びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/07/15(土)「群馬」

 三連休。起床は620。どこかに出かけようと思っていたが、その前に夏休みに行こうと思ってる北海道旅行のフェリーが予約できてなかった。予約できる時間はいくらでもあったのに決断ができなかった。これ以上先送りしてると、三連休の間に埋まる恐れがあった。毎回毎回私は予約が若手だと認めざる得ないorz。
 実は今回八戸発ではなく、大洗発を狙っていた。それで大洗発が4.4万円と結構高くて(八戸発は2万円)二の足を踏んでいたのだった。大洗発は時間が19時発だった。一日休むとしても、会社から帰ってから乗るとしても、中途半端な時間だった。あんまりお得感を感じなかった。
 やっぱり遠いところは時間をかけて行くものだと思い直した。八戸発のフェリーのサイトに行くと、もうすでにいいところは予約でいっぱいだった。昨年は1週間前でもいけたのに。今年はコロナ明けだったからかもしれない?今年は無理か。自分のいたらなさに落ち込んだ。
 しかし、もう一度検討してみると、日程をずらせばなんとか納得できるプランが組めた。北海道の日にちは減るけど、その分は充分東北で埋められるだろう。頭の中は夏休みのことでいっぱいになっていた。
 結局、部屋を出たのは840だった。避暑を兼ねてぼんやりと長野方面を狙おうと思っていたのだが、出遅れたので行き先は近場の群馬県立歴史博物館にした。ここには国宝があった。給油後、905再出発。
 空は雲が多くてどんよりしてた。ドライブにはむかない天気だったので、出遅れてもよかったのかもしれない?東関道から外環。外環は予想通り混んでいた。この渋滞をわかっていて避けないのだから、旅行好きとは到底言えないだろう。高崎に行くのにナビは関越道ではなく、東北道を示していた。大丈夫か?東北道に入っても混んでいた。今度は圏央道ではなく、北関東道を示した。本当に大丈夫か?もうそこまで行くなら、宇都宮で餃子食べられるのでは?でも、宇都宮に行くと、その後の旅程がめちゃくちゃになるので、おとなしく北関東道で群馬方面へ。1150、波志江PAで休憩。駒形IC下車。
 12時半、上州田舎屋。群馬名物おっきりこみを狙った。店内は広いのに暗くて客がほとんどいなかった。大丈夫か?おっきりこみはうどんの幅が2cmくらいで長さが10cmくらいだった。普通のうどんよりは幅広で短くて、こないだのひもかわうどんよりは幅も長さも断然短かった。水とんってこんな感じかもと思った。味はひもかわうどんと同じで、しいたけと醤油ベースの田舎っぽい味だった。白菜やかぼちゃなどが、ふんだんに入っていた。ひもかわうどんが粉っぽかったのに対して、おっきりこみの方が汁との絡みはよかった。でも、まずくはないけど、飛び抜けてうまいわけでもなかった。名物にうまいものなし。リピートはないだろう。
 1320、出発。伊勢崎ICから北関東道で高崎玉村SIC下車。
 14時、群馬県立歴史博物館。芝生の広がる気持ちのいい公園の中にあった。ここにある綿貫観音山古墳出土品は令和2年に国宝指定された。古墳は古墳時代の後期であり、奇跡的に未盗掘であった。
 出土品は素晴らしかった。埴輪から始まり、大刀、装飾品、馬具などが、ほぼ原型を留めていた。橿考研で見た藤ノ木古墳出土品を思い出した。副葬品の中には中国や朝鮮半島から見つかっているものも混ざっていた。古墳時代に外国との交流があったことを示していた。群馬と外国との交流があったことが信じられなかったが、埼玉の高麗や新座は渡来人と関係があるから、案外そうだったのかもなと思ったり。
 もし、このレベルの古墳で国宝指定されるなら、全国の古墳の副葬品が盗掘にあってなかったら、どれだけ凄いことになっていたか?盗掘された品はどこに行ってしまったのだろう?
