びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/01/03(火)祝「大隅」

 起床は650。この道の駅は車も来なくて本当に静かで、眠るのには最高だった。朝食は昨日の温泉で買った塩パンロール。昨日のブログを修正した後、750、出発。
 今日は都井岬を目指した。都井岬には野生の馬がいることで有名だった。これはずいぶん前にmisterに教えてもらったと記憶している。
 海沿いを南下した。昨日見えなかった海岸の眺望は、道路が高いところを通っていて、入江が遠くまで見渡せたりして、とても素晴らしかった。昨晩頑張って道の駅なんごうまで戻ってよかったと思った。
 昨日トイレがあった恋ヶ浦にはサーファーの車が10台くらい路駐していた。彼らはサーフィンを楽しむとともに、あちこちの海に行くのも楽しんでるのだろう。
 都井岬への分岐を入ると、820、ゲートがあった。都井岬は岬全体が牧場になっていて、ゲートは馬が逃げないように設けられていた。昨晩都井岬車中泊をすることも考えていたのだが、夜間は自分でゲートを開閉しなければならなかった。なんだかそれが気持ち悪くて車中泊を見送っていた。ゲートにはおばさんがいて、300円の協力金を渡すと、パンフレットをくれた。施設が開くのは9時と言われた。少し時間があった。おばさんの対応はとても丁寧だった。こういう一瞬のやり取りでも人のよさが滲み出るものだな。パンフレットにはステッカーが挟まっていた。
 先を進むと、早速一頭の馬が道路を横切っていた。馬は小柄で細身だった。御崎馬というらしかった。この先の期待感が膨らんだ。
 小松ヶ丘広場という見晴らしのいい広場に出た。海岸線が遠くまで見渡せて、山の上の稜線には風力発電の白い風車がたくさん並んでいた。まるで霧多布岬のような景色だった。ここの風景をバックに青いインプレッサの写真を撮りまくってるスカジャンのおっさん2人がいた。見かけはいかついけど、楽しくて仕方ないように見えた。
 青いインプレッサの後をついていくと、灯台の駐車場にたどり着いた。ここには馬が2頭いた。トイレの横で草を食べていた。近づいて写真を撮ったけど、全然怖くはなかった。するともう1頭がどこからともなく合流した。インプレッサのおっさん2人はここでも車の撮影会をしていた。
 9時、都井岬灯台。協力金は300円。登れる灯台をうたっていたが、テラスが壊れていて上まで上れなかった。これでは詐欺ではないか?灯台の説明はとても面白かった。フレネルレンズを使ってること、灯台は光だけでなく、電波でもやり取りしてること。
 925、都井岬の御崎神社。駐車場から崖を階段で降りると、ソテツが自生している広場に出た。そこからは海が見えて、左の方に祠があった。祠の延長線上の山の中腹には真っ赤な祠があった。面白い配置だった。
 都井岬の馬は、尻屋崎と比べるとインパクトが薄かった。尻屋崎の馬の方が大柄で太っていて迫力があったし、何より近くをたくさん闊歩していた。期待感が強すぎたのかな?940、出発。
 1040、志布志市役所志布志支所。ここにはネットで話題になった看板があった。「こちらは志布志市志布志志布志にある志布志市役所本庁志布志支所です」「志あふれる町」など。志が大杉ィ。
 1050、志布志鉄道記念公園。志布志は3回目で公園は2回目。公園の1回目は大学友人Sとの旅行の時だった。志布志日南線の終点であるが、かつては志布志線と大隅線が分岐していた。保線区のあった場所に公園ができた。ここにはSLと気動車が静体保存されていた。目を引いたのは、芝生の上にピンク色のドアが置かれていたこと。まるでどこでもドアだった。これにはワクワクした。ツボに入ってしまった。
 1105、志布志駅。観光案内所になっていたので、パンフレットをもらった。
 1120、出発。大隅半島の先端であり九州最南端である佐多岬を目指した。1125、ガス欠にならないように給油。大平洋側に沿って走った。あまり見晴らしはよくなかった。宮崎神宮が良すぎるだけか?腹が減って何か食べれるとこないか探したが、いいところがなかった。
 1215、内之浦宇宙空間観測所。ダメ元で訪れてみると、やっていた。守衛のところで受付をして、許可証をもらった。許可証を車のフロントに掲示して、自分の車で所内を見学した。
 衛星追跡センター。巨大なパラボラアンテナがあった。宇宙からの微弱な電波をキャッチする。ここで都井岬で見たおっさん2人組とまさかの再会。2人は相変わらず車の写真を撮っていた。
 1235、衛星ヶ丘(ほしがおか)展望台。ここにも巨大なパラボラアンテナ。確か直径20m。パラボラアンテナは2基でセットらしい。そしてここからは山の下の方にロケットを打ち上げる時のタワーが見渡せた。
