びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/05/27(土)「群馬」

 6時、起床。今日はどこかに出掛けようと思っていたが、行きたいところがなかったし、なんか酷くめんどくさかった。ただ、出かけたら楽しくなることはわかっていた。最近、気になっている埼玉の稲荷山古墳から重点的に調べたいと思っている群馬に向かうことにした。
 705、出発。715、給油後再出発。東関道→外環→東北道圏央道の白岡菖蒲IC下車。稲荷山古墳のある行田に向かった。行田市は2013/6/9に忍城などを観光していたことがあり、好印象だった。
 915、埼玉県立さきたま史跡の博物館。稲荷山古墳は埼玉古墳群の中に含まれており、ここは埼玉古墳群の中に立地しておた。展示の目玉は稲荷山古墳から出土した国宝の金錯銘鉄剣だった。
 まずは企画展示室「東松山市反町遺跡-時代を彩る職人のムラ-」から。なぜ東松山と思ったが、県立博物館だからか?どこにでも縄文弥生古墳時代の遺跡はある。どれも気にはなるけど、すべて回るのは無理かと。そのうち年代順と場所による特色を把握したいところ。
 国宝展示室「金錯銘鉄剣」。文字の書かれた古墳時代の鉄剣は全国で7例が知られていて、その中でも一番文字数が多い。私が見たのはおそらく5例目と思われ(東大寺山、江田船山、岡田山、稲荷台)。これは素晴らしかった。残っていることが奇跡だと思えた。文字は金で象嵌されているために鉄が錆びても文字が見やすくなっていた。ただしあまりうまい字ではなかったり。文章の内容は刀を作った人が祖先の名前を刻んでいる。また大王の記述があり、江田船山古墳と同一人物と見られている。今後も新たな剣が発見されないかな?
 埼玉古墳群は公園になっていた。古墳は小振りなものが多くて、一目見て前方後円墳や円墳であることがわかった。 
 1055、将軍山古墳展示館。博物館のチケットで古墳の内部が見学できた。古墳の中が見学できるのは珍しいとうたっていたが、関東だからだろうか?きれいに整備し過ぎていて大したことはなかった。
 1115、出発。近くにある関東の石舞台と呼ばれる古墳に行った。
 1125、八幡山古墳。住宅街の中に草ぼうぼうの小山の上に石室が剥き出しになっていた。確かに石舞台ぽい。中は石舞台よりも狭くて奥行きがあった。あまり整備されてなかったので、石舞台よりも雰囲気があった。ここは無料だった。石舞台が500円取るのはやはり詐欺だったと確信した。
 1145、出発。昼食はいろいろ行きたいところはあったが、一番気になっているひもかわうどんにした。桐生へ移動。
 13時、ふる川桐生店。桐生駅のそば。駐車場は2台。コーンが置いてあった。コーンを退けて停めた。見た目は薄汚れた居酒屋。うどん専門じゃないのか?居酒屋と兼ねてるところは大したことなかったりする。貼り紙で「相生店でやってます」。別の店にしようかと思いながらも渋々向かった。
 1315、ふる川相生店。こちらはしっかりした店だった。駐車場も広かったが、満車。大人気やん!第二駐車場を見つけて停めた。なんかテレビカメラがいてインタビューしてるんだが?そのうち「すみませんが、一瞬でいいので一列に並んでもらえますか」と言われた。なんだそれ?日本テレビの「Showチャンネル」という番組のようだ。行列してないのに無理矢理行列してるように見せるのはどうなんだろ?行列の一番後ろに並んだ。するとカメラを持った人が行列の後ろから前に舐めるように撮っていった。店の前にある道路の反対側から「めちゃくちゃ並んでますね」と何回も台詞を言っていた。これは演出ではなく捏造だろ。こういうのがTVをつまらなくしてると思う。
 1335、入店。ひもかわうどんの肉茄子汁にした。ひもかわうどんとは幅の広いうどんで、皿にきちんと折り畳んまれてやって来た。これを汁に浸けて食べた。味はつけうどんが豚の脂で甘くなった感じ。うどんの幅が広いだけで、圧倒的に食べにくいし、うどんの幅が広いので汁の絡みが悪く小麦粉の味が勝っていた。一応茄子や豚肉でカバーできるが、美味しいかと言われれば普通かと。話のネタにはいいが、リピートは微妙かと。1420、退出。
 旧国鉄足尾線だったわたらせ渓谷鉄道沿いに北上することにした。わたらせ渓谷鉄道は2008/8/10に大学友人Sと乗り鉄した。大間々駅から先がいきなり渡良瀬川の険しい渓谷になって驚いた。こんなにも険しかったのか?