 この博物館では岩宿遺跡の説明もされていた。岩宿遺跡の説明を見てると、遠い昔のことを思い出した。私は小学校で岩宿遺跡の本を読んで、考古学に興味を持った。岩宿遺跡からは、それまで旧石器時代には人が住んでいないとされていた関東ローム層があり、そこから石器が初めて発見された場所だった。因みに岩宿にも博物館があって、そこなは2013/5/2に訪れていた。石器の作り方を詳しく説明していたのを覚えている。
 この博物館は展示が新しくて、また説明の読みごたえがちょうどよかった。奈良時代を伝える上州三碑、鎌倉幕府を倒した新田義貞、幕末の高崎藩と天狗党の戦いなど、かなり興味をひかれた。とても素晴らしい博物館だった。長時間立っていたためすっかり疲れてしまった。だんだんと立ち続ける力が弱くなってるのかもしれない。閉館時間の17時まで粘った。
 1720、出発。近くの伊香保温泉に行くことにした。高崎玉村SICから北関東道、関越道に入って渋川伊香保IC下車。
 伊香保温泉に行くのは初めてだった。草津温泉の次に有名というイメージだった。渋川駅からはかつて東武鉄道伊香保線の路面電車が走っていたので、廃線跡がないか探したが、坂道が急過ぎてとても電車が上れるとは思えなかった。電車は別のところを走ってたのだろうと思っていたら、道端に車両が置かれていた。
 18時、峠の公園。車両の上には屋根が掛かっていて、大切にされてることが伝わってきた。ここには再現した駅名標があったり、地面に線路が埋められていた。説明板には昔の同じ場所の写真が載せられていた。説明によれば、路盤はカーブを多用したり、スイッチバックしたりして、坂を上っていたらしかった。
 電車は伊香保温泉の入り口にあったため、よく目立っていた。結構、温泉に遊びに来た人たちが写真を撮っていた。因みに、ここは終点の伊香保電停の場所ではなかった。そっちの方には何にもなさそうだったのでスルーした。
 18時、石段前の市営のコインパーキング。2時間で500円だった。
 1820、石段。伊香保温泉と言えば、この石段が有名らしかった。石段の真ん中には温泉が流れており、この温泉を階段の周りの旅籠で分けあったようだった。
 石段の前には「IKAHO」と書かれたモニュメントがあった。なんか最近こういうのをあっちこっちで見るなあ。「BEKOBE」「MISAWA」とか。なんかあちこちにあると狙い過ぎた感があってあんまり面白くないんだが。
 石段を上って行くと、途中の踊り場から「ここから365段」と書かれていた。何で途中から数え出すのか?昔はここから始まっていたのだろうか?それにしては365段はキリが良すぎる。大体、昔は旧暦なので365という数字に意味はないんだが?わからん。ただ、階段に段数が書かれてるのは好感が持てた。
 階段の両サイドには店や温泉が並んでいた。ずいぶん人で賑わっていた。いずれもカップルや友人どうしのグループだった。いくつも射的があった。流行ってるのだろうか?階段を上りきると伊香保神社があった。
 1840、伊香保神社。ここまで上がってくる人はあまりいなかった。上野国の三宮らしかった。
 折り返すと、すれ違ったカップルの女性がマンホールを指差して「高橋兄弟や」と言った。すぐに「頭文字D」だとわかった。その女性はしゃぎながら写真を撮っていた。私もその後に続いて撮った。危うく見逃すところだった。
 1850、石段の湯。石段の途中にあった銭湯。感じのいいおじいさんとおばあさんがやっていた。410円。シャンプーがついてるか聞いたら、あるとのこと。この値段は安いなあ。
 施設は新しかった。貴重品のコインロッカーは100円が戻らなかった。昔は当たり前だったけど、今時珍しい。内湯は一つだけだったけど、とても清潔感があった。泉質は温泉ぽくなかった。何にもないと気分が出ないんだよなあ。
 風呂上がりに30分くらいソファーに座って休んだ。駐車場の時間があったので撤収すると、外はすっかり暗くなっていて、石段はライトアップされていた。温泉はやっぱり夜なんだよなあ。
 20時、出発。榛名山の展望台を目指した。ぐねぐね道で山を上って行った。ここは「頭文字D」の舞台になった場所だった。急に凄いスピードの車が猛スピードで突っ込んでくるんじゃないかとヒヤヒヤした(嘘)。主人公が溝落とししたのはどこだ?
 2010、高根展望台。ここも「頭文字D」に出てきたらしかった。10台くらいが停められる小さな駐車場だった。一台だけ車が停まっていたが、人がいる気配はなかった。外に出ると真っ暗で足元が見えなかった。夜景はあいにくの天気でぼんやりしていた。
 21時、道の駅中山盆地。周囲にはたくさんの道の駅があったが、山の中の静かそうなところを選んだ。車はそこそこいるけど、静かだった。気温も寝やすそうかな?車の中でブログを打った。