 1245、KSセンター(観測ロケット打上げ場)。ロケット2基が横に置かれて展示されていた。打上げ場ではあったが、ただの広場で打上げるための構造物は見当たらなかった。シャッターの閉まった格納庫が2棟あったので、そこに収納されてるのかもしれない。
 13時、M(ミュー)センター(イプシロンロケット打上げ場)。一番見たかった施設。ロケットを打ち上げる映像で必ず出てくるタワー。タワーにロケットをセットして、いろいろと点検する。その後、タワーからロケットを引き出して打ち上げる。遠い世界のものが身近に感じられた。
 1320、宇宙科学資料館。展示が古い!もう少し気合い入れてやって欲しい!でも、ロケットにはいろいろな最先端技術が使われていることがよく理解できた。ロケット燃料がまさかブタジエンの爆発的な重合を利用しているとは思わなかった。また宇宙から電波を送る時のFMとPCMの下りはPC9801シリーズの音源に繋がるものがあった。軽量化のためマグネシウムを使ったり、FRPを使うのも興味深かった。これらの知見の集大成が、はやぶさの帰還に繋がったんだな。
 1415、出発。佐多岬を目指した。大平洋側を南下した。山の中ばかりで、あまり景色は面白くなかったが、一ヶ所だけとても見晴らしのいい場所があった。
 途中から佐多岬への道は一本道となった。山の中を延々と走った。地図で見るととんでもなく遠い。ぐねぐねして、アップダウンが激しかった。「佐多岬33km」の表示に心折れそうになった。ひたすら不安になるくらい山の中だった。永遠にこのままではないかと思うくらいだった。しかも、いつもは山の向こうに町があるけど、今回は何もないのがわかっていた。夏に行った北海道よりも過酷だと思った。
 佐多岬が近づくと道路もよくなった。ようやく駐車場に到着した。ここからさらに歩かなければいけないことはわかっていた。しかし、お腹も減っていた。観光案内所に何かないかと見たら、ソフトクリームは売り切れだった。他はジュースしかなかったので、トロピカルフルーツジュースを買った。400円、あっという間に飲み干した。
 徒歩でいきなりトンネルを抜けると一旦下りとなった。そこでスカジャンのおっさん2人とすれ違った。またお前らか。北海道ではよくあるが、南九州も同じようなもんだな。遊歩道の先には御崎神社があった。都井岬と同じ名前の神社だった。なんなら日御碕の人事やも同じ名前だった。
 遊歩道の先を進むと、山のてっぺんに白い展望台が見えた。まるで山が帽子を被ってるようだった。函館山や姫路の手柄山のようだった。
 1605、佐多岬展望台。眺望は本当に素晴らしかった。佐多岬の先端には島があり、そこには白い灯台があった。右手の海には開聞岳のきれいな円錐形が見えた。
 1625、灯台守広場。朽ち果てた石積みの建物があった。日本軍の施設跡かと思ったら、灯台守の住んでた場所だった。
 1650、出発。今度は錦江湾に沿った道を北上することにした。こっちの方が道がよかった。
 1745、錦江町に入ったところで、ジョイフルを見つけた。勝田の時と同じく、腹ペコの時に限って現れるジョイフル。神だ!前と同じネギトロ丼とバランスサラダを食べた。後で勝田で食べたもつ鍋があることを知り悔しかった。
 近くの銭湯を探したら、凄いのが出てきた。書き込みでは「マニアの間で「神話の銭湯」と呼ばれる激渋銭湯」。これは行かねば!
 1840、梅の湯。外観からヤバかった。今にも潰れそうな木造の建物。中に入ると、番台の位置は番台ではなく、一段高い畳敷きになっており、こたつに入って愛想のよさそうなおじさんがテレビを見ていた。もしかして、お客さんかも、と思ったら「お金そこに置いて」と皿を出してきた。300円。
 脱衣所はよく地方の展示であるような明治か大正くらいの作りだった。映画のセットのような、まるでタイムスリップした空間だった。お客はいなかった。
 浴槽は細かいタイルを貼ったもので円形。身体を洗うところに蛇口が2つあったが、両方とも水。シャワーなんてないし、ケロヨンの洗面器もない。乾いた石鹸の欠片がたくさんあった。どうやって洗うのかと見渡すと、隣の方に「湯」「水」と書いた2つの蛇口があった。こな2つを組み合わせてなんとか頭を洗った。
 円形の浴槽は、思ったより深くてコケてしまった。危険な浴槽だった。湯加減は自分でバルブ操作して、調節するのだが、めんどくさくてやらなかった。まるで「テルマエ・ロマエ」の世界、貴重な体験だった。1915、出発。
 1925、道の駅錦江にしきの里。今日は早目のお休みとした。
 今日は都井岬佐多岬と気になる2件を片付けた。まだまだ行きたいところがある。明日も頑張ろう。