びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/03/09(土)「古市&富田林」

 東横インあべの天王寺。起床は7時前。いつまでも寝ていたかった。今日も昨日の続きで古市に行くつもりだった。大本命の羽曳野市文化財展示室の開館時間を調べると、月曜日になっていた。しまったあああ。今さらこんなミスをするなんて!なんで昨日行かなかったんだ!行きたいとこから行くのは鉄則だろうに!しかし、今さら予定を変えるのも中途半端だった。今回は縁がなかったということで。酸っぱい葡萄・・・。朝食後、740に出発。
 近鉄大阪阿部野橋駅801発藤井寺行き普通に乗った。今日は藤井寺下車。
 835、藤井寺球場記念モニュメント。子供の頃からよく野球を見ていたが、藤井寺球場がどこかわからなかった。昨日人生で初めて藤井寺を訪れたが、肝心の球場を見るのを忘れていた。藤井寺駅から線路沿いを西に進むと、すぐのところに四天王寺東高校という高校があった。その前に藤井寺球場があったことを示すモニュメントがあった。モニュメントは子供の像だった。ネットでは野球小僧と書かれていたが、碑文にはそんなことは書かれていなかった。
 藤井寺駅から隣の土師ノ里駅へ。180円。駅前には古墳があった。さすがだ。後回しにしてまずは北上。
 855、允恭天皇陵古墳。大きかった。堀は空で遠くまで続いていた。
 910、志貴縣主(しきあがたぬし)神社。河内国府とともに創建したらしい。式内社
 南に戻り、920、国府(こう)遺跡。旧石器、縄文、弥生の複合遺跡。地名から河内国府跡ではないかと言われてるが、証拠になるものは出てきてないらしい。
 土師ノ里駅に戻り駅前にあった古墳。945、鍋塚古墳。仲姫命陵古墳の陪冢。上まで登れた。すぐ近くに仲姫命陵古墳の森が見えた。
 950、仲姫命陵古墳。お姫様にしては巨大な古墳。年代的に仲哀天皇陵ではないかという説があるらしい。
 1005、古室山古墳。はげ山の前方後円墳。奥の方に行くと梅が咲いていた。写真を撮っているおじさんがいるなあと思ったら話しかけられた。やたら古墳に詳しかった。「登ったらいいですよ」と言われて、その気はなかったけど一緒に登ってみた。「ご存じかもしれませんが、石が落ちてるのは葺石です」。上からの眺めはとてもよかった。周りの古墳が大体見渡せ、おじさんは一つ一つ説明してくれた。「なんでそんなに詳しいんですか」と聞くと「地元で造園をやっててよく古墳を整備するからです。それから道明寺で氏子やってて、世界遺産登録の時に市に協力してました」と言われた。昨日のおじいさんと同じく太子町を薦められた。そんなにいいのか?他にも藤井寺市の1/4の面積は古墳、近つ飛鳥博物館の場所はわかりにくい、高槻の今城塚古墳は素晴らしい、道明寺は土師氏が建てて5代後が菅原道真、興味深い話のオンパレードだった。同じ趣味を持つ人は凄い楽しいなあ。千葉にもいないかなあ?
 昨日から思うに、古市は歴史のマニアにとって見るべきところがたくさんある。それなのに中心となるべき近つ飛鳥博物館が遠くに離れ過ぎている。近つ飛鳥博物館に行った時には古墳の話ばかりで驚いたものだった。古市は宣伝もへたくそである。私でもどこから見たらいいのかさっぱりわからなかった。「観光難易度A級シティフジイデラ」というポスターがちらほら貼ってあった。私は笑えたけど、歴史好きではない一般人には何のことかわからないだろう。古墳時代は学術的にどの天皇の墓でとかが確定してないので突っ込んでアピールしにくいものなのかもしれない。その割には立看板には突っ込んで書いてるんだけどなあ。
 1105、赤面山古墳。ここはデイリーポータルZで紹介されていた。小室山古墳のすぐ側で西名阪自動車道の真下にある。ここだけ橋脚のスパンが長くなっていた。また生活道路は古墳を避けて回り込んでいた。
 大鳥塚古墳。ここも前方後円墳。古室山古墳と雰囲気が似ていた。
 応神天皇陵古墳。全国で2番目の大きさ。やたらと土の量は1位とうたっていた。二番で悔しかったのだろうか?遥拝所も他の天皇陵よりも大きかった。近くの外堀はウソみたいに幅が広くてビックリした。遠くまで畑になっていた。
 11時半、餃子の王将外環藤井寺店。
 1235、はざみ山古墳。水堀に鳥がたくさんいた。
 1245、野中宮山古墳。神社や公園になっていた。
 13時、墓山古墳。大きかった。陪冢が4つあった。その一つが向墓山古墳。
 1310、誉田白鳥埴輪製作遺跡。小さな公園。説明板があるだけだった。