 1510、草木ダム。コンクリート重力式の高さ140m。ダムの建設に伴い、旧国鉄足尾線の神戸-沢入間がダムに沈むために新線へと付け替えとなった。
 1525、富弘美術館。草木ダムの畔にあった。以前からやたら推してるので気になっていた。星野富弘さんは事故で手足が動かせなくなったため、口に筆を咥えて絵を描いた。ご存命とは知らなかった。
 花の絵に詩をつけるスタイル。モチーフが花ばかりなのは、入院のお見舞いにみんなが花を持ってきたから。身体が動かせないので花を描くしかなかったとのこと。絵はきれいだけど、詩の出来にバラつきがあるというか、花と合ってなかったり、何を言ってるのかわからなかったりするものがあった。ここでは絵から何を得るという姿勢が必要かも。1635、出発。
 1645、国鉄足尾線のダムの付け替え区間を探索した。神戸駅を出ると、すぐに廃線跡の琴平トンネルが現れた。ここは「もりの散策路」として整備されていた。トンネルの後は落石覆いが出てきた。片側は崖だった。そのまま崖沿いに路盤は続いた。道は草ぼうぼうの獣道となっていた。周りの鬱蒼と生い茂る木々と緑と相まって、一面緑の中の廃線跡だった。
 するとわらべ橋が出てきた。これは渡良瀬川を渡っていた。その先からはダムの堤体が見渡せそうだったが、後で車で行けばいいと途中で引き返した。1710、出発。
 1725、神戸駅。現役の駅。駅舎が国鉄時代そのままの木造でかなり味があった。特に駅名を書いた青い看板が素晴らしかった。ここには留置車両を利用したレストランがあったが、閉まっていた。
 北上して足尾の街に入った。渡良瀬川沿いに細長く発展していた。神岡と似たような感じだが、神岡よりは広かった。
 18時、通洞駅。足尾の中心であり銅山観光の拠点。駅舎は少し高台にあり、ここも木造で青い看板。素晴らしかった。
 1805、足尾駅。足尾を代表しそうな名前がついているが、駅前はひっそりとしていた。その代わり、駅前広場に鉱山で使われてたディーゼル機関車やタンク車があった。ここも駅舎は木造で青い看板。
 1815、終点間藤駅。足尾市街地の北の方。路線図では孤高の終着駅。なぜ足尾から伸ばしたのかというようなところ。ここの駅舎は新しかった。間藤駅宮脇俊三国鉄完乗を達成した場所だった。2008年に訪れた際には、宮脇俊三の作家デビュー作「時刻表2万キロ」の間藤駅の箇所が掲示されていた。15年経ってどうだろうかと思ったが、まだ掲示されてたし、他の記事も増えてたような?鉄道ファンの聖地と自称していたが、まさかここが廃止されないのはそれが理由ではないよな?
 間藤駅から先にはかつて足尾本山まで貨物線が延びていた。2008年に少しだけ探索していたが、今回は車だったのでガッツリ探索した。
 最初は、国道を渡る踏切が残っており、その先が渡良瀬川を渡る鉄橋となっていた。そこから先は、対岸にうっすらとそれらしい路盤が続いていた。やがて足尾本山駅がある大きな工場が見えてきた。驚いたことに工場の手前には大きな鉄橋があり、路盤は工場へと吸い込まれていた。建設当初はそれだけの価値があったことがうかがわれた。工場は動いてなくて、壁の所々は穴が空いており廃墟のようだった。ALSOKの表示があった。駅を見たくて不法侵入する奴には効果がありそうだった。
 日光の方へ向かうことにした。足尾から日光へ向かうルートは宇都宮時代から気になっていたが、通るのは初めてだった。1850、山の中にポツンとあるローソンで朝食用のパンを買った。道は長い日足トンネルで分水嶺を越えた。様子が一気に寂れた町から明るいイメージとなった。
 19時半、日光和の代温泉やしろの湯。外人が多くて混んでいた。湯は少しぬるぬるしててうんこ臭かった。大丈夫かな?
 20時に上がって閉店の21時まどブログを打った。
 前に泊まった戦場ヶ原を目指した。いろは坂は真っ暗だった。他に車は見かけなかった。走り屋もいなかった。鹿が飛び出してきて北海道を思い出した。
 2135、三本松園地。戦場ヶ原の駐車場。暗くて静かだった。暗すぎてトイレがわからなかったり。今晩はよく眠れそうだ。