だった。2019年3月運行休止、6月廃止。
 エネオスで給油。セルフ千代ノ浦SS。
 13時、太平洋炭礦炭鉱展示館。釧路は日本で唯一石炭を採掘している。太平洋炭礦は解散して、今は釧路コールマインが採掘している。ここには石炭の採掘に関する展示と地下部分に疑似坑道があった。疑似坑道では実際に採掘で使う機械が展示されており、激アツだった。
 14時、釧路市立博物館。何か目当てがあるわけではなかったが、観光案内に出てきたので寄ってみた。ここの博物館の説明は簡単でよくまとまってた。釧路は道東の中心都市であり、道東は釧路を中心として栄えた。鉄道も釧路と白糠で開通した。釧路は漁業の他に石炭や製紙業で発展した。釧路がとこか独特なのは気候のせいだけではなくて、このような町の成り立ちがあるからかもしれない。博物館では殖民軌道についても詳しく説明してたのでとても興味深かった。思わず受付で本を買ってしまった。
 1610、釧路製作所。ここにはSLの8722が展示されていた。このSLは雄別鉄道で活躍したものだった。会社の門は閉まっていたけど、外から写真を撮った。
 1620、出発。雨が降っていたので観光は切り上げてプールに行こうかと思ったが、やはり先を急ぐことにした。これでは北海道で泳ぐことはなさそうだな?
 海岸沿いを厚岸を目指した。アップダウンの激しい起伏に富んだ道だった。Googleマップで出てきた地嵐別というところに行ったが、何があるのかよくわからなかった。北太平洋シーサイドラインという道を進んだ。曲がりくねってるだけで、ほとんど森の中であり、ほとんど海は見えなかった。
 1720、セキネップ展望広場。崖が見渡せた。雨が降ってて眺望はいまいちだった。
 1750、苫多海岸。海岸なんか見えなかった。何がいいのかよくわからなかった。後で調べると海の向こうに厚岸が見えるようだった。
 1755、あっけし望洋台。雨でさっぱりだった。車からも降りなかった。キャンピングカーが停まっていた。よく見るとここにはトイレがあった。ここは車中泊に使えるかも?
 1810、厚岸駅。白糠駅と同じタイプの駅だった。
 1820、道の駅厚岸グルメパーク(厚岸味覚パーク・コンキリエ)。厚岸のカキを狙った。レストランエスカル。厚岸産生牡蠣2種食べ比べは800円。カキえもんと丸えもん。カキえもんがシャープで、丸えもんはクリーミーだった。せっかくなので、もう1セット頼んだ。
 1850、気楽湯。厚岸唯一の銭湯で旅行客が脇道に路駐してた。中は番台がある懐かしいスタイル。490円。荷物はかごに入れた。他の客が貴重品を番台に預けていた。浴場はもっとも初期のもので、湯船はタイル貼りで円形。蛇口は赤と青の2つ。シャワーは固定。ケロヨンの黄色い桶が積んであった。鹿児島の激渋銭湯を思い出した。湯はラジウム装置を使ってるとか。何それ?ラジウムって放射線出るよね?お湯が熱くて、疲れた身体にはちょうどよかった。味わい深い銭湯だった。
 1920、セイコーマート厚岸港町店。朝食のパンとお茶とホットシェフの道産ポテトのフライを買った。車の中で道産ポテトのフライを食べた。
 1955、あっけし望洋台。今日はここで車中泊とする。ひたすらブログを打った。明日雨は止むだろうか?