 1320、誉田八幡宮応神天皇陵に隣接しており、敷地は大きかった。よく考えれば、八幡宮応神天皇を祀っていた。そういう意味ではここは大本であるように思えたが、始まりは宇佐なんだよなあ?応神天皇と結びつけたから、後からここにできたのかもしれない?拝殿は工事中でネットで覆われていた。土曜日の13時から16時まで拝観庫を見学できた。ラッキー!400円。神社の若い人が倉の閂を開けた。ここには国宝の金銅製透彫鞍金具と塵地螺鈿金銅装神輿があった。金銅製透彫鞍金具は応神天皇陵の陪冢である誉田丸山古墳から出土した。思ったより大きくて見事だった。塵地螺鈿金銅装神輿は源頼朝が寄進した神輿だった。他に置いてあった重要文化財螺鈿細工も見事だった。
 東高野街道を北上した。風情のある道だった。いつか街道を歩き通すのもいいかもしれない。
 1405、道明寺。ここは土師氏の寺で土師寺と呼んでいたが、5代後の菅原道真が幼少期に道明と呼ばれていたので道明寺となった。国宝十一面観音像は毎月18日と25日が御開帳であった。また来たい。
 1420、道明寺天満宮。道明寺は寺だと思っていたら実は神社の方がメインだった。そもそも菅原道真天満宮に祀られているので、ここが天満宮の始まりとも言える。明治の神仏分離では道明寺の場所が変わった。神社の人に宝物館がやってるか聞いたら閉まっていた。
 1435、埴輪窯跡復元。小室山古墳で出会ったおじさんが作ったと言っていた。
 これで大体のところは回った。時間が余ったので、最近ずっと行きたいと思っていた富田林に行くことにした。道明寺駅から1452発河内長野行き。富田林西口駅下車。富田林駅から先は単線だった。
 降りたらすぐ左手にPLの塔が見えた。これが一番見たかった。白くて高くて奇妙で芸術的なフォルム。まるで異世界アニメに出てきそうな景色だった。前は景観を損ねてると思っていたが、今は富田林の個性のような気もする。
 富田林に来た理由はここには重要伝統的建造物群保存地区の地内町があったからだった。
 1520、旧杉山家住宅。重要文化財。地内町で一番古い建物だった。400円。たくさんの観光客がいた。とにかく寒かった。
 1545、地内町センター。杉山家の前にあった。寒過ぎて、オニオンスープを買って飲んだ。
 城之門筋を北上した。白壁の家が並びなかなか風情のある景色だった。平成9年の登録だからあんまり期待してなかったが、とてもいい感じだった。ならまちまちや橿原の今井町を思い浮かべた。
 16時、じないまち交流館。ぜんざいをふるまっていた。食べたかったけど、売ってるわけではなかった。
 1610、興正寺別院。地内町はこの寺が中心となって宗教自治都市を形成していた。町の周囲には壁があったらしい。天理教の長屋を思い浮べた。
 近鉄富田林駅まで歩き、大阪阿部野橋駅まで。
 17時半、東横インあべの天王寺。カールうす味を食べて休憩。まだ時間が早かったので思いきって難波まで行くことにした。前々から心斎橋のグリコの看板の写真が撮りたかった。
 1820、出発。阪神高速の高架を越えると、すぐにジャンジャン横丁になった。名前は知ってるが、通るのは初めてかも?狭いアーケードに所狭しと飲み屋が並んでいた。中には射的や弓的も。縁日?とても活気があった。こんなにベタベタなところがあったんだな。
 道の先に見える通天閣の写真を撮った。外国人観光客がたくさんいてみんな写真を撮っていた。夜空に光る通天閣、道の両側には飲み屋の看板の灯り。ここの風景はとても大阪らしくて好きだ。
 通天閣の下を通り、阪神高速を越えて、でんでんタウンへ。すっかり寂れていた。あんだけうるさかったソフマップもなかった。オタロードに行くと、少し活気があった。客引きのコスプレしたメイドばっかりでうんざりした。
 なんば花月から「わなか」を通り抜けた。
 1905、自由軒難波本店。もう一つの自由軒は食べたことはあるが、本家を標榜しているこちらは初めてだった。だいぶ前にチャレンジしようとしたことがあったが、大行列で諦めていた。今日は並ばずに入れた。名物カレー大。生卵が2つ乗っていた。味は薄くて、もう一つの店とは明らかに違うような?飛び抜けておいしいわけではなく所詮はB級やね。ソースをかけるとおいしくなった。
 戎橋に行って、念願のグリコの看板を写した。外国人観光客が多くて、みんなグリコのポーズをしていた。戎橋は日本で一番混んでるのではないかというくらい混雑してた。
 そのまま道頓堀を歩いた。昔の道頓堀のイメージではなく、へんてこな立体看板だらけになっていた。餃子、たこ焼き、寿司を握る手、なんかの顔とかも。かに道楽のカニくいだおれ太郎も健在だった。やり過ぎやろ?
 若い人だらけだった。すごくにぎやかでパワーがあった。若い時にこういうところで遊んでおくべきだったかも。気がつけばこんなに年をとってしまった。
 御堂筋線なんばから動物園前まで。動物園前の方が天王寺よりもホテルが近かった。名前が悪いわ。
 2010、東横インあべの天王寺。今日もめっさ頑張った。今を頑張らなければいけないと思った。なんばなんていつでも行けるって思ってたら、結局行かないような気がした。あの時こうすればよかったなんて思わないように精一杯生きていこう。